第18話 船酔い

 海竜は日中は活動できるが、夜はあまり目が見えないらしく寝てしまう。

その為、そこそこの浅瀬に移動し錨を降ろして休憩する。


 航海一日目の夜から少し風が出て船が揺れた。

例の網の上で寝て夜を過ごすのだが、ザレシエとベアトリスはそんな経験が無く、全く寝付けなかったらしい。

船員から、板を敷いてその上に毛布を敷くと寝返りがうてて寝やすいと教えてもらい、それでザレシエは眠れたらしい。

だがベアトリスはそれでもダメだったらしい。

揺れる船上で夜風に当たりながら夜通し船内をうろうろし朝を迎えてしまった。


 睡眠不足は船上生活において致命的である。

特に船に慣れぬ者にとっては最悪だった。

朝食後ベアトリスは、完全に船酔いしてトイレに籠ってしまった。


 ただ、ここでどこかの港に寄港しても旅程が伸びるだけである。

そこで休憩しても、どうせ数時間後にはまた同じ事になる。

それよりは何か工夫をして船酔いをおさめてもらった方が良い。

そういう結論になった。


 船は航路を外れ、比較的岸に近い波の穏やかな場所を進む事になった。

そういう場所は基本的には近隣の村の漁場であり仕掛けが仕掛けてある事が多い。

前方を注視して、そういう場所を極力避けながらの航海となった。


 ベアトリスにはなるべく船の中央の船室に移ってもらい、窓を開けそこの網で寝てもらった。

かなり大きい板を網に敷き、その上に何枚か毛布を敷き、その上で寝てもらう。

それでも少し揺れるだけで吐き気をもよおしてしまう。

あまりに顔色が悪く終いには熱まで出てきてしまった。

ただ、多少は寝れるようになったようで、熱冷ましの薬を飲むと目を閉じ可愛い寝息をたてた。


 ドラガンはベアトリスを心配して何度も様子を見に行った。

目が覚めるとベアトリスはドラガンの手をとって、か細い声でアルシュタにはいつ着くのと尋ねた。

明日の昼だよと答えると、それまで生きていられるかなと泣きそうな顔で言った。


「いやいや。船酔いで死んだなんて話、聞いた事無いから」


 ドラガンが大笑いすると、ベアトリスは拗ねたような顔をし口を尖らせる。

ベアトリスの頭を優しく撫でると、しんどいだろうけど向こうに着くまでの辛抱だからと優しく言った。


 ドラガンが部屋を出ようとすると、ベアトリスは寝るまでここにいてとせがんだ。

ジャームベック村にいた頃からそうだったが、ベアトリスは普段は姉と敬えといった態度で少し高飛車なところがある。

だが病気などで一度自分の気分が落ちると、打って変わって子供のように甘えん坊になる。

恐らく生来甘え上手だったが、成長するにつれて気負う事を覚えていったのだろう。


 ドラガンは甘えられる事に弱いところがある。

仕方ないなあと言いながら椅子を持ち出し、ベアトリスが眠るまで手を握ってあげた。



 食堂に戻ったドラガンに、クレピーがベアトリスさんの具合はどうですかと尋ねた。

ドラガンは少し困り顔をして厳しいですねと答えた。

あの感じだと回復にも少しかかってしまうかもしれない。

ただ、比較的浅い海域を通ってもらえた事で少し落ちついたらしく寝れるようになったらしい。

残り一日だから、このままなら持つんじゃないだろうか。

ドラガンは淹れてもらっていたお茶を飲みながらそう説明した。


 エルフは船に慣れていないから。

そう言ったザレシエも、よく見ると少し顔色が悪い。


 ザレシエはロハティンで生まれて初めて海を見たらしい。

エモーナ村に来て、生まれて初めて船というものに乗ったのだそうだ。

……造船所の中でだが。

長命なエルフではあるが、その長い人生の中で海を見て亡くなる者が果たしてどの程度いるのだろうか。

エルフは森の民で、一生を森の中で過ごす者も多い。

そもそもエルフは好奇心は異常に強いのだが、その割に土着意識が強く村を離れる者が少ない。

中には冒険者としてロハティンにやってくる者もいる。

そうした者も海を見たというだけで好奇心を満たしてしまい、船に乗ろうと言う者はほとんどいないだろう。

ベアトリスにしても自分にしても、ドラガンに興味を抱かなければ果たしてその人生の中で船に乗るような事があったかどうか。

そこまで話すとザレシエも少し外の風に当たってくると言って食堂を出て行った。



 ザレシエが部屋を出ると、アルディノが自分はアルシュタに行ったら向こうの漁を研究しようと思っているとお茶を飲みながら嬉しそうに言った。

アルディノはクレピーに向こうではどんな漁が盛んなのかと尋ねた。

クレピーは少し悩み、あまり興味が無いので良くは知らないが、市場にあがる魚種は結構豊富だと聞いた事があると答えた。

向こうに着いたら自分が漁業関係者と話を通しておきますと言って微笑んだ。

アルディノはそれは心強いと喜び、クレピーの手を取り、ありがとうと礼を述べた。


「そうそう、ドラガン。レシアちゃんだけど、暇じゃ言うけえ、わしの研究をてごしてもらう事にしたけえ」


 ドラガンは驚いてアルディノの顔をまじまと見てしまった。

よろしくお願いしますと頭を下げると、アルディノは笑い出し、任せろと胸を叩いた。


「ところで何を研究するんですか?」


「養殖じゃ。漁で獲るじゃろ。そがいしたら、こまいのが入るんじゃ。それを大きゅう育てて売るんじゃ」


 その為には餌の研究をしないといけない。

当然魚種によって好む餌は違うだろうし、それを探っていくのが主な研究となる。


「おお。それは凄い発想ですね。僕も船に乗ってた時に覚えがあります、あれ全部捨てちゃうんですよね」


「捨てるいうか海に戻すんじゃよ。ほんじゃが、いっぺん獲った魚は弱ってしまうけえ、戻してもすぐに死んでしまうんじゃ」


 我々漁師は大きくなってまた獲れば良いと考えるのだが、大抵の場合、放たれた幼魚はすぐに海鳥やより大型の魚の餌になってしまう。


「なるほど、その弱った魚がすぐに餌にならないように隔離して育てるんですか」


「ほうじゃ。君はどう思う? できる思うか?」


 確かに理論上、それが可能になれば天然物とまではいかないが捨ててしまうよりは収入になるかもしれない。

案外、天然物よりも油が乗って美味しくなるなんて事もあるかもしれない。


「ところで、レシアちゃんには何をしてもらうんですか?」


「観察記録を付けてもらうんじゃ。重要な仕事やぞ」


 ドラガンは非常に嬉しそうな顔し、頑張ってねとレシアを励ました。

レシアは少し赤い顔をし手をもじもじさせて、うん、がんばると、か細い声で言った。


「こっちが落ち着いたら、ザレシエと二人で様子を見に行きますね」


 ザレシエが真珠の養殖を成功させたという事はアルディノの耳に入っている。

そんな人物の助力を得られるならば、これほど心強い事は無いだろう。


「おう。すまんな。恐らく、どっかで壁に当たるじゃろうけえ、その時は知恵を貸してくれ」


「その時は夕飯の際にでも遠慮なく言ってください。多分、ザレシエもそういうの好きでしょうから」



 アルディノはお茶を啜ると話題を変えた。


「ところでドラガン、あの甲板でずっと絵を描いとる娘は誰なんじゃ?」


 そう言ってペティアの事を聞いてきた。


 ドラガンは少し意外だった。

ペティアは二つ隣の村の出とはいえ、エモーナ村からそこまで離れた村なわけではない。

しかも防風林に工房が移ってからは、ずっとエモーナ村に住んでいる。

アルディノもエモーナ村に生まれ育ったのだから、てっきり顔馴染みだとばかり思っていた。

さらにいえばドラガンはペティアたち工房の連中と頻繁に酒を呑みに行っている。

その際に何度か顔を合わせた事があるはずなのだが。


 思い出せん。

幼馴染なわけでは無いから、村で見ていれば、あれはどこのサファグンだとなるはずなのに。

そのアルディノの疑問に、人間の居住区に住んでるからじゃないですかと何故かクレピーが言い出した。

サファグンの居住区は結構閉鎖的で中々新たな筏を受け入れてくれない。

その為、エモーナ村の工房で働く際、人間の居住区に住む事にしたらしい。


「誰から聞いたの、それ?」


「サファグンのお姉さんたちとの呑み会でペティアさんから直接……」


 あんたはどんだけエモーナ村での生活を謳歌していたんだと、アルディノが大笑いした。

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