第2話 思い

 ふらふらとした足取りのドラガンを連れて会議室を出ると、ザレシエはそのまま食堂広場へと向かった。

食堂広場の責任者はコウトで、その下でイネッサ、レシアの母アンナ、ベアトリスの母イリーナが働いている。


 実は食堂広場は、今出る生ゴミの処分の事で揉めている。

元々はプリモシュテン地域を水抜き工事してた時には生ゴミは細かくして海に撒いていた。

サモティノ地区でもそうだったが、人にとってはゴミかもしれないが海洋生物にとっては豪華な食事なのだ。

コウトもサファグンの居住区で店を構えていた関係でそういう感覚であった。


 ところがそれを知ったマチシェニが怒った。

マチシェニの感覚では生ゴミは畑の一角に溜めて肥料にするものなのである。

サモティノ地区でも、各家々から出る排泄物と一緒に生ゴミも貰って肥料としていた。

だが、どういうわけかプリモシュテンでは排泄物は集まるが生ゴミが集まらない。

生ゴミはどこにいっているのだろうと訝しんでいたところ、海に捨てている事がわかったのだった。


 そこから漁業に従事するサファグンたちと、農業をこよなく愛すようになった元山賊たちでゴミの奪い合いが起きた。

最初、マチシェニとホロデッツで協議を行い、海から取れたゴミは海へ、畑から取れたゴミは畑へという仕切りになった。

だが食堂ではそんな面倒な分類は嫌だと言って、いつものように海に捨てる有様。


 さらにマチシェニは畑の活性化に貝殻が必要だと主張し始めた。

貝殻は建築で大量に使用している三和土たたきに不可欠な材料である。

今度はマチシェニとオラティヴで貝殻の取り合いでも揉め始めている。



 二人に海鮮スープ、焼き野菜、パンを差し出すと、コウトも一緒に席に着いてそんな話をした。


「うちらにしたら全部ゴミなんだけどね。あの人たちには大切な資材なんだそうで」


 話を聞いてもドラガンは何の反応も示さない。

その態度でコウトはドラガンがまだ放心状態にあることを察した。


「ザレシエ。俺はもうここから逃げるのは御免だぜ? ここはパン・ベレメンドたちと見つけた安住の地なんだから。だから、お前の賢い頭を使って、しっかりアリサさんの仇をとってくれよ。俺も、いや食堂一同、いやこの街の住民全員がそれを望んでるんだから」


 竜産協会のやつらに毒を盛れと言われれば、眉一つ動かさずに盛ってやるとコウトは言ってのけた。

皆それくらいの覚悟を持っていると。


「そんなん言われたら、怖くて食堂に来られへんようになるやろ」


 ザレシエは小さく笑ったがドラガンはそんな冗談にも無反応であった。


「思い出すな。ジャームベック村から逃げ出して来た時の事を。森の中を何日も野宿して。あの時、アリサさんに色んな料理の話を聞いたんだよ。キシュベール地区ではこんな料理をしてたって」


 そうだと、パンと手を叩くとコウトは厨房に駆けて行った。

暫くしてコウトは一杯のスープを深めのボウル皿に入れてドラガンの前に差し出した。


「それ、アリサさんから聞いたキシュベール地区の料理。具はさっきのだけど、味付けをトマトベースに変えてみたんだよ。どうかな? 確か以前アリサさんから、それがパンの好物だって聞いたんだけど」


 ドラガンはその匂いにお腹の奥をくすぐられ一口スープを啜った。


 ザレシエも一口啜ったのだが、香辛料が効いてないから味がボケてると笑い出した。

エルフの味付けからしたら何食べてもそうなるだろうと笑い、コウトは胡椒ミルを手渡した。

ザレシエは胡椒ミルを捻って胡椒を挽くと、これくらいならとスープを飲み始めた。


 一口、もう一口。

ドラガンはトマトスープを啜った。

自然にポロポロと涙が零れる。


「姉ちゃんの味だ……」


 コウトはそうだろと言って微笑んだ。


「あのね、パン・ベレメンド、いやカーリクさん。皆、いつかは死んでしまうんだよ。だけどこうして、その人が生きていたという痕跡は残るんだ。俺たち残された者はそれを思い出として生きていく。それが自然の営みなんだと思うんだ」


 だから大切なのはその思いを大切にする事だと思うとコウトは続けた。


「今は中々気持ちの切り替えは難しいかもしれないけど、いづれ慣れる。だけどそれは悪い事じゃない。前に進むために神様が与えてくれた良い機能なんだよ。もしその為にこのスープが必要ならいつでも作るから飲みに来てくれたら良いよ」


 ドラガンは気が付いたらスープを完食していた。

温かいスープが体に沁みわたったようで、顔もどこか穏やかさを取り戻しているように見える。


「ありがとうコウト。美味しかったよ」


 ドラガンが微笑んだのを見て、コウトもザレシエもほっとした顔をした。




 ドラガン同様、立ち直れない人がまだ二人いる。

一人はポーレである。


 ポーレはカーリク夫妻と異なり夫婦仲は円満そのもので、お互いがお互いを支え合っているという感じのおしどり夫婦であった。

ポーレが疲れている時にはアリサはポーレの好みの食事を出してくれたし、ポーレの気分が落ち込んでいる時にはアリサは優しく慰めてくれた。

逆にアリサがしんどい時にはポーレが気遣っていたし、会議もアリサがしんどそうだからという理由で欠席する事すらあった。


 アリサが遺体で見つかったとホロデッツから聞かされた。

それだけでも落胆は相当であった。


 ところがポーレの両親が食堂広場で聞いて来た話をポーレは聞いてしまったのだった。

『惨殺』

その単語にポーレは自分の中の怒りを押さえられないでいた。

そこから狂ったように朝から晩まで愛用の打刀の刃を研いでいる。



 もう一人はエレオノラ。

ドラガンからエレオノラを預かったレシアは、母さんがいないと泣きじゃくるエレオノラを、あやし続けている。

あまりにも泣くのでエレオノラは高熱を出してしまいぐったりとしている。

だが少し熱が引くと家中を走り回り、母さんがいないとまた泣きじゃくる。


 レシアが懸命にあやすのだが、もはやどうにもならない。

ポーレもエレオノラを見るとアリサを思い出すらしく、なるべくエレオノラを見ないようにしている。

そのせいでエレオノラはさらに孤独を感じてしまい泣きじゃくっている。

ポーレの両親もエレオノラをあやすのだが、母さん母さんとただただ泣き続けている。


 困り果てたレシアは母アンナに相談した。

その日、アンナはドラガンがコウトのスープで少し持ち直したのを目にしており、ドラガンに面倒をみさせてみようと提案した。


 レシアは泣きじゃくるエレオノラを抱き抱えて、久々にドラガンの下へと向かった。

エレオノラはドラガンの姿を見ると手足をバタバタさせて暴れた。

地面に立たせると、エレオノラは一直線にドラガンの下へ駆けて行った。


「おいたん、おいたん。かあひゃんいなくなったの。ろこいったかひらない?」


 エレオノラは泣いているため、うまく舌がまわらないようで少し聞き取りづらい。

だがアリサの事を聞き出したいということだけははっきりとわかる。


 ドラガンは返答に困ってしまった。

この小さな体には、まだ母の死を受け止めるだけの容量は無いだろう。

けれど、ここで知らないと答えたらエレオノラはいつまでもアリサのことを探し続ける。

もしかしたら一人でふらふらと街を出て奴らに殺されてしまうかもしれない。


 ドラガンは右腕でエレオノラを抱きかかえ、左手で優しくその頭を撫でた。


「母さんはね、今、昔の村に帰ってエレオノラの弟を産む準備をしているんだよ。ちょっと帰るのが遅くなるかもしれないけど、エレオノラは良い子で待てるかな?」


 これまでどの大人に聞いても何も答えてくれなかったのに、初めて母の消息が聞けた。

それだけでエレオノラはかなり安堵した。


 『昔の村』

そんな村はもう無いのだという事をエレオノラはいつか知ることになるだろう。

だけどきっとその頃にはエレオノラも母の死を受け入れられるくらいには成長している事だろう。


「おいたんもかあひゃんのこと、いっひょにまってくえゆ?」


 エレオノラの潤んだ大きな瞳がドラガンの顔をじっと見つめる。

泣きすぎて鼻が真っ赤に腫れているエレオノラの顔をドラガンも優しく見つめ返す。


「当たり前じゃないか。僕にとっても大事な姉ちゃんなんだもん。一緒に良い子にして帰りを待とうね」


 エレオノラは泣き顔を笑顔に変え大きく頷くと、ドラガンに身を委ねた。

小さな手でドラガンの服を掴んで顔をドラガンに擦り付ける。


 ドラガンは愛おしい目をして、そんなエレオノラの頭を優しく撫で続けたのだった。

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