第3話 嵐

「すぐに帆を片付けろ! マストも倒せ! 嵐が来るぞ!!」


 風も波も無くベタなぎ状態だった海に漂っていた船上で、スミズニーが怒声を響かせた。

甲板からはよく見えないが、船楼からは水平線上にどす黒い雲が見えたらしい。


 船員たちは色々なものをロープで固定し、船の揺れに合わせて荷物が動かないようにしていく。

マストも倒され船の中央に括り付けられた。

帆も船内にしまわれた。


 ドラガンはホロデッツの指示で船楼の周囲に鍋や桶を吊るしていく。

嵐に巻き込まれたら船内では火が使えない。

だが幸いなことに雨が降る。

革袋一つでも多く雨水を貯めろ、ホロデッツはそうドラガンに指示した。



 少しづつ時間と共に波が高くなっていった。

上空の雲はどんどん厚みを増し、白から薄墨、灰へと変わっていく。


 ぽつりと雫が落ちてきた。

それを合図にしたかのように一斉に雨が降ってきた。



 雨脚が少し強くなると、船員たちは各々服を脱ぎ下着一枚になってタオルを一本持って外に出た。

スミズニーも下着一枚で船楼から出てきて体をこすりはじめる。

いつ風呂に入れるかわからない。

垢を落としておかないと病気になるかもしれない。

スミズニーはそうドラガンに説明した。


「お前さんには、この船を引き継いでもらわにゃならんからな。こういう対処はしっかり覚えるんだ」


 スミズニーががははと笑いながらドラガンに言うと、ホロデッツはついにレシアの嬢ちゃんを嫁に出す気になったのかと笑い出した。

さすがにアレを貰ってくれと言ったらドラガンが逃げ出してしまうとスミズニーは大笑いした。



 そこから数日は地獄だった。

船は大きく軋み、大きな波に揺さぶられ続けた。

そんな状況でも舵だけは持っていないといけない。

船は前からの波には強いが、横からの波には非常に脆い。

もし横波を受けたら一発で転覆してしまう。

その為、常に波に対して船が正面を向くようにしておかないといけない。


 船倉は比較的揺れは少ないとはいえ、船首側の壁が異常に下の方に見える事もある。

目に見える壁が、床なのか天井なのかわからないような事もあった。



 雨が止むと今度は大風が吹く。

大風はさらなる大波を招く。

しかも嵐と異なり、何日続くか見当がつかない。

さらに水ももたらさない。


 そんな中、ついに最初の犠牲者が出た。

舵を操作していた船員が海に落ちたのである。

疲労でふらふらになっていたところに、力仕事の転舵だった。

手が滑った拍子に舵の棒に腹を打たれ、そのまま海に放り出された。


 船の向きがおかしくなり横波を受けた事で、皆異変に気付いた。

すぐに数人で船尾に行き、舵を直して何とか船は転覆せずに済んだ。


 だがここ数日、燻製にしておいた干したイカしか口にしていない。

しかも火が使えず炙る事もできない。

徐々に船員の体力は限界に達しようとしていた。



 結局、大波は数日続いた。

体力が尽きてくると些細な船の揺れが致命的になってくる。

甲板の細いところを歩いていた船員が海に落ちた。

だが荒れた波の中、助ける術などどこにも無かった。



 ただ、波が穏やかになると色々とやれる事も出てくる。

その一つが食事だった。

久々に火を使い、魚を煮てスープを作った。

海鳥の乾燥肉を炙る。

残ったパンをスープに浸し、皆で輪になって食事をとった。


 食事の間スミズニーとホロデッツが浮かない顔をしているのがドラガンには気になった。

食事が終わるとドラガンは船楼に行き、スミズニーに何があったのか尋ねた。

最初はホロデッツと顔を見合わせ非常に言いづらそうにしていたスミズニーだったが、何かを覚悟したようで重い口を開いた。


「どうやら、とんでもなく沖に流されたらしい。ここから帰るまでに何日かかるか全くわからねえ」


 それを聞くとホロデッツも大きくため息をついた。

仮に港に帰り着いたとして果たして何人生き残っていられるか、ホロデッツもかなり落胆した顔で言った。


「村がどちらかはわかっているんですか?」


「磁石があるからな。その角度である程度はな」


 いつも漁場に行く際には、その磁石の指し示すわずかな角度のずれを頼りにしているらしい。

基本的に漁場は大陸より北にある為、南の方向に向かえば大陸には帰り付けるはずなのだ。

ただ竜には帰巣本能があり、普段であれば竜に任せていれば帰る事はできる。


「今ここはどの辺になるんですか? 少なくとももう何日も水平線しか見えませんけど」


「北東にかなり行った場所、という事しかわからん」


「じゃあ南西に進路をとれば、いつかは……」


 ドラガンの発言に、スミズニーはホロデッツと顔を見合わせ少し表情を曇らせた。


「理論上はそうなんだがな……。もう帰還日はとっくに過ぎているんだ。俺たちに異常があった事は村のやつらも気が付いてるはずだ。捜索隊が出てくれているとは思うんだがなあ」


「難しいのですか?」


「恐らくな。俺たちも何度か捜索の経験はあるんだが一度も漂流した船を見つけ出せた事は無いな。こんなだだっ広い中でたった一艘の船を探すなんてほぼ不可能なんだよ」


 スミズニーは、わかっていると思うがこの事は他言無用だと念を押した。




 そこから船は一週間海上を漂い続けた。

ドラガンは毎日海水を煮て飲み水を作っている。

それが今の自分にできる数少ない事だから。


 通常、船の船倉には船の安定の為に大量の墨が積まれている。

墨を燻す事で蟲の駆除も行えるため、炊事をしながらその煙で船内の蟲の駆除も行っている。

だがその墨が少なくなってきてしまい、ついには船の甲板の板を剥がす事になった。



 そんな中、恐れていたことが起きた。

一人の船員が熱を出したのである。

最初はそれが流行り病とわからず、同じ部屋で他の船員が看病していた。

すると他の船員も熱を出して倒れた。

それが流行り病だと気づいた時にはもう遅かった。

船員たちをすぐに隔離はしたのだが、流行り病は徐々に体力の落ちた船員に広がっていった。


 わずか二日後に、最初に病に倒れた船員が息を引き取った。


 その船員を海に水葬した翌日、スミズニーが高熱で倒れた。

スミズニーはホロデッツに自分たちに近づくなと命じた。

元気な者だけで船楼へ行け、俺たちは俺たちで看病しあうからと。

倒れた船員たちもドラガンたちを見て、すぐに元気になるから大丈夫だと微笑んだ。



 だが残念ながらスミズニーたちは全員、流行り病で命を落としてしまったのだった。

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