第22話 死霊
ドラガンはロベアスカ首長と二人、ジャームベック村へ帰った。
帰り道、ロベアスカはドラガンに緊張したと言って苦笑いした。
「大物ばかりで、俺の場違い感が凄かったわ」
ロベアスカは、変な汗をかいたようで服の胸元をパタパタと仰いでいる。
綺麗に三つ編みに編まれていた飴色の髪も、所々ほつれ気味である。
「族長から褒められてたじゃないですか」
「ああいうんは慰められてたいうんや。大人の言い回しいうやつやな」
相変わらず純粋な子だとロベアスカは感じた。
夕日に照らされてなのか、ドラガンの瞳が一際澄んで見える。
「まだ僕にはよくわかんないですね。言われたらその通りに感じちゃう」
「君はそれで良えと思うよ。それも君の魅力のうちやと思うしね。辺境伯も言うてたやろ? 話の裏を読んで指摘してくれるような人を探したら良えんやって」
「そんな人、どうやって探していけば良いんでしょうね?」
――ヘルムート・ロベアスカは、昨年、娘の一人を病で失くしている。
日中、友達の娘と溜池の方に遊びに行ったらしい。
その日の夜、娘は急に倒れ高熱にうなされた。
それから何日も高熱が続き、徐々に体力が失われていき、寝床から起きられなくなってしまった。
「父さん、喉が渇いた」
消え去りそうな小さな声で娘はロベアスカに訴えた。
ロベアスカは竹筒を握りしめて川まで走り、水を汲んで来て娘に飲ませた。
娘は一口水を飲むと小さな手でロベアスカの手を握り、冷たくて美味しいと微笑んだ。
その日の夜、娘は短い生涯を閉じた。
ロベアスカの娘の葬儀を見たドラガンは、幼い子が風土病で亡くなるなんて間違っていると、一人で井戸を掘りはじめ水路を整備しはじめた。
ドラガンが井戸や水路という形で娘の死を弔ってくれたと、ロベアスカは妻と二人大変感謝している。
バラネシュティ首長も、そんな二人の事を良く知っており、ドラガンの事を大切にしてくれるだろうと考え首長に推薦したのだった。
首長になる前は木こり集団の副棟梁をしていたのだが、首長になってからは首長業に専念している。
思った以上に気苦労が多いらしく、安請け合いしたと少し後悔しているらしい――
「うちの村にも君を慕う者は多いからね。まずは、そういった者と交遊を深めていくんが良えんやないかな」
「僕、お酒呑めないんですよね。呑むとすぐ眠くなっちゃって……」
「まだ無理して呑んだらあかんよ。酒を呑まずに酒宴に参加する方法を学んでいくと良えかもしれんね」
お酒なんて何が美味しいのかよくわからないと口を尖らせるドラガンに、ロベアスカは、味覚は歳と共に変わるもんだと笑った。
こんなに若いのに、何も知らない無垢な青年にしか見えないのに、地区で成し遂げた業績は石像を建てねばならぬくらい偉大な事なのだ。
『水神アパ・プルーの使い』と呼んで神格化する者すらいる。
不思議な人だとロベアスカはクスリと笑った。
「さっき辺境伯が言うてたけど、良えなって思う娘おらへんの?」
「えっ……あっ、えっと、えっと……」
「その感じ、おらへんみたいやな……」
ドラガンは耳を真っ赤にして照れている。
ドラガンくらいの年齢なら、そういう娘の一人や二人いてもおかしくないだろうに。
よく『英雄色を好む』と言われるが、どうやらこの青年には当てはまらないらしいとロベアスカは感じた。
「すみません……」
「別に謝ることと違うよ。まだそういう娘見つからへんのやいうだけや」
なぜか申し訳なさそうにするドラガンに、ロベアスカは悪い事を言ってしまったかもと少し後悔した。
ドラガンは恥ずかしがって手をもじもじと擦っており、ロベアスカから見ても何だかいじらしく見えてきてしまう。
「見つけた方が良いんでしょうか?」
「……努力で何とかなることと違うで? 君の感性の問題なんやから」
「そうなんですね……」
ダメだこりゃ。
ドラガンの反応にロベアスカは、そっちの方は当分先だなと何かを諦めた。
プラジェニ家に帰ると、何だか姉の様子がおかしかった。
ドラガンを見て首を傾げ首をぶるぶると横に振る。
どうかしたのと尋ねると、あなた私に隠し事なんてしてないよねと逆に質問をされた。
何の事かわからないがしてないと思うと答えると、ううむと唸ってしまう。
朝、キノコ畑に行き、木陰で用を足している時に何かを見たらしく、そこからずっとこの調子だとベアトリスが説明した。
最初、この世のものではない何かを見たような、そんな恐怖に怯えた顔をしていた。
だがその後、落ち着きを取り戻すと何度も首を傾げた。
どうしたのと何度も聞くのだが無言で首を傾げるだけなのだとか。
夕食後、ドラガンは意を決してアリサに何があったのか詳しく話を聞く事にした。
「姉ちゃん、どうしたの? 何か変だよ?」
アリサは未だに困惑している。
だが、言ったらドラガンに馬鹿にされるかもと思い、中々言い出せないでいた。
「ドラガン。変な事を聞くようだけど、間違いなく、あの人は亡くなったのよね?」
「あの人ってロマンさんの事?」
「うん。ちゃんと亡くなった事を確認したのよね?」
あの時、ドラガンは山賊たちの手を借りて、亡骸を埋葬までしたのだ。
めった刺しにされていて、万に一つも生きているような怪我では無かった。
さすがに遺体の状況をアリサに話すわけにはいかないのだが。
「もちろんだよ。姉ちゃんもお墓見たんでしょ?」
「見たけど……私、お墓しか見てないから」
ここまで言うからには、よほど何か決定的なものを見たのだろう。
だけどロマンは間違いなくドラガンがその手で埋葬したのだ。
「何、キノコ畑で死霊でも見たの?」
「死霊……死霊かあ。死霊なのかなあ……」
アリサは腕を組み虚空を眺め、あの時のことを思い出している。
「まさか、ロマンさんを見たの?」
「見間違いじゃないと思うんだよね……」
アリサは淡々と話しているが、ドラガンの顔はかなり引きつっている。
怖いというのもあるのだが、姉に対する馬鹿馬鹿しいという感情が今のところは勝っている。
ベアトリスとイリーナは、怪談を聞いているかのようで顔が少し青ざめている。
「確かにあの森、たまに『出る』のよね……」
イリーナが顔を強張らせた。
特にこれくらいの時期の霧が深い朝に。
イリーナも実は何度か死霊と思しき何かを見た事があるらしい。
ベアトリスが泣き出しそうな顔で、止めてよとイリーナの腕を叩いた。
ドラガンは、かなり引きつった顔で頬を掻き、再度アリサに問い掛けた。
「何でロマンさんって思ったの?」
「最初声が聞こえたのよ。遭いたいって思いが溢れちゃったのかなって、そう思いはしたのよ」
アリサの表情は、恐怖というよりロマンにまた会えた事を喜んでいるかのようである。
「似た声の人なんじゃないの?」
「間違いないわよ! あの人の声を聞き間違えるわけないもの!」
馬鹿にしないでと、アリサは少し不貞腐れたような仕草をする。
ドラガンは姉の感情がイマイチ掴めず、少し困惑している。
「声が聞こえただけなの?」
「気になったからね、幽霊でも良いから遭いたいって思ってね、声の方に行ってみたの! そうしたらいたのよ!」
イリーナとベアトリスは『いたのよ!』の部分で、ひっと小さく悲鳴をあげた。
隣にいたベアトリスは、涙目でドラガンにしがみついた。
ドラガンはそんな二人を見て、少しだけあった恐怖心がどこかに飛んで行った。
「いるわけないじゃん。亡くなったんだから」
「もしかしたら、あなたが何か嘘ついてるんじゃないかって……」
はにかみながら言うアリサに、ドラガンは付き合い切れないという顔をした。
「何でそんな事しなきゃいけないんだよ……」
「ほら、浮気してて別の女のとこに行ったとかさ」
ドラガンはわけのわからない事を言い出した姉を鼻で笑った。
「姉ちゃんは、そんな人を好きになったの?」
「そうじゃないと信じてるわよ! だけどさ、行商なんてしてたら、わかんないじゃない」
この人は一体何を言っているのだろうとドラガンは感じている。
そもそも仮に姉の言う通りだったとして、死んだ事にしてまで自分の前から去った人を、じっと思い焦がれてどうしようと言うのだろう?
「あのねえ。僕らがロハティンでどんな目に遭ったか、姉ちゃん全部聞いたでしょ?」
「聞いたけど……だけど間違いなく、あれはあの人だったのよ!」
馬鹿馬鹿しい。
ドラガンは非常に冷たい目で姉を見ている。
イリーナの顔は完全に青ざめているし、ドラガンの服を掴むベアトリスの手は恐怖で震えている。
ドラガンはかなり呆れ気味に天井に視線を移した。
「そもそもロマンさんをどこで見たの?」
「二つ隣の村の樹林よ。そこであの人が薄霧の中木を見ながらうろうろしてたの」
姉の記憶が変にはっきりとしている事がドラガンは気になった。
死霊であれば恐怖で色々と詳細がボケても不思議じゃないのに。
「声はかけなかったの?」
「何だかドキドキしちゃって……」
頬を赤らめ照れて体をくねらすアリサに、ドラガンは呆れてため息をついた。
「自分の夫でしょうが!」
「夫だって遭いたいって思ってるところに不意に現れたらドキドキするの! そういうもんなの!」
意味が分からん。
ドラガンは憤って、じっとりとした目でアリサを見続けている。
「で、その後はどうなったの?」
「それがね、どうしようっておたおたしてるうちに姿を消しちゃったのよ」
それから森の中を探し回ったのだが、もうどこにもいなかったのだそうだ。
迷子になったところにベアトリスの声が聞こえ、何とか合流できたのだとか。
「本当に死霊だったんじゃないの?」
「私も若干そう思わなくもないんだよね……」
良かったじゃない死霊でもロマンさんに会えてとドラガンが嘲笑すると、アリサは、そう考える事にするわと微笑んだ。
ただその横で、明日からキノコ畑の作業どうしようと、イリーナとベアトリスは声を震わせながら言い合った。
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