第49話 マチシェニ
夏、ベルベシュティ地区はやたらと雨が降る。
キシュベール地区も高地にあり夏はやたらと雨が降ったが、ベルベシュティ地区はそれ以上だった。
晴れてても突然雨が降り出し、一旦降り出すとかなり長く降り続く。
数日降りっぱなしな時すらある。
そうなるとどの家も家でできる事をして過ごすという事になりがちである。
プラジェニ家では雨が降ると竹を細く裂いたもので篭を編む事にしているらしい。
ドラガンも教わりながら作っているのだが、どうにも二人のようにはいかない。
「あれ? ドラガン、果実入れって言うてなかった?」
「そのはずだったんだけど……何でこうなったんだろ?」
ベアトリスはドラガンの竹籠を見て指を差して笑っている。
「それやとコップやん」
「じゃあいっそのこと、コップという事にしちゃおう!」
「水漏れてまうのにコップに使えるわけないやん!」
欠陥にもほどがあるとベアトリスは腹を抱えて笑いだした。
何かに使えないかなとドラガンが悩んでいると、イリーナはドラガンの竹細工をしげしげと眺めた。
「スプーン立てには使えるかもね。洗った後水が切れるから。今使うてるやつと交換しましょう」
イリーナはドラガンの竹籠を見ながら、うんうんと頷いている。
「そういえば姉ちゃんもこの季節、スプーン立てに水が溜まってカビが生えるってよく言ってたなあ」
ドラガンは竹籠を見ながらベレメンド村での生活を思い出し、しみじみと言った。
「キシュベール地区では、こういうもん使わへんの?」
「細い木の棒を紐で編んだものを使ってましたけど、水の切れがこんなに良くありませんでしたね」
他所ではそんなもの使ってるんだねと、イリーナとベアトリスは言い合っている。
「そしたら、ほんまに売り出したら売れるんかもしれへんね」
イリーナはニンマリした顔で言った。
「逆に注文が入るかもしれませんよ?」
ドラガンが笑いながら言うと、そんなの恥ずかしいと、イリーナはベアトリスと笑い合った。
「そういえば聞いた事があるわ。サモティノ地区の人ら、魚の加工に大きなザルが欲しいうて、定期的に買いに来るって」
「そういえばサモティノ地区の人たち、キシュベール地区には、
イリーナの言葉に、ドラガンは改めてその事を思い出した。
昔、ゾルタンやアルテムと鍛冶工房に見学に行った事がある。
その時に初めて『サモティノ地区』という名前を学校の授業以外で聞いたのだった。
「キシュベール地区では、サモティノ地区に何かを注文するとか聞きませんでしたけど、ここはサモティノ地区に何か注文ってしてるんですか?」
「うちもそういう話はあんま聞かへんね」
この時期、ベルベシュティ地区では桑の葉の収穫が盛んになる。
桑の葉は『
蚕は芋虫のような幼虫から、成虫になる前に繭を作る。
その繭をほどくと、かなり丈夫な繊維として利用できる。
しかも、その繊維からできる布は光沢があり、大変肌触りが良い。
そのため貴族たちに人気が高く、非常に高額で売れる。
桑には実がなり、ほのかな甘みと爽やかな風味が実に美味しい。
実だけで食べてもこれはこれで美味しいのだが、煮詰めてジャムにすると甘味が増しさらに美味しくなる。
エルフも
だがそこから先、繭から糸にするのを非常に苦手にしている。
更に糸から布にするのも非常に苦手にしている。
そういう作業は人間の方が向いているらしい。
これはキシュベール地区も同様で、キシュベール地区では綿花の栽培が盛んだった。
ドワーフたちも綿花の栽培をしていたのだが、そこから糸にするのが苦手らしい。
人間たちがドワーフたちから綿花を買い取って布にして売っていた。
当然綿花そのものより、布に加工して売却する方が収益はあがる。
それがドワーフたちには、安く買い叩いて高く売っていると感じるらしく、人間との軋轢の元になっていた。
桑の葉を積みながらマチシェニから話を聞くと、やはりドワーフ同様、繭から繊維を取り出しそれを
ただドワーフと異なり、布を購入しそこから先の作業があるらしい。
それが染料である。
香辛料の畑で『ウコン』という芋のような香辛料を栽培しており、これが黄色の染料になる。
また桑の実も染料になる。
『紅花』も栽培しており、これも染料として販売している。
一部の畑で栽培している『藍』という植物も染料として販売している。
エルフは多くの知識を疫病によって失っていったが、そんな中何とか伝えぬいた知識がある。
それが生薬と染料の知識である。
マチシェニの話によると亡くなったイリーナの夫も薬剤師だったらしい。
「幼い頃から家族同然に付き合うてもろたんやけど、ほんま優しい人やったよ」
畑仕事の合間に畑の土手で休憩していると、マチシェニが隣に座ってそう言い出した。
マチシェニは普段は非常に寡黙で、ドラガンも水路の工事までほぼ声を聞いた事が無かった。
だがあの工事からマチシェニの方からこうして話しかけてくれるようになった。
「いつ頃亡くなったんですか?」
「五年ほど前かな。僕もまだ学生やったから詳しい事はわからへんのやけど、病気うつされてもうたんよ」
マチシェニは遠い空を見上げて、当時の事を思い出すように語っている。
「薬剤師だとそういう危険はあるんでしょうね」
「そうやね。今でも覚えとるな。うつる病気やからって、イリーナさん以外部屋に入られへんくて、ベアトリス、父さんの顔が見たい言うて毎日泣いとったんよ」
「イリーナさんはうつらなかったんですね」
「部屋に入ったら、手を洗って、うがいをして、水を飲めって厳しく指示されたらしいよ。それと便所もすぐに掃除して、掃除後は同じようにしろて言われてたらしい」
あの時は本当に大変そうだったとマチシェニは当時を思い出し辛そうな顔をする。
「うつる病気って事は、他にも患者がいたんですよね?」
「そうやね。この村だけでも数人おったね。プラジェニさん、自分も病でしんどいいうに薬を自分で調合して、自分で飲んで、効くかどうか試してたんよ」
「じゃあ薬はできなかったんですか?」
「できて、イリーナさんが隣村の薬剤師にレシピ持っていったんや。だけど、イリーナさんが帰った時には力尽きてしまっとったらしい」
何と高潔な方だとドラガンは詠嘆した。
マチシェニも当時の事を思い出し少し目を潤ませている。
その後、プラジェニさんの薬が効いて流行り病は収束していったらしい。
「ほんまはね、ベアトリスが君を拾って来た時、エルフは皆反対したんやで」
「そうだったんですね……それはそうですよね……」
「当たり前やん。そやけどプラジェニさんの事があるから皆大目に見たんや」
自分が今ここでこうしていられるのは亡くなったイリーナの夫のおかげ。
そう考えるとドラガンは、いかに自分が多くの人の思いや行動によって生かされているかを実感するのだった。
「今では皆英断やったって言うてるけどな。何たって村の救世主やもんな」
改めて口にされると中々に気恥ずかしいものがある。
ドラガンは頭を掻いて照れた。
「昔、言われたんです。誰かのためを思って真面目に仕事をしたら、どんな仕事でも感謝されるんだって」
あの時、モナシーさんから井戸の掘り方を教わったおかげで、こうして皆に認められたのだ。
そう考えるとモナシーさんには感謝してもしきれない。
「そうなんや。その人も立派な人やな」
「どうなんでしょうね。普段は酒場に入り浸りの人でしたからね」
ドラガンは井戸の修繕の時のことを思い出しクスクスと笑い出した。
「ヴラド。人はね、普段がどうかやないんやで。仕事をする時にどんだけ相手を
「そういうもんですかね?」
「そうやで。うちらエルフが人間を嫌うとったんは、相手を騙して儲けよういう魂胆の奴ばっかやったからやもん」
それは村を出てから嫌というほど味わった事だった。
ドラガンはベレメンド村が普通だと思っていた。
だが実際には竜産協会のようなやつらが跋扈しているのだ。
「そやけど君を見て、皆考えは変えたよ。人間にも君のように真面目で良い人は多いんだってね」
「僕はそんな……」
「俺は君の生まれ育った村に興味が湧くよ。一度行ってみたい」
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