第10話 研究

 『川車』とか『水車』と子供たちは呼び合っている。


 なんでクルクル回るのと子供たちはドラガンに聞いてきた。

竜が竜車を引っ張るように川の水が車輪の下を引っ張るからだよとドラガンは説明した。


 以前、水路を作った時に川の流れには力があると感じたらしい。

『紙車』という玩具を見て、これを川の水に押させたら勝手に回るのではないかと感じた。

ただし問題が二点ある。

一点はこれを何に使うか、もう一点はどうやって強い力を得るか。


 アリサの希望としては自動で小麦や蕎麦を粉にできたら嬉しいという事だった。

粉挽きの仕方は、実はキシュベール地区とベルベシュティ地区では異なっている。

キシュベール地区は石臼を使って臼を回転させる事ですり潰していた。

ベルベシュティ地区では大きな臼に杵で突いてすり潰している。

どちらもなかなかの肉体労働である。

これを夜中の間に『水車』を使って粉にできたら、確かに家事は圧倒的に楽になるだろう。



 ドラガンは人間の居住区に行く事も多くなり、エルフの居住区の当たり前が当たり前じゃない事を知ってしまっている。

その最大の事が実は小麦粉の事だった。


 エルフはやたらと香辛料を使う。

香辛料はあまりそのままで使う事はせず、基本的にはすり潰して粉にして使用する。

小さな乳鉢を使う事もあるのだが、臼を使って杵ですり潰す事もある。

その際、刷毛を使って取り出すのだが、どうしても臼の凹凸に粉が残る。

そのせいで小麦粉に香辛料の匂いが残り、パンも香辛料の匂いがしてしまうのだ。



 畑仕事をしながらドラガンは、どうすれば良いかをじっくりと考えていた。

そのせいでよく手が止まるらしく、アリサに何度も拳骨を落とされている。

それを見てベアトリスとマチシェニがゲラゲラと笑い合った。


 畑仕事の間マチシェニはドラガンに、次は何を作ろうとしているのと何度も聞いてきている。

マチシェニはどうにも水路作りの事が忘れられないらしい。


 あの時、多くのエルフがマチシェニに次は何をしたら良いか聞いてきた。


 学生時代のマチシェニは非常に地味な存在で、誰かと何かをやるという経験をした事がなかった。

あの水路作りが初めての経験だったのだ。

最初は非常に戸惑った。

大人数の人に指示をして動いてもらうという事が、こんなに難しいのかと挫けそうにもなった。

周囲からも文句を言われ、発破をかけられ、激励を受けた。

水が流れた時の皆の笑顔は今でも忘れられない。


 もし何かを作るなら俺も手伝わせて欲しいと、マチシェニは嬉しそうにドラガンの背を叩いた。

一人じゃ絶対無理だから設計が固まったらお願いするね、そう言ってドラガンも笑顔を向けた。

そのマチシェニの向こう側で、冷たい目で睨んだアリサの顔は見えない方向である。



 子供たちの『水車』への熱は、わずか二日で過ぎ去った。

水が冷たくなってきて、もう川で遊ぶ時期ではなくなったのだ。

だがドラガンの研究は続いている。


 だいぶ寒くなったというに川に入り何かを試し続けている。

ダニエラは友達の女の子とお菓子を持って来て楽しそうにそれを見続ている。

暫くするとドラガンは川には来なくなった。


 ダニエラたちはアリサやベアトリスにドラガンはどうしたのと尋ねた。

アリサもベアトリスも反応は同じで、大きくため息をついて、さあと言っただけだった。



 涼しくなり木々の葉が落ちるようになると、畑仕事は無くなり、きのこ畑の収穫の季節になる。

マチシェニの家は本業が農家で、香辛料や生薬の収穫が一通り終わると果樹園の収穫となる。



 定期的にそれなりの量の雨は降るものの、徐々に川は水が少なくなり幅も狭くなってくる。

ドラガンは、今のうちにこの川に細工をしておきたいと考えていた。


 きのこの収穫が終わると適当に食事を済ませ、川に行き丸石を拾っては並べしている。

それを知ったマチシェニが作業を手伝いに来た。


 すっかり冷たくなった川の中に二人で入り、ひたすら石を積んでいった。

小さい石を使っても水量が増えたら流されてしまう。

そのため二人で大きな石を何個も運んでいる。


 だが二人ともそんな作業には慣れていない。

五日目にはマチシェニが風邪をひき、その翌日にドラガンも風邪をひいた。

アリサはいつもの事だと半ば諦め気味だったが、ベアトリスも呆れ果てていた。

イリーナだけが、一生懸命になれる事があるって素敵な事よと言ってドラガンの看病をした。



 風邪が治ったドラガンは、いつものように食事を適当に済ませると川に行こうとした。

だが食卓を立ったところでアリサにどこに行くつもりかと聞かれた。

明かに声が怒られる時のトーンである。


「川に……作業の続きに……」


「へえ。体冷やして、こんな時期に風邪をひいて、イリーナさんに迷惑かけて。で、どこに行くんだって?」


 アリサの棘たっぷりの言い方に、ドラガンは明らかに怯んでいる。


「だから、その……川に……」


 アリサはドラガンを見て、わざとらしくため息をついた。


「ドラガン。私はね、あなたのそういう夢中になれるところは凄い事だとは思うのよ。だけどね、倒れるまでやるのはどうかと思うの」


「今度は、そんな事にならないようにするよ」


 ドラガンは口を尖らせて、不貞腐れた顔で呟くように言った。


「そんなの、蚊が血を吸いませんと言うくらい信じられないわよ!」


 アリサの指摘が面白すぎて、ベアトリスが堪えきれずに噴き出してしまった。


「蚊は喋らないよ……」


「そういう事を言ってるんじゃないの!」


 二人のやり取りに必死に笑いを堪えていたイリーナだったが、どうしても堪えきれずに噴き出した。


「でも、自動で小麦を挽く装置ができたら、姉ちゃん嬉しいって言ったじゃない」


「装置ができないのと、あなたが体を壊すのなら、装置ができない方が圧倒的にマシなの。川へは春まで行く事を許可しませんからね!」


 口答えをするドラガンを威嚇するように、アリサは机をパンと叩いた。


「そんなあ……」


「冬の間は川に行かなくてもできる事をやれば良いでしょ!」


 ドラガンは怒って、姉ちゃんは横暴だと言って部屋に籠ってしまった。



 アリサは大きくため息をつくと目頭を摘まんだ。

そんなアリサを見てベアトリスは、昔からああなんですかと尋ねた。


「困った事に小さい頃からずっとああなのよ」


 アリサは小さく横に頭を振った。

苦労されてきたんですねとベアトリスが苦笑いすると、アリサはベアトリスの顔をじっと見て、それはもう色々ととしみじみ言った。

元気があって良いじゃないと、イリーナはクスクス笑った。

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