第29話 プリモシュテン

 マーリナ侯爵領を訪れた第一陣は、ポーレ他十一人。

ポーレ、アリサ、エレオノラ、ドラガン、レシア、ザレシエ、ベアトリス、プラマンタ、ニキ、アテニツァ、イボット。

バルタとボロヴァンには第二陣を率いてもらうために残って貰った。

恐らく第三陣があれば、アルディノたちになるであろう。



 船を降りると、港でマーリナ侯の家宰デミディウの出迎えを受けた。

デミディウはポーレの顔を見ると、結局こういうことになってしまいましたなと、ため息交じりに言った。

次いでドラガンを見て、ぷっと噴き出した。


「うちにあなたが来たと知ったらヴァーレンダー公は何と言って憤るでしょうねえ」


 しまったという顔をするドラガンをデミディウはさらに笑う。

あれだけの大物を出し抜けて、それはそれで小気味よいとデミディウは高笑いした。




 ドラガン、ポーレ、ザレシエは家の事を妻に任せ、三人でマーリナ侯の侯爵屋敷に挨拶に伺った。

マーリナ侯はドラガンたちを見るとすぐに執務机の椅子から立ち上がり、よく来たと言って手を取った。


「これからお世話になります。色々とご迷惑をおかけすることと思いますが、何卒よろしくお願いします」


 そこに世嗣のボフダンが執事のキドリーを連れてやってきた。

ボフダンはドラガンたち三人を一人一人確認するように見ると、父イェウヘンに、やっと例の大計画が動きますねと興奮気味に言った。


 ドラガンたちが不思議そうな顔をすると、デミディウは、まだ気が早いと言って窘めた。

だがマーリナ侯は、ついでだから話をしてしまおうじゃないかとデミディウに言った。

デミディウは少し考え、どうせ真っ先に話さなければならない事だからと承諾した。




 ドラガンたち三人とマーリナ侯たち四人は応接室へと場所を移した。


 デミディウに促され、キドリーが一枚の巨大な紙を持ってきた。

その紙に書かれていたのは、どこかの都市の地図のようであった。

上の方に大きく『プリモシュテン市計画』と書かれている。


「ここに住居をいただけるということなのでしょうか?」


 ポーレがそう尋ねると、マーリナ侯とキドリーが鼻で笑った。


「この計画を立てて、もう何十年になるか知らんが、未だにプリモシュテンには一件の家も建ってはおらん」


 そう言うとマーリナ侯は高笑いを始めた。

ドラガンたちは開いた口が塞がらなかった。


「どういうことですか? 中央には立派な街道も通ってますし、市場のようなものまで見えますけども?」


 若干引きつった顔でドラガンが言うと、キドリーは上に計画って書いてあるでしょと言って笑い出した。

げらげら笑う二人に比べ、デミディウとボフダンは真顔のままであった。


「この計画が持ち上がったのは、イェウヘン様がマーリナ侯をお継ぎになられてすぐの事でした」


 デミディウは遥か昔の話をするように少し遠くを見て話し始めた。


 当時マーリナ侯を継いだばかりで、イェウヘン卿はあれもやりたい、これもやりたいと、やる気に満ちていた。

デミディウも執事から家宰になったばかりで、それを次々に企画書にしていった。

その中の一つに、サモティノ地区から海府アルシュタを繋ぐ街道の敷設と、西府ロハティンのように行商を呼んで市場を開きたいというものがあった。


 その計画の中心がこの『プリモシュテン市』であった。


 先代のオスノヴァ侯にも計画を話し、橋を架けてもらい、オスノヴァ侯爵領からサモティノ地区まで街道を敷設。

じゃあ肝心のプリモシュテン地域を見に行ってみようとなった。

だが、マーリナ侯もデミティヴもプリモシュテン地域を見て、すぐに計画の頓挫を認識した。

プリモシュテン地域は一面の沼地だったのだ。

それも一部は毒沼と化している。


 さらにはオスノヴァ侯が架けていた橋も工事の途中で流れてしまった。


 今はどうにもならない、だがいづれこの計画を実現できる日が来るかもしれない。

そうしてこの『プリモシュテン市計画』は文字通りお蔵入りとなったのだった。


 時が過ぎ、もう多くの者がこの計画の事を頭の片隅からも忘れ去っていた。

ところが昨年、アルシュタから帰る途中でドラガンたちがマーリナ侯爵領に寄った。

その際、晩餐会でドラガンは沼地の水を抜く工事をしているという話をしていた。


 その時点ではマーリナ侯ですらプリモシュテン市の事は忘れており、それは大したもんだと言ってニコニコしていただけだった。

だがデミディウは忘れていなかった。

ドラガンが発った後でデミディウは倉庫に籠り、プリモシュテン市の計画書を探し出した。


 プリモシュテン市の最大の難関であった沼地の問題が解決するのなら、大陸北部の大商業圏計画を進めることができるようになる。

デミディウは工事責任者を数人選びアルシュタへ向かった。



 デミディウから話を聞いた家宰のロヴィーは、とりあえず返事を保留にしてヴァーレンダー公と相談する事にした。

ヴァーレンダー公にしてもロヴィーにしても、毒沼の水抜きという技術がいかに外交戦略の札として効果があるか認識している。


 その時点ではまだヴァーレンダー公は王室を倒してまでドラガンを守ろうとは考えていなかった。

自分の手の内に確保しておきたい、とんでもない技術を持った青年という程度にしか認識していなかったからである。

興味が湧くのはその技術であってドラガンの方ではない。

ここで技術が漏れれば、せっかくの外交的優位が損なわれるとヴァーレンダー公は考えた。


 断ろうと言おうとした時、ロヴィーが先に疑問を口にした。


「マーリナ侯はどこからこの話を聞きつけたのでしょうね?」


 どこからも何もドラガン本人に決まっているではないか。

ヴァーレンダー公ははっとして、すぐに考えを改めた。

ドラガンは私利も私欲も無く好意で技術を我らに提供しようとしてくれている。

それを独占しようとしていると知られたら、果たしてドラガンはどう思うだろうか。


 ヴァーレンダー公は工事責任者は受け入れるという事にした。

ただしあくまで工事作業者として。

技術供与はしないし詮索もしないでもらいたい。

体感して知識として身に付けていく分には構わないという事にしたのだった。



「帰ってきた工事作業者を中心に、あの辺り一帯の大規模な水抜き工事を行っています。すでに海岸に近い方から水抜きは終わっています。港も整備していますし、造船所も作っています。市場も住居も作り始めています」


 オスノヴァ川の架橋工事に行く時、途中で作業していたのを見ませんでしたかとデミディウは尋ねた。

ドラガンとザレシエは顔を見合わせ、互いに首を傾げ苦笑いした。

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