第35話 出会い
当初旅の途中でアリサは、どこかに家を借りようという話をしていた。
六人で暮らしていこうと言い合っていた。
だがドラガンと別れた後ポーレとアリサで何かあったらしく、アリサはポーレの家に住むことになった。
コウトはコウトでサファグンの居住区の一角を貰ったようで、そこに住むことになった。
そういうことであればと、ムイノクとエニサラも万事屋の寮に泊まることにしたらしい。
残ったのはドラガンとザレシエだったのだが、ザレシエは造船所の工員の一人から、うちに来いと言われている。
結局ドラガンはスミズニー宅の一室で寝泊まりすることになった。
スミズニーの妻アンナは、倉庫としている離れを早々に整理するので、それまでは一番奥の部屋を使って欲しいとドラガンを部屋に案内した。
引き戸を開けた先にあったのは、板張りの部屋にただ布団が畳んで置かれているだけの実に質素な悪く言えば何も無い部屋であった。
部屋の奥に荷物を置き窓を開けると潮の香が鼻を突く。
ベレメンド村ともジャームベック村とも違う風の匂いだった。
ドラガンは窓辺に手をかけ、ぼうっと青い空を見つめている。
風が刺すように冷たい。
「お前何してるんだ? そんなとこで?」
突然、部屋の外からスミズニーの声が聞こえてきた。
部屋の外とはとても思えないくらい声が大きい。
「えっ、いやっ、あの、その……」
搔き消えそうな声が聞こえる。
どうやら部屋の外でレシアが何かしていたらしく、そこをスミズニーさんに見つかったらしい。
かなりあたふたした様子が声だけでも伝わってくる。
「用があるなら、そんなとこでもじもじしてねえで、戸を開けたら良いじゃないか」
「そんなんじゃないもん! 馬鹿っ!!」
とたとたという可愛い足音が去って行く。
「何だあいつ?」
そんな父娘のやり取りの後、おう開けるぞという声が聞こえてきた。
ドラガンがどうぞという前にスミズニーは戸を開ける。
「おう! 呑みに行こうぜ! ……それだと母ちゃんに怒られるか。お前さんの……何ていったか……お仲間の様子を見に行こうぜ!」
「コウトですか?」
「そうそう! コウトくん!」
スミズニーは頑張って覚えようと人差し指を振りながら、コウト、コウトと繰り返している。
「でも、僕、お酒呑めないんですよね」
「誰が酒呑みに行くって言ったよ。コウトくんの様子を見にいくって言ってんだろ!」
覚えてない人の様子を見に行くというのは、さすがに呑む言い訳としても苦しいのではないかと、ドラガンは思わず苦笑いである。
「あの……さっき奥さんに怒られるって……」
「お前さんが行くっていってくれりゃあ大丈夫だ。お前さんだって色々聞きたいことあるだろ?」
ここまで会話を重ね、やっとスミズニーの意図を理解した。
ドラガンが知りたいと思っていることを知ってる範囲で話してやろうと言ってくれているのだろう。
「そうですね。よろしくお願いします」
「そうこなくちゃな!」
スミズニーがドラガンの肩に手を回し、ウキウキで呑みに出かけようとすると、アンナさんが私も連れていけと言い出した。
だがスミズニーは、レシアを一人で残したら可哀そうだろうと説得し、逃げ出すように家を出た。
コウトの屋台に行く途中、同じように先輩工員に肩に手を回され、迷惑そうな顔をしているザレシエに出会った。
ザレシエはドラガンの姿を見ると困り顔で小さく手を振った。
サファグンの居住区は全てが筏の上にある。
海原にこれでもかと筏が浮かべられ、建物が建てられたり通路になっていたりしている。
砂浜から居住区に渡る為の板が掛けられ、そこを渡って行くと、そこかしこに器が上向きに付けられ、その中に火の付いた短い薪が入れられている。
「ずいぶん、あちこちに火が点けられてますね」
「ああこれか。これ仕掛けだよ。ちょっと離れたところに浮きがあるだろ。あそこから網が敷いてあってな。この火の明かりに寄ってくる魚を引っかけるんだよ」
よく見ると、居住区から潮の流れに乗って浮きが流れている。
つまり、今いる筏からあの浮きの間に網が張られているということである。
「じゃあ定期的に引き上げてるんですか?」
「仕掛けてから潮の流れが変わるまでに何度かな」
暫く住居が立ち並んでおり、岡から一番遠い沖の筏に広い食堂広場が作られている。
周囲には風よけの板が立て掛けられ、椅子と机があちこちに置かれている。
海を挟んだ向こうの方にも同じように盛り上がっている一角が見る。
恐らくは隣村の食堂広場なのだろう。
「机の真ん中に大きく穴が空いてるから落っこちねえようにな」
「わっ、ほんとだ! 何でそんな危ない作りになってるんですか?」
机は筏に打ちつけてあり動かないようになっている。
その机の下、机の天板より少し小さいくらいの大きな穴が筏に開けられているのだ。
「そこに魚の骨やエビやカニの殻なんかを捨てるんだよ」
「えつ? 生ゴミをそのまま海に捨てちゃうんですか?」
「お前さんにとっては生ゴミかもしれんが、ここの下に住んでるやつらには豪華なご馳走なんだよ」
そのゴミを海の中の生き物、例えば貝や小魚なんかが食べる。
それを別の生き物、例えば蛸やもっと大きな魚が食べる。
それを俺たちが取って食べ、食べ残しを海に戻す。
こうしてここの環境は回っているんだとスミズニーは説明した。
スミズニーはドラガンを引きつれ真っ直ぐコウトの雇われている屋台へ向かう。
ビールと海鮮焼きを注文すると、ビールを二つ持って戻って来た。
ドラガンもビールを三倍に薄めてもらい、海鮮煮込みを椀に注いでもらって席に戻った。
二人は席に着くと、まず乾杯した。
スミズニーは、ぐびぐびと一杯目のビールを一気に飲み干す。
「どうだ? サモティノ地区に来た感想は?」
「何だか異世界に来たような不思議な感じですね。特にこのサファグンの居住区が」
ドワーフもエルフも生活自体は人間と変わらなかった。
それだけに余計に異質に感じる。
「なるほどなあ。うちらは物心付いた時から見慣れた光景だからなあ。確かに、そうじゃないと不思議に思うかもしれんな」
「こんなにゆらゆら揺れて、よく寝れますね」
「部屋に網を吊ってその中で寝てるんだよ。波の高い時でもほとんど揺れないんだぞ」
昨日テテヴェンさんの家にお邪魔した時、何で部屋に網が張ってあるのだろうと疑問に思った。
漁師だからそういうデザイン飾りなのかと思ったのだが、どうやらあれが布団らしい。
「へえ、そうなんですね。どんな感じなんだろう?」
「俺の船に乗ったら寝る時はそれだからな。最初は中々慣れないんだ、これが」
スミズニーはがははと笑い出し、豪快にビールを喉に流し込んだ。
「この筏って嵐の時なんかはどうするんです? 今は穏やかですけど、海って荒れたりするんですよね?」
「
だから残念ながら雨の時は食堂広場はお休みなのだそうだ。
雨の後は時化になる。
雨なら漁に出れるが時化では漁に出れないので、雨の日に捕れたものを時化が明けた日に提供するのだそうだ。
面白い、実に興味深い。
ドラガンは興味津々で話を聞き、薄めたビールを呑んでから海鮮煮込みを食べた。
旨そうに食べるドラガンを見て、スミズニーも少し食べさせてもらい、コウトは中々に腕が良いと絶賛であった。
海鮮焼きが焼けたようで、スミズニーは一旦コウトの屋台まで取りに行った。
皿一杯の海鮮を持って戻ったスミズニーは、皿の中央に盛られている真っ赤な蟹を取り出す。
カニの爪をもぎ、机の角で殻にヒビを入れ殻を割り、ドラガンに食べてみろと言って渡した。
カニの爪から身をほじり口に含むと、白み魚とも違う淡泊だが何か独特な味が口一杯に広がる。
ドラガンは目を丸くし、旨いっと唸った。
そうだろうそうだろうとスミズニーは満足そうな顔をし、エビをつまみにビールを呑んだ。
「あの、僕の事どの程度聞いているんですか?」
海鮮煮込みを食べていたスプーンを皿に置き、深刻そうな顔でドラガンは尋ねた。
「お前さんのことはデニス坊から聞いてるよ。何でもお偉いさんたちから、命狙われてるんだってな」
「ロハティン総督たちからですね」
スミズニーは発端の話もポーレから聞いたらしい。
だが村長やポーレの父も一緒に聞いていたのだが、誰も意味が分からなかったらしい。
そもそも何で竜を盗まれた側が村を潰されるほどの目に遭わなければならないのやら。
しかも執拗に命を狙われていると聞く。
その理由も何度もポーレに説明してもらったのだが、わかったようなわからないようなという感じであった。
「デニス坊から聞いたと思うが俺たちはうちのお偉いさんが大嫌いでな。もしあの唐変木がお前さんを害そうとするなら、全員武器を持って抵抗するからよ」
「そうなったら死者がいっぱい出ちゃいますよね?」
ドラガンの懸念に、スミズニーは不思議そうな顔をした。
武器を持って抵抗するんだから、死者が出るのなんか当然のことである。
抵抗するのだから犠牲を恐れてどうしようと言うのだ。
「皆もうずいぶん前から覚悟はできてるんだ。その時が来るのを待ってるような状態なんだよ」
「何でそんな……」
「自分の家族と生活は自分たちの手で守る。それが『海の男の覚悟』ってもんだ」
スミズニーは、赤ら顔で右拳を握り自分の胸をパンと叩いた。
「かっこいい……」
ドラガンが素直に感心するので、スミズニーは少し恥ずかしくなったらしい。
ドラガンの頭を思い切り叩いた。
「関心してるんじゃねえよ! お前さんも、ここでそれを養うんだよ!」
スミズニーの発破はドラガンの中の何かに響いたらしい。
薄めたビールを喉に流し込むと、両拳をぐっと握りしめた。
スミズニーはカニの殻とエビの殻を机の下の穴に落とした。
焼けたイワシを齧ると、あのコウトっていうのかなり良い腕してるなと呟いた。
「お前さんのおかげで、呑みにくる理由考えんでも良いというのは楽だな」
スミズニーは、干したイカを軽く炙った物を行儀悪く口に咥えたまま喋っている。
「それって後で僕が怒られたりしないんでしょうか?」
「当分は大丈夫じゃねえのか? なんせお前さんは『わからないことが一杯』なんだからな」
スミズニーがビールを口にし、かっかっかと笑い出す。
「ああ、そういうことですか。じゃあ奥さんにも色々と尋ねた方が良いですね」
「ほう。話が早いじゃねえか。なんだかデニス坊と喋ってるみたいだな」
お前も村では神童って言われてたのかと、スミズニーは尋ねた。
勉強は落ちこぼれだったと恥ずかしそうに言うと、スミズニーは豪快に笑い出した。
「ポーレさんってどんな方なんですか? かなり頼り甲斐のある方というのはわかるんですけど」
「デニス坊か……あれは領主に反乱起こす時の大将だよ」
スミズニーは少し言いづらそうに呟くと、バツの悪そうな顔をしてドラガンから目を反らした。
「えっ? それって……反乱起こした後は……」
「さっき言ったろ? 『海の男の覚悟』ってやつだよ」
あまりの話に、ドラガンはほろ酔い気味でふわふわしたものが、どこかに吹き飛んでしまった。
スミズニーは最後のビールを飲み干すと、遅くなるとさすがに母ちゃんに怒られると小さく笑って席を立った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます