第4話 漂流

 船長スミズニーを病で失い船員も多くが失われた。

亡くなった船員たちは他の船員たちが病をおして水葬しており、ホロデッツやドラガンたちは完全に隔離された状態でひたすら母港に進路をとっている。


 ホロデッツが食事の席でまだまだ陸は遠そうだと呟いた。

ドラガンが理由を聞くと、他の船員が海鳥が飛んでいないんだよと言った。

海鳥というのはずっと飛び続けられるわけじゃなく、ちょっとした陸地に留まって翼を休める。

その海鳥が飛んでいないという事は、それだけ陸地が遠いという事なのだそうだ。


 ホロデッツは、そういう事だから食料と飲み水をしっかり確保するようにとドラガンに命じた。

嵐の時の飲み水はかなりまで飲みきってしまっており、そろぞろまた海水を沸かさないといけない。

雨が降ってくれればとも思うが、そうなれば今度は海が荒れる。

そうなればさらに座標を見失う事になる。


 そこからドラガンは、毎日船の板を切り取って薪にし、海水を沸かして飲み水を作った。

ただ海水を沸かす際に蓋に塩がついてしまう。

そこを滴る雫はほのかに塩味が付く。

その為、雨水に比べるとかなり塩分を含んだ水となる。

飲むと喉が渇くと飲みたがらない船員もいた。



 体力が落ちると人は悲観的になっていくものらしい。

流行り病に罹った船員たちは、スミズニーも含め全員命を落とした。

最後の一人を水葬にした船員が体調を崩した。

全滅するかもしれない、そういう不安が船員たちを襲った。


「俺たちはどうなっても良い。どんな事があってもカーリクだけは村に帰さないと」


 船員の一人、オレクサンドル・リヴネが険しい表情で言った。

他の船員が預かっていたカーリクを失ったら、おめおめと帰る事などできないと言い出した。

じゃあカーリクを帰す為に一人の犠牲も出せないなとホロデッツが言うと、皆、何かを誓いあうような目でドラガンを見た。



 目標ができると人は団結するものらしい。

船員たちは、暇さえあれば干してあったイカを餌に魚を釣った。

釣れた魚はすぐにさばいて日干しにしていく。

パンはとうの昔に全て食べきっており、毎日、干した魚を炙って食べている。

そんな生活をずっと続けていたある日、一人の船員が歩けないと言い出した。

体がやせ細ってきているのは全員同じなのだが、その船員は、とにかく足のむくみが酷かった。


 その日、久々にカツオが釣れた。

それも一匹だけじゃなく何匹も。

これを少し炙って刺身で食べよう。

船員の一人マクシム・ペニャッキが言った。

これまで焼いた日干し魚ばかり食べていた船員たちは、久々の生魚に少し元気を取り戻した。



 だが現実は非常なもので、むくみの酷かった船員が突然死した。

その後も同様に突然死する船員が出て、船員の数はついに四人だけとなってしまった。



 四人は無数に散りばめられた夜空の星々を仰ぎ見ながら夕食をとった。

ホロデッツは毎日航海日誌をつけている。

出港からもうすぐ百日を迎えようとしているらしい。

すでにここまで四人は色々な話をしてきており話題は尽きかけている。


「なあカーリク。お前さんキシュベール地区の出って言ってたよな。何か面白い話って無いの?」


 ふいにぺニャッキがそんな話を振った。

面白い話が無いわけではない。

だがドラガンが真っ先に思い出したのは、ロハティンに初めて行商に行った時の出来事だった。


 その話を始めると三人の顔色が変わった。

これまで船員はドラガンについて詳しくは聞かされていなかった。

副船長のホロデッツですら同様だった。

聞かされていたのはサモティノ地区の非常に大切な移住者だという事だけだった。


 これまでも度々辺境伯の屋敷に呼び出されて漁に参加できない時があり、本当はかなりの身分の訳あり貴族なんじゃないかなどと推測されていたらしい。

実は王族の落胤だったりするのではなどとも噂されていた。


 だが話を聞くとそういう意味での大切な移住者では無いらしい。

むしろ貴賓扱いされる平民という非常に稀有な人物である事がわかった。


 ホロデッツはスミズニーから、なるべく普通の船員扱いをしろと言われていた。

村の噂ではポーレが連れてきた賓客という事だったので、当初はどう扱ったものか非常に悩んでいたらしい。

その後、サモティノ地区に漆細工を流行らせかなりの富をもたらせると、スミズニーのいう扱いではまずかったのではないかと少し後悔していた。

侵略してきた街道警備隊を撃退した際には軍首脳の一人として作戦を練っていたらしいと聞いた。

正直な事を言えば、今回の漁を前に船員たちは、船員の一人としてなど扱えるわけがないとかなり困惑していたらしい。


 ホロデッツの告白にペニャッキは、カーリクはごく普通の船員で俺たちの仲間だと言い切った。

リヴネもペニャッキの言う通りだとホロデッツの肩を叩いた。

港に帰っても、もう自分たちとカーリクは一緒に船に乗って漁をする事は無いだろう。

だが例え船を降りても、カーリクがバハティ丸の仲間である事には違いない。


 ペニャッキの温かい言葉にドラガンは涙が止まらなかった。



 翌朝、船楼で周囲の確認をしたホロデッツが歓喜の声をあげた。

海鳥がいる。

魚群を追って海鳥が飛んでいる。

周囲には相変わらず水平線しか見えないが、海鳥がいるという事は、陸、もしくは岩礁があるという事である。

この際岩礁でも良い。

それだけでも立派な目印になるから。


 そこから四人は、もしかしたら帰れるかもしれないという希望を抱くようになった。

昼間リヴネが船の板を外し、それをドラガンが薪にして海水を沸かした。

ホロデッツとペニャッキは干したイカを餌に魚を釣っている。



 その日の夜も四人は、星々が瞬く夜空の下で夕食をとった。

この日は、村に帰ったら何がしたいと言い合った。

ホロデッツは妻と娘とビュルナ諸島に温泉旅行に行きたいと言い出した。

リヴネは、自分は奥さんに思い切り甘えてやると笑った。

ぺニャッキが浴びるほど酒が呑みたいと言い出した。

するとホロデッツとリヴネが呑もう呑もうと笑い合った。


「カーリクは、帰ったら何がしたいんだ?」


「僕は姉ちゃんと姪っ子に会いたい」


「そうかそうか。エレオノラちゃん可愛いもんなあ」


 ホロデッツが笑うと、リヴネが、うちもあんな可愛い娘が欲しいと言い出した。

他の地区の娘を嫁にしないと難しいんじゃないかとぺニャッキがからかうと、リヴネが、そういうのは結婚してから言えと怒り出した。


 既に船室の壁板は寝室を除いて全て薪に使ってしまっている。

船楼も一部壁が剝がされている。

甲板すら船首の方は薪にするために剥がされている。

そんな異様に風通しの良くなったバハティ丸の甲板で四人は笑い合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る