第48話 外交
「何っ!! 中身を割って見るために高価な真珠を購入しただと? お前たちは何を考えておるのだ! 領民の貴重な税金だぞ!!」
私が不在の隙に好き放題やりおってからにと、マーリナ侯爵宅から戻ったユローヴェ辺境伯は、頭ごなしに家宰トロクンを叱り飛ばした。
漆箱が評価されればそれくらいの投資金は返ってくると判断したとトロクンが説明すると、ユローヴェ辺境伯は、それはそうかもしれんがと言葉の勢いを弱まらせた。
さらにザレシエに研究の指揮を執らせたと報告すると渋々ながら納得した。
納得はしたものの一同の顔をじっとりとした目で見ている。
さすがにドラガンも、その刺すような視線に耐え切れず目を泳がすしかなかった。
「ところで会談の方はどうだったんです?」
たまらずポーレが話題を変えようと話を振った。
そう聞かれただけでユローヴェ辺境伯は、にやけそうになるのを必死に堪え口の端をひく付かせた。
その表情で予想以上の良い成果があったらしい事をポーレたちは察した。
「喜べ! マーリナ侯は完全にこっちに付いたぞ!」
ユローヴェ辺境伯の顔を見てすぐにマーリナ侯は、あの愚か者を排除するのに随分とかかったものだと嘆息した。
マーリナ侯爵領にも、これまでドゥブノ辺境伯の重税に耐えかねて移り住んだ者がかなりいたらしい。
移り住んだ者は、仕事、住居といった生活基盤というものが何も無い。
放っておくと犯罪を犯してしまう為、ある程度の生活の保護をしてやらなければならない。
とは言えすぐに生活が安定するわけでは無いし、保護での生活に甘んじる者もそれなりに出る。
近年、社会保障費の出費が異常に増えており、その分行政サービスはおろそかにならざるをえなかった。
最低限の行政サービスを維持する為に、税率を上げざるをえなくなっていたのだった。
そこまでしても犯罪に手を染める者が後を絶たず、治安が悪化の一途を辿っていた。
さらにこれまで真面目に働いていた者まで職を捨て犯罪集団に加入したりしていた。
それを討伐する為に軍を動かさねばならなくなる。
それにより犠牲になった兵の遺族は生活が困窮することになり、社会保障費で支援することになる。
悪循環だったのだ。
社会福祉にまわす金が減った事で医療費が高くなり、病気や怪我をしても医者に診せず自然治癒に頼る者が増えてしまった。
そのせいで病死や急死する者が増え、生産効率が落ちたらしく税収も減る一方だった。
移住を拒否したいところだが、賊を組織され領内を略奪されるのが目に見えている。
そうなれば民衆の怒りは領主に向かってくることになる。
反乱でも無い限り他領の内政に干渉するわけにもいかず、ずっと苦々しく思っていたらしい。
マーリナ侯の方でも、ユローヴェ辺境伯同様ドゥブノ辺境伯領の民を支援し反乱を起こさせ、どうにかして内政干渉できないかと言い合っていたのだそうだ。
ご苦労であったとマーリナ侯は頭を下げた。
こうなればもう交渉は成功したも同然だった。
ユローヴェ辺境伯は実は見ていただきたいものがあると切り出した。
私の知人が最近結婚してその妻の弟が面白い物を作った。
自分は一目見て惚れ込んだのだがマーリナ侯はどう感じるか?
そう言って例の漆箱を提出した。
マーリナ侯は漆箱を見ると触っても構わないかと尋ねた。
あまりにも綺麗で触ると痕が付くが布で拭けば問題ないとユローヴェ辺境伯は説明。
安心したマーリナ侯は漆箱を手に取り、陽の光に当てあらゆる角度から眺め見た。
美しい!
家宰デミディウと二人で完全に漆箱に見惚れていた。
「そちらの漆箱は差し上げます」
ユローヴェ辺境伯の言葉がすぐには理解できなかったらしい。
マーリナ侯は漆箱を食い入るように暫く見つめていた。
その後ではっとして箱を机に置いた。
「今、何と?」
「あはは。それは差し上げますよ。試作で五つ作ったうちの一つですから」
マーリナ侯はきょとんとした顔でユローヴェ辺境伯の顔を見ている。
「いやいや。このような高価そうな物は受け取れぬよ」
「今はまだ高価そうというだけです。それがどこまで高価になるかについては、これからにかかっています。それがこの辺り一帯の工芸品に育つかどうかに」
マーリナ侯も長く貴族として領民を従えてきただけのあり『この辺り一帯の』という部分を聞き逃さなかった。
「と言うと、うちでもこれを作らせてくれるというのか?」
「装飾の見事さ、意匠の巧みさ、競い合うように技術を磨いていけば、さらに良き工芸品に磨き上げられると思うのですが?」
何と懐の深いことだ。
マーリナ侯は、漆箱を大事そうに手に取りながら目を輝かせた。
暫く漆箱を見てふいに机に置いた。
「これだけの贈物だ。どれだけの『返礼』を期待されておるのやら」
「そんな、こちらは何も」
当然、ユローヴェ辺境伯もただ良い物ができたから贈物に来たわけではない。
そんな事はマーリナ侯も承知済みなのだが、ユローヴェ辺境伯はあえて下心など無いという態度をとった。
「それではこちらの気が済まぬ。どんな事でも良いから言ってみて欲しい」
「ではマーリナ侯を見込んで一つ」
ユローヴェ辺境伯は、以前から竜産協会が老いた海竜ばかりを売りつけてきて、すぐに使い物にならなくなり竜の買い替えで購入金額が嵩んでいるという話をした。
餌もここ数年値上げを繰り返されておりそれも領民の生活を圧迫している。
その事を調べていただきたいとお願いした。
「その件なら私も承知しておる。何かしら手を打ちたいとずっと思っておった」
竜産協会が餌の価格を各貴族領によって変えているという事を隣のオスノヴァ侯から聞いて、つい最近知ったらしい。
調べてみると事実であった。
しかもそれは伯爵領や辺境伯領という少し立場の弱い領地に対して行われていた。
「そうお思いでしたら、エルフのドロバンツ族長の檄に、ご賛同いただければ良かったのに」
「あの時か……君たちと違って我々はロハティンに市場を持っておらんのでな。情報が入って来ておらず、何を騒いでおるかわからなかったのだよ」
マーリナ侯は少し苦々しいという顔でお茶を啜った。
「今はどうお考えなのですか?」
「逆に尋ねるが、ドロバンツ族長が国王陛下を暗殺したという発表を貴殿はどう考えておるのだ?」
ユローヴェ辺境伯は、マーリナ侯には本当にあまり情報が入っていないのだと実感した。
確かにこの御仁なら、もっと情報が入っていれば悪を正してやると鼻息を荒くしそうなものではある。
「その件なら、もう虚報だと判明しておりますよ」
「なぬ? どうやってそれが?」
マーリナ侯は家宰のデミディウの顔を驚愕の表情で見た。
デミディウも初耳だという顔をしている。
「あの後すぐ、ボヤルカ辺境伯から文を貰いました。ベルベシュティ地区に飛んだヴァーレンダー公のセイレーンが真実を届けたそうです。陛下を殺害をしたのが誰かはわからないですが、族長は罪を擦り付けられたと」
「だが、それが事実とは……」
にわかには信じられない。
実際、マーリナ侯もあの時に王都アバンハードに駐在していたのだ。
そしてあの騒ぎの報告を聞いている。
「あの時ドロバンツ族長に賛同した貴族の何人かが今姿を消しています。そのセイレーンも追撃を受け怪我を負っていたということです。状況から考えるに限りなく事実ではないかと」
「ブラホダトネ公とオラーネ侯か……」
マーリナ侯は横で聞いていたデミディウにどう思うか尋ねた。
デミディウもかなり悩んでいる様子だった。
ただマーリナ侯とデミディウでは、悩んでいる部分が違っている。
デミディウはここまで独自にロハティンの一連の事件、国王の死とそれに関連する貴族の死について調査しており一定の結論を出している。
それはロハティン総督たちの暴虐が極まっているという結論だった。
公表されている話は、いかにも取り繕った感が強い。
一方で噂で聞こえる話はそれより詳細でおまけに筋も通っている。
比べるべくもない。
ただ、そういった輩を相手にするという事は、それなりの犠牲や損害も覚悟しないといけないという事なのだ。
「そういう事ならばグダグダと議論する余地など無い。我が領は正義に付く!」
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