第29話 帰還
丸六日の航海の後、船は領府『ジュヴァヴィ』に到着した。
この時期にしては大きな嵐にも遭わず、
ドラガンは到着するとまずマーリナ侯の遺体を嫡男のボフダンに引き渡した。
さらに巻き添えになった執事の遺体も家宰のデミディウに引き渡した。
デミディウは葬儀一切とボフダン卿の爵位継承の準備をキドリーに委ね、自身はボフダン卿と共にドラガンたちを労った。
ドラガンたちはボフダン卿たちに招かれ、食事会という形式でアバンハードでの出来事を報告してもらう事にした。
食事会にはボフダン卿の母であるマーリナ侯の妻も出席した。
色々あって元凶ともいえる竜産協会の三役は逮捕拘禁になった。
それに安心してマーリナ侯は本部に調べ物をしに行き、残党によって惨殺されてしまった。
そういった感じの大雑把な報告をドラガンはした。
デミディウはそんなドラガンに、何か隠している事があると感じたようだが黙っていた。
アリサさんに次いで夫までもがとマーリナ侯の妻は悲しみに暮れた。
竜産協会が憎い。
人の命をなんだと思っているんだ。
そう言って泣き崩れた。
食事会が終わると、デミディウは少し話があると言って家宰の執務室へドラガンを招いた。
お茶を淹れドラガンに差し出すと自身もお茶を啜った。
「一つだけ聞かせていただけますかな? 正直に答えていただきたい。マーリナ侯はどうして狙われる事になったのです? グレムリンの件ですか? それともあなたたちの復讐の報復ですか?」
マーリナ侯がドラガンたちの復讐に賛同していた事はデミディウも知っている。
そこはさすがに家宰である。
相談も受けていた。
その上でデミディウは関わるべきではないと進言した。
だがマーリナ侯は聞き入れてくれず、結果的に生きて自領には戻って来れなかった。
「僕たちの行動が原因の一つだったかもというのは否定はしません。ですが状況からして、追い詰められた職員たちが決起したところに偶然居合わせてしまったというのが大きいと思います。もし私たちが許せないというのであれば……」
そこまで言いドラガンは一度言葉を区切った。
次に何を言うかデミディウも無言で注目した。
「責任者として僕が甘んじて処分を受けます」
それを聞くとデミディウは小さくため息を付き瞼を落とし暫くそのままの状態で黙っていた。
おもむろに瞼を上げると、ドラガンに向かって深々と頭を下げた。
「私はボフダン様の爵位継承が終わったら、この仕事から身を引こうと思っています。老後を思い入れのあるプリモシュテン市で過ごそうと考えるのですが受け入れていただけますかな?」
デミディウの申請にドラガンはニコリと微笑んだ。
「プリモシュテン市は悪意ある者以外、来る者は拒まないつもりです」
ドラガンの返答にデミディウは静かに笑った。
翌日の朝、ドラガンたちはマーリナ侯の屋敷を発ってプリモシュテン市へと向かった。
この街を発ってわずか半月に過ぎない。
だがこうして戻ってくると、その光景は非常に懐かしい光景に感じる。
この街はドラガンにとって『故郷』になったという事なのだろう。
出発前に比べ、さらにいくつか建物が増えてる。
この街は生きている。
そう強く実感する。
南の農場地帯では、マチシェニに指揮されながら山賊たちが畑仕事に従事している。
ドラガンたちを見ると皆嬉しそうに手を振ってくれた。
北街道から中央通りに入ると、非常に懐かしい顔ぶれが街道を往来している。
その光景にエレオノラは何か込み上げるものがあったのだろう。
急にドラガンに抱き着いて泣き出してしまったのだった。
竜車は工員宿舎の前で停止。
ドラガンは泣いているエレオノラを抱きかかえ竜車を降りた。
何人かの人たちが出迎えに来ている。
その中央にはレシアが立っていて、ドラガンを見ると堪らず目に涙を湛えて抱き着いた。
レシアの背を優しく撫でていると、ポーレが泣いているエレオノラを受け取った。
ポーレの反対側に立っていたザレシエが、よろよろと前に歩み出た。
見ると目線の先にはベアトリスが立っている。
その腕には可愛い赤子が抱かれていた。
「産まれたんや……立ちあえんくてすまんかったな。名前はもう決めたん?」
ザレシエはかなり恥ずかしそうな顔をする妻を労った。
「可哀そうに、もう生まれて何日にもなるいうに、父親が名前も決めんと出て行ったもんやから、まだ名前が決まってへんのよ」
参ったなと言ってザレシエは頭を掻いた。
男の子か女の子か、そう尋ねるザレシエにベアトリスは男の子と即答であった。
「それならもう名前は決まってる。『ラズヴァン』や」
ベアトリスは眠っているラズヴァンに、名前が決まって良かったわねと語りかけた。
ザレシエはベアトリスにラズヴァンを抱かせてくれとせがんだ。
落とさないようにねと笑いながら忠告し、ベアトリスはラズヴァンをザレシエに渡した。
どうやらその衝撃でラズヴァンは目を覚ましてしまったらしい。
ザレシエの腕の中で豪快に泣き声をあげたのだった。
どうしようと狼狽えるザレシエに、ベアトリスはケラケラ笑って、ちゃんとあやしてとお願いした。
見よう見真似であやすのだがラズヴァンはちっとも泣き止んでくれない。
ザレシエは堪らずベアトリスにラズヴァンを返してしまった。
それを見たポーレが、プリモシュテン市一の知恵者のザレシエでも赤子は泣き止ませられないらしいと笑い出した。
それを聞いた周囲の人たちが一斉に笑い出した。
ふと見ると女性の何人かのお腹が大きかった。
ペティアのお腹もかなり大きく、こちらも出産までそれほどかからないという感じである。
バルタは、今プリモシュテン市はちょっとした懐妊ブームが起きていると言って笑い出した。
きっと来年の今頃は子供たちの泣き声でプリモシュテン市はもっと賑やかになることだろうと。
「この街にはアリサさんの加護があります。きっとどの子もすくすくと元気に育ってくれる事でしょう」
そう言ってバルタはドラガンに微笑みかけた。
『アリサの加護』
その言葉がドラガンはいたく気に入ったらしい。
何度も口にしては空を仰ぎ見て口元を緩めた。
「そうだね。姉ちゃんの加護が消えないように、僕らもしっかりとこの街を守っていかないとね」
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