第12話 陽春
年が明け一月ほど過ぎると、ベルベシュティ地区は一面真っ白に染まる。
どうやら白き氷の綿が雑音も吸収するらしく、どの家も部屋の中はシンと静まっている。
暖炉で薪が爆ぜるパチという音だけが時折忘れたように流れるのみである。
アリサは未だに黙々と刺繍作業を続けている。
既に三か月が過ぎようというに、未だに一つ目の刺繍が完成しない。
イリーナもベアトリスも慣れたもので既に今冬四作目の作品に取り掛かっている。
二人は作業が始まると無言で黙々と縫い針を動かすのだが、アリサは、どうにも思ったところに針が刺さらないらしく何度も糸をほどいている。
そのせいか高価な絹布がヨレヨレになってしまっている。
そんな状況なので、アリサは必要以上に苛々しており、ドラガンに対し言葉も態度も荒くなる。
つまらない事で喧嘩になる事もあった。
イリーナはベアトリスと二人の時間が非常に長ったせいか、男の子のドラガンが可愛くて仕方がないらしい。
アリサに理不尽に怒られたドラガンをイリーナが慰めるという光景が、ここのところのプラジェニ家の日常になっている。
雪の間ドラガンは、とにかくやる事が無かった。
雪が降っていない日は材木屋に行き、端材を貰って水車を組んで色々と調整をしている。
積もった雪の中で作業をしている為、手がかじかんでしまう。
その都度、焚火に手をかざし温めた。
ダニエラも、もこもこの恰好で焚火に当たりながらドラガンの作業をじっと見ている。
少し調整しては設計図に何か書き込んでいく。
時には新たな紙にただひたすら何かを書いているだけの時もある。
時折ダニエラの母が来て暖かいスープを出してくれる。
ダニエラの母はダニエラを抱きしめ、これが何になるのかドラガンに尋ねた。
ドラガンは、出来上がるまでは絶対に誰にも言わないという約束で話をした。
それを聞いたダニエラの母は、本当にそんな事が可能なのかと酷く驚いた。
ダニエラは母に絶対内緒だよと念を押した。
ある頃を境に、ベルベシュティ地区では雪ではなく雨が降るようになる。
春の訪れである。
プラジェニ家は春のこの時期が最も忙しい。
早朝起きてキノコ畑に向かい、筍を掘って、この時期しか採れないキノコと山菜を採取。
一度家に戻ったら朝食を取り、香辛料畑に向かう。
雑草ごと畑を耕し、土をふかふかにしていくのである。
さすがのドラガンも昼過ぎにはぐったりで、水車の製作どころでは無かった。
アリサも同様で、お昼過ぎにはぐったりしている。
水車の製作が完全に止まってしまったのを最も気にしていたのはダニエラの母だった。
私たちだけでやれないか、そう夫のヨヌツに言った事すらある。
ヨヌツは何ができるかまでは聞いていないので、そこまでの熱量が無い。
だが妻がここまで言うという事は余程の事だろうと考えるようになっていた。
ある日ヨネツは、その事を酒場でポロっと漏らしてしまった。
春になっても作業が始まらないので、やきもきしていた人間たちは、思わぬ情報にヨネツの周りを取り囲む事になった。
あまりに熱心に問い詰められ、ヨネツは思わず妻に口止めされていた製粉機の話を漏らしてしまったのだった。
それから半月ほど経ったある日の昼、食事を取ってまったりと過ごしていた四人は、ヤローヴェ村長とバラネシュティ首長の訪問を受けることになった。
二人は若干機嫌が悪く、ドラガンとアリサは顔を見合わせ、かなり不安そうな顔をした。
「ヴラド、私はね、最初こそ敵対したものの、そこからは君に悪くは接しなかったはずだよ?」
イリーナに出されたコーヒーをひと啜りすると、ヤローヴェはそう言ってドラガンを責めた。
「ええ。姉に再会できたのは村長の尽力のおかげと思っています」
「そう思うなら、なぜ、我々に大切な事を内緒にしているんだね?」
一体、村長は何が言いたいのだろう?
そんな表情でドラガンはアリサ、次いでイリーナ、ベアトリスと顔を見ていった。
だが三人とも苦笑いして首を傾げただけだった。
「お話できることは、全てお話したと思いますけど?」
「……そうか。ここまで言っても喋れないのか」
ヤローヴェとバラネシュティは顔を見合わせ、大きくため息をついた。
それを見てドラガンとアリサは首を傾げた。
「何か隠している事があるんだったら言ってしまいなさいよ」
アリサはドラガンに肘を打ち、小声で囁いて少し厳しい顔をした。
「何の話かわからないし、隠してる事なんてないよ」
ドラガンはアリサに小声で抗議した。
「あの……何の話なんですか? その……うちらにはイマイチ話が見えなくて」
アリサの発言にヤローヴェとバラネシュティは、もう村中の噂になっているのに知らないはありえないだろうと声を揃えて憤った。
「わかった。そこまで言うんやったら、こちらから言うわ。製粉小屋の話や! なんでそれほどの大事業を、ずっと黙って内緒でやっとるんや!」
「あっ……」
しまったという顔をしたドラガンを、ヤローヴェとバラネシュティだけじゃなくアリサも冷たい目で見た。
イリーナとベアトリスは呆れ顔で見ている。
ヤローヴェとバラネシュティの話によると、今、村は少し険悪な雰囲気になっているらしい。
その原因がドラガンの作ろうとしている製粉小屋だった。
現在、小麦にしても蕎麦にしても栽培は人間が行っている。
それを実のまま販売し、製粉は各家々で行っている。
どの家でも製粉は二人がかりで行う上に、かなりの時間を要する重労働なのである。
その重労働が、夜中、寝ている間に行われるかもしれないという話を聞いたのである。
ところが、その噂がたってからも全く作業をしているという気配がない。
人間たちはエルフたちに、製粉小屋の件はどうなったのかと問いただした。
ただ、エルフたちの中でもその話は材木屋のヨネツしか聞いていない。
他のエルフたちは知らないのである。
知らないと答えるエルフたちに、人間たちは徐々に不信感を抱き始めた。
一昨日の晩の事、酒場で人間の一人が、もしかしてエルフたちは製粉小屋をエルフたちだけで独占する気なんじゃないだろうかと言いだした。
そこから人間たちはエルフたちにその疑惑をぶつけだした。
知らない、俺たちだって知りたいんだというエルフに、人間たちは白々しいと悪態をついた。
その後、酒場は乱闘になり、酒場の亭主にヤローヴェとバラネシュティが呼び出されるという事態に陥ったのだった。
双方の言い分を聞いたヤローヴェとバラネシュティは、お互いにどういうつもりだと牽制した。
二人ともドラガンが何かをしようとしているのは知っているが、それ以上を聞いていない。
ヤローヴェは、本当は聞いているのに黙っているのではないのかとバラネシュティを訝しんだ。
バラネシュティは本当にそんな話は聞いていない、知っていたらさっさと人間たちの手を借りて完成させていると主張。
じゃあ明日、直接ドラガンに聞いたら良いだろうという事になったのだった。
話を聞き終えたアリサは無言で頭を抱えた。
ドラガンは、隣に座った姉から、ただならぬ殺気を感じ涙目になっている。
ヤローヴェとバラネシュティは、じっとりとした目でドラガンを見ている。
あまりにも重い空気に、イリーナはコーヒーのお替りを淹れてくると言って部屋から逃げ出した。
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