第16話 難航

 夕方、スミズニー宅に戻ると、レシアが赤い顔をしてドラガンをちらちら見ていた。

レシアはすぐに夕飯だからとドラガンに言うと、パタパタ音を立てて台所に向かって行く。


 ドラガンも食卓に向かうと、既にクレピーとアテニツァが席に着いてる。

昨晩どれだけ呑んだのか知らないが、二人は朝、トイレを独占し続けていた。

顔色を見るに、どうやら二人とも体調を取り戻したらしい。


 食事が終わり、食器を片付け、ゆっくりお茶を啜っていると、レシアがもじもじしながら、またドラガンの顔をちらちら見始めた。


「ドラガン。さっきね、デニスさんが来たよ。私もアルシュタに付いてく事にしたから」


 衝撃的なレシアの報告にドラガンは思わずお茶を噴き出しそうになった。


「付いてくるって……お仕事の方はどうするの?」


「仕事は別の人がやってくれると思う。元々複数人で交代やってる仕事だから」


 私一人がいなくても全然平気だとレシアは言い張る。


「知らない人がいっぱいのとこに行くんだよ? 何日向こうにいるかもわからないんだよ? 大丈夫なの?」


「そこは大丈夫じゃないけど……でも、ドラガンたちはいるんでしょ?」


 レシアは強がりを言うのだが、アンナは、かなり不安そうな顔で娘の顔を見ている。

別にアルシュタに行ったからって捕って食われるわけじゃないとクレピーが笑い出すと、アテニツァもそうそうと頷いて笑い出した。

そういう問題じゃないと、アンナはクレピーたちに困り顔を向けた。


 生まれてから今まで、レシアはこのエモーナ村からほとんど出た事が無い。

正確に言うと、幼い頃ビュルナ諸島に温泉旅行に行った事はある。

それでもその程度である。

アンナもエモーナ村の生まれで、祖父母の家に行くと言ってもすぐ近所である。

そんなレシアが村を遠く離れ長期間別の街に、それも超大都市に行く。

精神的に持たないのではないかとアンナは不安視している。


 ここまで決まっている随員にレシアが古くから知っている人は誰もいないのではないかと、ドラガンも不安視している。

もし本気で付いて来るというのであれば、誰かせめてサファグンの男性の随員はレシアの知っている人でないと、絶対に精神的に持たないとドラガンも感じている。


 そこまで聞いたクレピーが、私は執事なのでいつでも呼び出していただいて構いませんと言い出した。

アンナとドラガンが、クレピーの顔をじっと見たが二人で首を横に振った。

それはそれでありがたいし大切な事だが、そういう問題じゃない。

ポーレが付いてくるくらいの人事がないと安心ができない。


「でもドラガンはいてくれるんでしょ?」


「どうだろう? 日中は沼に行ってるだろうし、夜は総督に呼ばれるだろうし……」


 ドラガンの言葉に、レシアは眉をひそめ若干不安そうな顔をした。

それを見たドラガンは、レシアが単に知り合いの人と遠くに遊びに行く程度の感覚でしかないと感じた。

単に大都市というものに憧れているだけの少女でしかない。

そんな覚悟では絶対に連れてはいけない。


「でも、でも、そうじゃない時だってあるんだよね?」


「それは、あるだろうけど……」


 遊びに行くんじゃないんだよとドラガンが言うと、レシアは泣き出しそうな顔をしてしまった。

今回は遠慮しておきなさいとアンナが言うと、レシアは、ぶんぶんと首を横に振る。

意固地になって困った娘ねとアンナがため息交じりに言うと、ドラガンも俯いたレシアを困り顔でじっと見つめた。




 翌日ドラガンはポーレとアリサの所に行き、レシアを連れて行くのは無理があるという話をした。

アリサは昔からかなり外交的な娘であり、友達と探検と称して隣村まで遊びに行ってしまった事もある。

話を聞いても、正直アリサにはレシアの不安というものが全く理解できなかった。

ポーレも頻繁に村を離れており、不安だというのはわかるがそこまでの事なのかという感覚らしい。


 ベアトリスとペティアは話をされた段階で即答だった。

すぐに出発はいつになるのと聞いてきたくらいである。

ペティアにいたっては、デザインの良い発想が得られそうと大喜びであった。


 ベアトリスはドラガンが沼の水をどうやって抜こうとしているのか、それに興味があるらしい。

ドラガンがベルベシュティ地区で水に関して色々と施設を作っているのを見ており、ドラガンのやる事に興味津々なのだそうだ。


「付いて行くとは言ってたけど、レシアちゃんは向こうで何をする気なんだろう?」


「さあ。単に旅行気分なんじゃないでしょうか?」


 ポーレはふむうと唸った。

誘ったのは自分である。

それはアリサの強い意向があったからなのだが、改めて考えると色々と無理があると強く実感する。


「それだけだと、確かにすぐに家が恋しくなってしまうかもしれないなあ」


「どれだけの長期滞在になるかわかりませんからね。すぐに帰りたいと泣き出されてしまったら……」


 やはり無理があると思う。

ドラガンが不安を口にすると、横で聞いていたアリサがクスクスと笑い出した。


 あなたが他人を心配するなんてと言って顔をほころばせる。


「昔からあなたが心配される側だったのに随分と成長したものね」


 そう言ってアリサはドラガンの肩をパンパン叩いて笑った。

するとドラガンの膝に乗っていたエレオノラも笑い出し、母を真似てドラガンの顔をぺちぺちと叩いた。

ドラガンは口を尖らせ、ぶすっとした顔で姉から視線を反らした。



「しかし困ったな。もう空いてる枠はサファグンの男性しかいないぞ?」


 ポーレは額をさすって考え込んでいる。


「そういうサファグンの人っているんでしょうか?」


 ドラガンの質問に、ポーレは色々と心当たりを探っている。


「そりゃあ探せばいなくはないだろうが。果たして付いてきてくれるかという問題もあるしなあ。それこそ向こうで何をするかという話もあるし」


 帰ってからの生活も考えれば、単に向こうに長期で遊びに行くというわけにはいかないだろう。

せめて何かしら向こうでできる仕事がある人じゃないと。


 やはりレシアちゃんは、そこまでドラガンが言ったところでアリサが、あの娘だけは絶対に外せないと少し強めに主張した。

ドラガンはこれまで自分の中の疑問ばかりに向き合ってきた。

だけど今、他人の事に興味を持ち始めている。

これはドラガンにとって非常に良い傾向で、今回の事はドラガンが成長する良い機会になると力説した。


 ドラガンは、このひとは何を言っているんだろうという感じで、ぽかんとした表情で聞いている。

ポーレはアリサの思惑がわかるだけに、どうしたものかという表情をした。

ドラガンの膝の上で玩具を鳴らして遊んでいたエレオノラが欠伸をした。



 ポーレには一人心当たりがある事にはあった。

ルメン・アルディノという漁師である。

エモーナ村のサファグンの中でもかなり頭が切れる。

さらに腕っぷしも強く、長い銛を扱わせれば一対一ではまず負けないだろう。

おまけに兄貴肌の人物である。


 年齢はポーレの三つ下、つまりアリサと同じ歳という事になる。

最初バハティ丸の船員をしていたのだが、ある程度漁を理解すると自分で船を購入し毎日のように海底調査を行い定置網を仕掛けた。

この網に驚くほど魚がかかり、船の購入金額は簡単に回収できた。

ところが、その網と漁場をアルディノは他の漁師に譲り、今は養殖ができないか毎日試行錯誤している。


 彼ならアルシュタで何かしら得るものがあるかもしれないと賛同してくれるかもしれない。

さらに研究者気質なところが、もしかしたらドラガンやザレシエとも合うかもしれない。

そう考えたポーレは、サファグンの居住区のアルディノの家に向かった。



 アルディノは幼い頃に父親を仕事中の事故で亡くしており、現在は母親と二人で暮らしている。

アルディノがあまりお金に執着が無い関係で、家は非常に貧しく、母親も網の修繕を手伝い生計を立てている。


 アルシュタ行きの随員の話をすると、アルディノは気持ちはありがたいし確かにアルシュタに行けば何かしら得るものはあるだろうが、一人母を置いては行けないと言って断った。

一昨年の前村長が殺害された騒ぎの中で母は姉を失っており、今一人になったら頼れる人がいない。

そんな母を見捨ててアルシュタに行くなど自分にはできない。


 ただ自分もドラガンの事は地区を救った英雄、さらにはサファグンに富をもたらした人物と思っており、敬愛もしていて助けてあげたいとは思う。

もちろん、この事を首長に相談すれば母の事は気にするなとは言うだろう。

だがそれでは自分の気が済まない。


 アルディノの意志は簡単には揺らぎそうになく、ポーレは、出発まではまだ時間があるから考えておいてくれと言うほかなかった。

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