第37話 詰み
翌朝、目が覚めると唯一の荷物である巾着袋が無かった。
周囲を見渡すと一緒に寝ていた人たちが一人もいない。
焦って外に出ると、西街道に巾着が捨てられているのを見つけた。
中身を見ると姉の編んだレースのハンカチしか入っていない。
しかも短剣で切られている。
辺りを見渡すと何か光っているものが見える。
近寄ると、それがラスコッドの小刀である事がわかった。
十本あったはずだが二本だけ。
それをしまっていた皮袋も見当たらない。
さらにロハティン方向に歩いていくと丸まった紙が見つかった。
開いてみるとラスコッドの手紙だった。
そこからかなり探し回ってみたが、後は何一つ見つからなかった。
なんとか立ち上がらせていたドラガンの心を絶望感が完全にへし折った。
荷物を盗まれた事を休憩所の管理人に申告した。
だが管理人は賠償を請求されたと感じたらしく自己責任だと声を荒げた。
「そもそも一緒にお泊りいただいた方々は竜産協会の方々ですよ。そのような事をあの方々が本当にしただなんて、にわかには信じられませんがね」
管理人の口から『竜産協会』の名前が出て、ドラガンはその場に崩れ落ちそうになった。
「どうして竜産協会がこんなところにまで……」
ドラガンがそう呟くと、管理人はドラガンを酷く冷たい目で見た。
『こんなところ』と言ったのを誹謗されたと取ったのだろう。
「王都から西府への伝令で、毎回うちの休憩所を贔屓にしてくださっているんですよ」
管理人はじろりとドラガンの姿を見る。
明らかにドラガンを怪しんでいる目である。
「それに、昨日は黙っていてやったんだがね、あんた街道で人を襲っただろ。でなきゃお前みたいな小僧が金貨なんて持っているはずがない。せめて途中で血ぐらい落としてくれば良いものを」
管理人に指摘され、ドラガンは自分の服装を確認した。
昨日はそこまで気にならなかったが、こうして明るくなってから見てみると、あちこち血の乾いた跡がつきまくっている。
「いや、これは……これには理由があって……」
ドラガンが怯んだのを見て、管理人はその疑惑を確証に変えたらしい。
「どんな理由か知らないが、とっとと出て行ってくれないか? 何なら街道警備隊に通報しても良いんだぞ!」
ふと管理人室を見ると皮の腰紐が見えた。
「これか? これは先ほどの方々が世話になったからって料金とは別に置いて行ってくれたんだよ。それがどうかしたのか?」
管理人は盗られると感じたらしく、ドラガンの視界から革紐を隠した。
「それ盗まれた僕の腰紐なんです。返してくれませんか?」
ドラガンの懇願に、いよいよ管理人は怒り出した。
「いいかげんにしろ! このクソガキが!! もう良い! 街道警備隊に付き出してやる! 人が親切にしてやればつけあがりやがって! 人殺しの分際で!」
管理人がドラガンの腕を取った。
腕を振り払おうとしたが掴む力が強く中々振り払えない。
ドラガンはとっさにラスコッドの小刀を右手に持ち管理人の手に突き刺した。
怯んだ隙に小刀を引き抜き、全力で休憩所を飛び出したのだった。
そこから必死に走った。
先ほどの管理人がかなりしつこく追いかけてきている。
だが、かなり走ったところで管理人の姿は見えなくなった。
切り裂かれたレースのハンカチ、ラスコッドの小刀と手紙、巾着袋。
所持品はもはやこれだけしかない。
これ以上は、進むことも戻る事もできない。
しかもこのまま街道を歩けば、街道警備隊に捕まってしまう。
捕まれば恐らく処刑されてしまうのだろう。
ドラガンは無意識に街道の東、ベルベシュティの森を歩いていた。
街道に人影が見えると、その都度木陰に隠れた。
途中野生の山桃の木があり、実を取って空腹を満たした。
近くに小川もあり、水を飲み乾きを潤した。
木陰に座り、今後どうしたら良いかじっと考えた。
いつまでもここにいては死を待つだけだろう。
夜になれば野獣も出る。
少なくとも自分の腕では野獣を倒せるわけがない。
だが動けば次に食料がいつ見つかるかわからない。
水も次いつ飲めるかわからない。
そもそも動くと言っても当てが無い。
どこを目指せというのか?
その時ふとラスコッドの事を思い出した。
確かあの時、ラスコッドは冒険者を訪ね万事屋に行った。
そこで竜産協会の件を噂で流せと知恵を借りた。
もしかしたら冒険者たちなら自分を匿ってくれるかもしれない。
であれば目的地は一つ。
『西府ロハティン』
ただどうやって行くか。
手段は徒歩しかなく街道は使えない。
行くなら街道横のベルベシュティの森を隠れながら行くしかない。
昼と夜、どちらが危険かを考えれば断然夜だろう。
であれば、昼に木陰に隠れて休み夜に進むというのが比較的危険が少ないかもしれない。
ドラガンは山桃の実をいくつか食べ木陰で体を休めた。
陽が沈み辺りが月明かりだけになった薄暗闇の中、ドラガンは立ち上がり北へと歩みを進めた。
周囲は静まっており、ドラガンの足音以外は草木が風になびく音と虫のさえずりしか聞こえない。
そんな中月明かりだけを頼りにひたすら歩いた。
その日の夜、エルヴァラスチャの休憩所を通過した。
エルヴァラスチャは、
だがドラガンは空腹を我慢し、ひたすら西府を目指し北に進んだ。
空が白み始めた頃、ドラガンはまた山桃の木を見つけた。
目に見えぬ何かが、ドラガンに生きろと言ってくれているかのように感じる。
もうほとんど心は折れていたが、それでも山桃の実を食べ木陰に隠れ眠った。
そこから六日が過ぎた。
昼は木陰で寝むり、夜ひたすら歩く。
途中大きな木の葉を見つけ、それを折り曲げて木の実を入れて弁当にした。
さらに、つるつるした木の葉を前後に丸めて匙を作った。
川が見えるとそこを休憩地として、木の実を食べ、水を飲み、また歩き出す。
七日目、ついに限界を向かえた。
陽が落ち周囲が暗くなり始めたのに、足が鉛のように重く動かない。
何故か体のそこかしかこが痛い。
外気が異常に寒く感じる。
それなのに汗が噴き出してくる。
もはやここまでか……
そう思ったドラガンだったが、それでも何とか立ち上がり、ふらふらという足取りで何とか前に向かって歩いた。
だが、突然目の前がぐらりと揺れた。
ドラガンは、そこでついに力尽きてしまったのだった。
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