第58話 噂
ユリヴがヴァーレンダー公を訪ねた。
定期報告のためである。
作業は恐ろしく順調に進み、最初の区画では種が発芽している。
広大な毒の沼地は既に半分で水抜きが終わり、その半数で土づくりが始まっている。
ドラガンが工事の説明をしてからわずか二か月。
たった二か月といっても良いだろう。
工事に参加したいというトロルはここ数日で一気に増え、夕方になると毎日大宴会である。
正直、ユリヴもトロルがこんなに真面目で勉強熱心だとは思ってもみなかった。
普段、街で呑んだくれ暴れて憲兵隊に拘束される姿ばかりを目撃しているのだから無理もないだろう。
鍛冶を覚える者、土作りを覚える者、土木工事を覚える者、建築を覚える者、様々である。
女性もかなり増え、山での作業は主に女性が行っている。
また、看護や救護、給仕を行ってくれるようにもなり、人が増えてもあまり大きな問題は発生していない。
どの者も少しでも技術を吸い取ってやろうと躍起になっている。
一緒に作業をしていて実に居心地の良いものを感じる。
「この先カーリクがいなくても、お前たちだけでやっていけそうか?」
ヴァーレンダー公の言葉にユリヴは少し寂しいものを感じた。
心細いという感情も湧く。
だが、わざわざヴァーレンダー公のがこう言ってきたという事は、もう既定路線という事なのだろう。
総督府から離れてはいるが、毒の沼地の建設小屋にも何があったという事は情報として入ってきてはいる。
ユリヴは作業員たちと異なり毎日自分の家に帰っており妻から話を聞いたりもしているし、休日になれば同僚と酒場に行き世間話もしている。
事件の話を聞く都度ユリヴはそれがこの街の現状なのかと失望した。
ユリヴが失望するくらいなのだからドラガンたちは推して知るべしである。
「ここまでくれば全てを畑化する事は、それほど問題も無くやれると思います。問題があるとすれば、採れた作物に毒が含まれている場合どう対処したら良いかですね」
ユリヴの説明にヴァーレンダー公は苦笑いした。
もう少しわかりやすく頼むという事だろう。
エモーナ村の識者に聞いてもらったところ、毒沼というのは土の中に長い時間をかけて毒の成分がしみ込んでしまっているのだそうだ。
なので単純に水を抜いても、それだけでは農地にはできない。
そこで毒の成分を浄化する必要がある。
毒の成分にはいくつかあり、一つは毒蟲。
これは水が抜け、土が乾き、陽が当たる事でほぼ死滅する。
定期的に土を耕す事で、卵もかなりまで掘り出す事ができる。
それでも土に含まれている微細な毒蟲がいる。
これはミミズに食べてもらっている。
不思議な事に微細な毒蟲を食べても、ミミズはそれを消化し毒の無い土として排出してくれる。
最後に土に沁みついた毒の成分。
これは植物に吸ってもらうしかないらしい。
白い花を栽培してみろと先のエモーナ村の識者は助言してくれた。
そういう土では白い花が咲かないらしい。
青だったりピンクだったり紫だったりという花が咲くのだそうだ。
これが白い花になった時、畑は完全に浄化し食べ物を植えても大丈夫になる。
「ほう。なるほどなあ。つまり、それを研究していた者がエモーナ村におるというのか……エモーナ村になあ……」
ヴァーレンダー公は顎に手を当て残念そうな顔をした。
「ベアトリス様の幼馴染のエルフだそうですよ。我々もこれから学士を募集し研究をさせようと思っています。目の前に面白い題材があるのです。好きに研究して良いと言えば来たがる者もいるでしょう」
一人のエルフがそこまで研究できたのだから、複数の学士がいればもっと研究が捗るだろう。
「ただ、どんな不測の事態が起こるかわかりません。できる事なら今後とも彼らと提携できるのが理想ではありますけど……難しいですか?」
ユリヴの問いにヴァーレンダー公は苦笑いした。
ドラガンたちが帰るらしいと言う話をアリーナが聞いたのは、アルディノが襲われたと聞き病院にお見舞いに行った時の事だった。
先にベアトリスが看病に来ていた。
病床のアルディノはベアトリスにレシアの様子を聞いていた。
ドラガンがずっと付き添っていると聞くと、アルディノは満足そうな顔をしていた。
すると突然ベアトリスが麻薬騒ぎの時のお礼を述べてきた。
ずっとお礼を言いたいと思っていたが、中々その機会が無かったと。
アリーナは、夫の友人たちの一大事なのだから当然の事をしたまでと言った。
するとベアトリスはニコリと微笑んだのだが、その顔に少し陰のようなものが見えた気がした。
「何かあったのですか? 今回の件で喧嘩でもされたとか?」
アリーナの問いかけにベアトリスは、仲良いですよと言ってケラケラ笑い出した。
「レシアちゃんは五人全員の妹やったんです。その娘があんな事になってもうて。正直みんなかなりガッカリしてます」
そうベアトリスが言うと、アルディノは無言で小さくため息をついた。
「もしかして……村に帰るとか?」
恐る恐るアリーナは尋ねた。
否定して欲しい、そう強く願った。
「そうですね……もう、ドラガンもそう言い出してて。レシアちゃんも限界みたいやしね……」
実はアリーナは、ドラガンが一旦村に帰った後で、夫からドラガンに女性を宛がい繋ぎとめようと思うと相談されている。
その際アリーナは断固反対した。
ドラガンとかいう人の事はよく知らないが、捨ててどこかに行かれたらその娘が可哀そうだと。
ヴァーレンダー公は、もしそうなったらちゃんと再婚先の面倒は見ると言ったのだが、それでもアリーナは反対した。
貴族の子女というのはそういう事もあると説得されたが、それでも反対した。
相手が貴族であれば百歩譲って納得するかもしれないが、その人は一般人だと。
夫は渋々女性を使っての篭絡は諦めてくれた。
だが六人と話をするうちにアリーナは悔やんだ。
夫の言うように、父に相談し誰か妙齢な女性を探してもらうのだったと。
着慣れぬ正装に四苦八苦しながらも、ドラガンに恥をかかせぬようにと務める健気な三人の女の娘たち。
そんな娘たちに慕われるドラガン。
ドラガン本人とも話をしたが、純朴にして純真、非常に可愛い性格をしていた。
姉に可愛がられて育ったそうだが、確かに可愛い弟という感じであった。
もうそんな彼らに会えなくなるだなんて。
そう考えるとアリーナは寂寥感に胸を締め付けられるのだった。
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