第35話 勧誘

 ペティアの看病はまだ暫く続く。

ペティアはドラガンたちと異なり、自分の意志とは関係無く体を暴れさせていた。

しかも途中からは肉も筋も痛みきってしまい、痙攣させるのが精一杯という感じであった。


 当分一人では何もできないし、一人で体が動かせるようになるまでどの程度かかるかもわからない。

アリーナは、そこまで彼らに寄り添おうと思うと夫には言っている。

夫のヴァーレンダー公も公務でそれどころではなく、気苦労をかけると言って妻を労った。



 その忙しい合間を見てヴァーレンダー公はドラガンたちの宿泊所へやってきた。

久々に妻と一緒に食事がしたい。

そう言って寂しがっていた幼い息子ヴァシルと共にやってきたのだった。


 ヴァシルは母を見るとわっと声をあげ抱き着いた。

ここのところ父もずっと忙しくしていた為、侍女と一緒にいる事が多く、思わず涙が零れてしまった。

アリーナはそんな息子の頭を優しく撫で、一人にしてごめんなさいねと謝った。



 ヴァーレンダー公は、まずあのサファグンの女性の状態を見たいと言って、ペティアの部屋へと向かった。

この時点ではペティアは、まだ自分ではほとんど体を動かす事ができず、声を出そうとしても力が入らず、うまく喋れないという状況であった。


 ヴァーレンダー公が入室してきた事は何となくわかったらしい。

椅子に腰かけ具合はどうかと聞かれ、ペティアは、もったいない事ですと言ったのだが、ほとんど何も聞き取れなかった。

此度はとんだ目に遭わせてしまい申し訳なかったと、ヴァーレンダー公は謝罪した。

そなただけでも回復してくれて良かった。

ヴァーレンダー公はペティアの姿を見続けるのがどうにも心苦しいらしく視線を反らしてしまった。


 ふと見るとペティアは目を伏せ寝息を立てていた。




 ペティアの部屋を出たヴァーレンダー公は再度食堂に戻ってきた。

食堂にはいつの間にか夕食が用意されており、空腹を刺激する良い匂いを漂わせている。


 ヴァーレンダー公に何かあってはいけないと総督府から料理人が食材込みでやってきて、一時間以上も前から仕込みを行っていたらしい。

ヴァーレンダー公が席に着くと最初の料理が運び込まれてきた。


「こんなにたくさんの人と一緒の食卓で食べるなんて、なんだかわくわくするね」


 ヴァシルの嬉しそうな顔を見てヴァーレンダー公は、まだ席が空いているからと宿泊所の店主や店員も座らせ食事をとってもらった。


 食事が進むとヴァーレンダー公はドラガンとザレシエに捜査への協力を感謝した。

食卓の話題としてはあまり相応しくなかったかもしれないが、ヴァーレンダー公はここまで報告を受けている内容を可能な限り話した。

他言無用、そう前置きをして。


 何十年も前から行われてきた犯罪行為。

そういう話であった。

わかっている限りで、先々代のアルシュタ総督の時には既に公然と行われていたらしい。


 先代のヴァーレンダー公である父の屋敷を訪ね話を聞いてみた。

神隠し事件は何度も聞いていたし、もちろんその都度しっかりと執事に捜査を指示もした。

だが結局、先代の時には原因は判明しなかったのだそうだ。


 執事の報告は、何の証拠も発見されなかったし目撃者すら見つからなかったといったものだった。

稀に容疑者が逮捕される事があるが、それも裁判で証拠不十分で無罪になってしまっていた。

不審に思い家宰に調べさせようとしたのだが、それぞれの職分を犯すべきではないと窘められてしまったのだそうだ。


 報告してきた者たちは恐らく彼らの顧客だったのだろう。

恐らくは亡くなった先代の家宰も。

それを聞くと父はそういう事だったのかと憤った。

もうすぐ春の議会が招集される。

その場でアルシュタに麻薬を持ち込んだ事を糾弾しましょうと言うと、父も、絶対に許さんと激怒していた。



「今回の件で改めて竜産協会がやりたい放題していて民衆に被害が出ているという事を思い知った」


 ある程度食事を終えると、ヴァーレンダー公はそう言いだした。

だがやつらは、現国王と組んで先代の国王を暗殺している。

つまり国王を味方に付けている。

自分たちの陣営は極めて不利。


 ここからは国を割るほどの宮廷工作が必要になってくる。

それなりに陣営への取り込みは進んではいる。

ヴァーレンダー公に付くと言ってくれている貴族もそれなりにいる。

大陸東部の貴族は、それなりにヴァーレンダー公になびいてくれるだろう。


 だが大陸西部に比べ大陸東部は貴族の人数が少ない。

侯爵はコロステン侯、ゼレムリャ侯、ソロク侯のわずか三人しかいない。

しかも恐らくソロク侯は中立と言ってくるだろう。

さらに亜人たちが賛同してくれるかどうかも不透明。


 多少なりとも有利に事を運ぶ為には旗印となりうる存在が必要になる。

盟主には自分がなろうと思う。

そこまでの事態になれば王朝交代も視野に入れねばならなくなるだろうから。

だがそれとは別に旗印が必要になってくる。


「カーリク。我らの旗印になってはもらえないだろうか?」


 突然の申し出に、ドラガンは食べている手をピタリと止めた。

周囲の視線が自分に向いているのを強く感じる。

黙っているドラガンに、ヴァーレンダー公は話を続けた。


「前回も言ったのだが、この街に移住してはもらえないだろうか?」


 沼地が畑に変われば、世の多くの者はドラガンの名を知る事となる。

この大陸の全ての貴族はアルシュタ同様その領内に広大な毒の沼地を抱えており、そこを田畑にできればと考えている。

アルシュタでそれができたと知れば国内の全ての貴族がその術を知りたいと思うだろう。


 それと同時に、何故キシュベール地区に生まれた人物がアルシュタで活動しているのだろうと疑問に思われる事になる。

そこで民衆はドラガンの身に起こった不幸を知る事になるだろう。


「その時初めて君の敵は一掃され、君に平穏が訪れる事になる」


 だから手を貸して欲しい。

ヴァーレンダー公は再度念を押すように言った。


 当然我々にも思惑もあれば欲もある。

だが君の願いと我々の考えは、およそ一致しているはずなのだ。

であれば手を取り合って行く事ができるはずなのだ。


 今回の沼地の話が成功すれば君は名声をえる事ができる。

私からはそれにふさわしい地位を用意する。

当然、富も。


 どうだろうかと再度ヴァーレンダー公は返答を要求した。


 ドラガンはじっと黙り続けている。

さすがにザレシエたちもドラガンの意思を尊重し口を挟むのを憚った。


「殿下。今日の今日で結論を聞かせろというのは、さすがに酷なのではありませんか?」


 見かねたアルディノがそう進言した。

ヴァーレンダー公も、それもそうだと納得し、良い返答が得られることを期待すると言ってこの話を締めた。

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