第55話 統治

「ご迷惑をおかけしてしまったようで、申し訳ありませんでした」


 ザバリーから話を聞いてドラガンは謝罪した。

以前ベルベシュティ地区からサモティノ地区へ逃走する際、休憩所にザバリーの名を書いていた事を改めて思い出したのだ。

その時はザバリーも一緒に殺害されたと思っていたので、勝手に名前を拝借してしまったのだ。


「何、構わんよ。むしろそういう場面で私を思い出してくれたというだけでも、教師冥利に尽きるというものだよ」


 ザバリーはお茶で口を湿らせると高笑いをした。


「あの頃はアリサさんを驚かせてやろうと、毎日のように何かを考え工作に勤しんでいたね。今もまだ何か工作はしているのかな? まあ、市の責任者ともなるとそんな暇も無いか」


 ドラガンはかつてのザバリーの生徒だった頃と同じようないたずらっ子の顔をすると、席を立って執務机の引き出しを開けて二枚の紙を取り出す。

それをザバリーに差し出し、どう思うかと尋ねた。


 そこに描かれていたものは何かの設計図と思しきものであった。

だが植物学が専攻のザバリーには、それが何かはわからない。


 一見すると窯の中にやかんが収まっているように見える。

そこから細い管が出ていて、その先に風車のようなものが描かれている。


「これは何ができる道具なのかな? 申し訳ない、私ではこれだけではよくわからなくてね」


 どうやらドラガンはあの頃のまま大きく成長してしまったらしい。

ザバリーも思わず苦笑いである。


「お湯を沸かすんです。そうすると湯気が出ますよね? その湯気で風車を回せないかなって」


 お湯を沸かすと蒸気が出る。

それはザバリーも知っている。

というかそれだけなら多くの人が知っている事だろう。

だが、それがどうしたというのだろう?

そんなもので風車を回したところで、そんな力、たかが知れているのではないだろうか?


「その力がそれなりに強ければ、あの時の水汲み器のように生活の役に立つかもしれないね」


 ザバリーの言葉にドラガンは脳の奥が痺れたような感覚を覚えた。

ザバリーをそっちのけで執務机に行き、真っ新な紙を出して、かりかりと何かを描き始めた。


 それをザバリーは微笑ましいという顔で見守ったのだった。



 ザバリーがお茶を飲み干した頃に、ドラガンははっと何かを思い出したように顔を上げた。


「す、すみません! あの僕、夢中になっちゃって」


 ザバリーは焦るドラガンを見て大笑いであった。

あの頃と何も変わっていない。

あの日、ロハティンに行商に向かってから五年。

筆舌に尽くし難い経験を重ねてきたであろうに。



「そういったことができるところを見ると、市の責任者の仕事はそこまで大変じゃないのかね?」


 ドラガンは机の上の書類の山に目をやると、鼻の頭を掻き、実にバツの悪そうな顔をする。


「実はその……責任者の方の仕事が滞りまくってまして。よくわからないんですよ。こういう書類って」


 ドラガンは困り顔をして、比較的見せてもよさそうな書類をザバリーに見せた。

その書面はザバリーからしたら全然見て大丈夫な書類では無かったのだが、口外しなければ大丈夫だろうと判断した。


 内容はこの街の税制案に関するもの。

著名はトリフォン・ボロヴァンとなっている。


 マーリナ侯爵領の税制はいたってシンプルで、侯爵への納税は税収の一割と決まっている。

当然、村の規模が違うため納税額の多少は出る。


 マーリナ侯は、納税の際に人口の増減申告を義務付けている。

こうすることで、新生児の誕生と他地域からの流民、死亡者数を把握しているのである。

人口に対し納税額が適正か、急に死者が増えたりしていないか、出生率が低下していないか、そういったことを執事は気にしている。

税の額そのものは全く気にしていない。


 突発的な事以外は各村のことは各村で。

アドバイスはするし相談にも乗るが指示はしない。

それがマーリナ侯の方針なのである。


 現在のプリモシュテンの財務諸表が一緒に添付されており、大赤字であることが指摘されている。

だが、どの家もまだ蓄えが無く日々の生活にもゆとりはない。

だからあくまで案なのだろう。



 ザバリーは書類を机に置くと静かに目を閉じた。

確かにドラガンが音をあげるのもわからないでもない。

こんなの何の知識も無い者にとっては遠い異国の料理の献立にしか感じないだろう。

何と言ってアドバイスしようかと、じっと考え込んだ。


「ドラガン、上に立つ者というのはね、全てを自分では行わないものなのだよ。農家の事は農家が一番わかっているし、漁師の事は一番漁師がわかっている。上に立つ者が行う事は、対立する意見を聞いて、どちらが分があるかを冷静に判断することなんだよ」


 その判断がドラガンだけで難しいというのであれば側に人を置けばよい。

貴族が家宰を置いているのはそういう事なんだ。


 ドラガンはザバリーの言葉に大きく頷いた。

つまり、自分がこの人ならという人を家宰として任命して業務を肩代わりしてもらえば良いんだ。


「あの、ザバリー先生。よく貴族の方々は家宰を一人しか置いていませんが、そういう方は一人じゃないといけないのでしょうか?」


 普通に考えれば、上に立つ者が増えてしまえば統一した方針がでないと考えるものである。

ただそれは貴族たちのように統治者一人に権力を集中させたい場合である。

今の言い方から察するにドラガンは複数の人の合議制にしたいと考えているのだろう。


「別に複数でも良いと思う。だが二点注意点がある。一つはなるべく少人数に。そしてもう一点、人数は自分も含め奇数になるように」


 ドラガンとしては、その一人にはザバリーになって欲しいと思っている。

ザバリーも何となくそんな雰囲気は感じている。

だがザバリーは拒んだ。


「私は子供たちの教育があるから無理だよ。もし私の意見が聞きたくなったら、個人的に学校に来てくれたら良い。いつでも相談に乗るから」


 それはザバリーだけでなく、きっと多くの人がそう思っていることあろう。


「我々頭の固い『長老』は、これまでの経験則で、君たち若者の相談に乗る立場なんだよ。なにせ未来というのは若者たちのものなのだからね。自分たちの未来の為に、今からじっくりと悩んだら良い。我々には無いその頭の柔らかさと発想力でね」


 聡明な君ならきっとわかるはずだ。

ザバリーはあの頃のままの優しくもどこか厳しい笑顔で微笑んだのだった。 

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