第17話 出航

 エモーナ村に来てからアテニツァは毎晩のようにアンナと一緒にサファグンの居住区に酒を呑みに行っている。

アルシュタにいた時もそうだったがアテニツァは非常に人懐っこい性格をしている。

年齢は十六歳なのでレシアと同じである。

なのにレシアと一緒にいるとアテニツァの方が弟に感じる。



 アテニツァはアルシュタで生まれ育っている。

アテニツァの父もアルシュタの生まれだが、母は幼い頃にルガフシーナ地区から移住してきたらしい。


 ルガフシーナ地区はキンメリア大陸の南東、ベスメルチャ連峰の南東の外れの平原地帯である。

そこから海府アルシュタまではちゃんとした街道は通っていない。

どのトロルも海岸線を沿うように北上し徒歩でアルシュタに向かう。


 そんな旅程なので、病気になっても医者にもかかれず薬も飲めない。

道中ベスメルチャ連峰の森に入り木陰にテントを張り、夜を過ごしたり雨露を凌いだりする。

ちょっと空を飛んでくるだけでアルシュタに来れるセイレーンとは全く難度が異なる厳しい旅程なのである。

幼い娘を連れて踏破となると相当な苦労があった事が容易に偲ばれる。


 場所からすれば王都アバンハードの方がよほど近い。

その為トロルの中にはアバンハードに行く者も多い。

途中ソロク川という暴れ川があり、そこを無事渡るという、こちらもこちらでかなりの難度を誇ってはいるのだが。


 アルシュタでは亜人は二等市民扱いを受けている。

アルシュタ内に人間用の学校は随所にあるのだが、亜人用の学校はトロルとセイレーン、それぞれ東西に計四か所しかない。

決して子供の数が少ないわけではない為、かなりの数の子供がその学校に集まる事になる。


 そうなると派閥もできるしいじめも起こる。

教師も亜人であり、そこまで数が多いわけではない為、どうしてもいじめの裁定はおざなりになりやすい。

多くの亜人は、この学校で世の理不尽さと身の守り方を学ぶのである。



 アテニツァには姉が三人もいるということなので、恐らくそちらでもかなりこれまで苦労してきただろう事が想像できる。

アンナは漁師の奥さん仲間を誘って、アテニツァからそんな話を聞きながら酒を呑んでいる。

そのせいか、一週間ほどでアテニツァは漁師の奥さんたちから大人気で引っ張りだこになっていた。

毎晩のように奥さんたちがやってきて、呑みに行こうと誘っている。

ただアテニツァはそこまで酒が呑めるわけではない。

朝になると気持ちが悪いと言って、アンナに貝のスープを作ってもらいちびちびと飲んでいる。



 そんなアテニツァを、クレピーはエモーナ村に来るまでは苦々しく思っていた。

クレピーは家宰のロヴィーから、アテニツァが粗相を働かないように目を光らせろと言われてきている。

当初は、ドラガンの家族に何かしでかしでもしたらアルシュタに戻ってから自分がどんな事になるかと、自分よりもアテニツァの心配ばかりしていた。


 その張った肩肘が見事に払われる事が初日にあった。

この村に来て早々、アテニツァと二人で酔い潰れてしまったのだ。

今思い起こしても悔しさで泣き出したくなる。

一人で歩けなかったらしく、同じく酔いつぶれていたアテニツァと共にホロデッツたちに背負われてスミズニー宅まで連れて来てもらった。


 そこまで酒に弱いはずもなく、何故あんなに酔ったのか未だにわからない。

その後食事処で会ったペニャッキの話によると、べろべろになってサファグンの女の娘たちに介抱されていたらしい。

しかも一度嘔吐すると、そこからぶつぶつと何か言いながらサファグンの娘の膝枕で寝ていたらしい。

そのサファグンの女性にはしっかりと謝罪した。

サファグンの女性は執事っていうのも何かと大変なのねと言って笑っていた。

悲しいかな何も覚えていない。

一体自分はそのサファグンに何を口走ってしまったのだろう……


 そこからクレピーはアテニツァへの干渉を完全にやめた。

どんな事があっても、ここにいる間は好きに伸び伸び過ごしたら良いと微笑んだ。

クレピー自身も完全に羽目を外して、毎晩のようにサファグンの女性と酒を呑んでいる。




 エモーナ村に帰って来てから、もうすぐ一月になろうとしている。

年が明け、新年も数日が過ぎ、すっかり日常の生活が戻っている。


 そんなある日、アルシュタからお迎えがやってきた。

先行でプラマンタ飛んできた。

そこを漁をしていたリヴネに見つけてもらった。


 プラマンタはドラガンの下に来て、お久しぶりですねと言って手を取った。

もう近くまで迎えの船が来ているので出立の準備をして欲しいとお願いすると、クレピーにも挨拶をした。



 そこから半日ほどして迎えの船がやってきた。

エモーナ村に帰って来た船とは大きさは同じだが違う船だった。

小舟に乗って艦長がやってきて、ドラガンを見ると敬礼し、総督の命でお迎えにあがりましたと堅苦しく言った。

ドラガンはよろしくお願いいたしますと言って頭を下げると、どうしてもアルシュタを見たいと言っている者がいるので随員として連れて行こうと思うが構わないかと艦長に尋ねた。

恐らく随員がいるだろうから一緒にと総督からは言われていると、艦長は一切表情を崩すことなく言った。


 最初に艦長と共に、ドラガン、ザレシエ、ペティア、アテニツァが乗り込んだ。

第二陣として、レシア、ベアトリス、アルディノ、クレピーが乗り込んだ。



 あれから一月、アルディノは色々なサファグンから説得を受けた。

母からも自分の事は気にせずドラガンの役に立ちなさいと言われた。

それでもまだ渋っていた。


 最終的にアルディノの心を動かしたのはアリサだった。

アリサはポーレに頼んでアルディノの家に出向いた。

レシアの事を話し、あなたの研究にレシアを補佐につけて欲しいとお願いした。

今回レシアは、ただ弟と一緒にいたいというだけで付いて行こうとしている。

弟はあの通りの子だからレシアの気持ちには気付かないだろうし、レシアは恐らく向こうで何度も悲しい思いをするだろう。

あの娘の性格からして心が折れてしまうかもしれない。

だからレシアを支えてやって欲しい。

そう言ってアリサはアルディノに深々と頭を下げた。


 アルディノは恐縮してしまい、そういう事でしたら万事自分に任せて欲しいと胸を叩いた。

二人の仲がどうなるかは知らないが、少なくとも途中で帰ると言わないようにレシアを支えてみせる。

それと自分以外には男性はザレシエだけと聞く。

その者だけでは元気な女性三人は制御できないだろう。

自分が随行の四人をきっちりと引率します。

良い笑顔でアルディノは言った。



 ぴぃぃぃという甲高い音を竜笛が鳴らすと、海竜は船を曳きアルシュタに向かって泳ぎ出した。


 ペティアはさっそく帳面を出し、あちらこちらを紙に描いている。

ベアトリスは食堂にいるドラガンのところに来て、向こうについたら何するのと目を輝かせて尋ねている。

ザレシエはクレピーと船長と今後の事を話し合っている。


 アルディノは船内を見渡し、レシアの姿が見えないと感じると船室を探しに来た。

その中の一室、戸が開けられた状態の部屋の奥にレシアはいた。

船室で一人ぽつんと荷物を大事そうに抱え窓の外を見ている。


「どうしたのレシアちゃん。まだ村を出て一時間も経っとらんよ?」


「あ、ルメンさん!」


 アルディノの顔を見てレシアはどこかほっとした顔をした。


 アルディノは漁師であり、市場で働いているレシアとは古くから面識がある。

そもそもアルディノは元々『バハティ丸』の船員をしており、船主の娘としても接していた事がある。

今回の随員の中で、レシアが唯一昔から知っている人なのである。


「もう帰りとうなってしもうたんじゃろうか?」


「帰りたいだなんて、そんな事は……」


 そう言うとレシアは少し寂しそうな目をして窓の外に視線を向けた。

アルディノは船室に入りレシアの肩をポンと叩いた。


「実はさ、レシアちゃんにお願いしたい事があるんじゃけど良えかな?」


「どんな事ですか? 私にできる事でしたら」


 アルディノは自分でできる精一杯の優しい顔でレシアに語り掛けている。

レシアもそんなアルディノにどこか安心感を感じている。


「向こうに着いたら、わしの研究をてごしてもらいたいんじゃけど、どうかな?」


「あ、はい。私、暇だから構いませんよ」


 レシアは初めて顔をほころばせ、小さく笑い声を発した。

アルディノは笑顔を崩さなかったが、内心、ここで断られたらどうしたもんだろうと冷や冷やしていた。


「ありがとの。助かるよ。じゃあ、よろしゅうね」


 アルディノは二っと笑うとレシアの手を引き、カーリクたちが食堂にいるから一緒に茶でも飲もうと誘った。

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