第47話 真珠

 蟄居ちっきょと言っても、ポーレにしろ、ドラガンにしろ、ザレシエにしろ、行動に何か束縛が与えられているわけではない。

唯一の束縛は『ユローヴェ辺境伯領から出ることを禁ず』というものだけ。

食事も三食用意されるし、酒も呑みたいといえば出てくる。


 ただ、連日三人には会議が待っていた。

それはある意味、今回の件よりも余程重要で対処困難な話であった。


 先代ドゥブノ辺境伯アナトリーの妻子は屋敷を追い出され実家に帰ることになった。

彼女たちの実家はサモティノ地区の南マロリタ侯爵家である。

そのマロリタ侯爵家はロハティン総督ブラホダトネ公の妻ヤナの実家、つまり外戚である。

今回の件は確実に次の事件を引き起こすことになるだろう。


 マロリタ侯爵領は竜産牧場のあるランチョ村と提携していて、海竜の生産、飼育を行っている。

恐らくこれから海竜の価格の吊り上げをしてくると推測される。

現状でも良い竜は全てマロリタ侯爵領に提供され、サモティノ地区は使い古した老いた竜ばかりを提供されている。

まずはそれに対する対処が急務と考えられた。


 会議の中で出てきたのはマーリナ侯を頼ろうというものだった。

マーリナ侯は竜産協会の専務理事の一人である。

竜産協会は四人の貴族によって運用されている。

四人のうち一人が理事長、それ以外が専務理事。

スラブータ侯、マロリタ侯、マーリナ侯が現在の専務理事である。


 この四人の理事は余程の事がなければ変更は無い。

本来であればスラブータ侯の代わりにホストメル侯がその任に当たっていたのだが、ホストメル侯が宰相を務めることになり代わりにスラブータ侯が入っている。

ちなみに先代のスラブータ侯が行方不明になってからは理事会は欠席している。


 この四人で理事会を開きマロリタ侯がオラーネ侯を推薦したことで、現在、理事長をオラーネ侯が務めている。

つまりマロリタ侯は『奴ら』の陣営ということになるだろう。



 今回頼ろうとしているマーリナ侯は、高齢ではあるものの正義感の非常に強い人物で、徳にも篤いと評判の人物である。

恐らくかの御仁であれば、事情を知ればこちらに引き入れることが可能なのではないかという結論に落ち着いた。


 そこでユローヴェ辺境伯自らマーリナ侯に会いに行くことになったのだった。



 だが、ただ会いたいと言っても隣領であのような事があった後である。

誰だって厄介ごとに巻き込まれるのは御免だろう。

そこでドラガンは、漆工房に例の貝の装飾の施された漆箱を受け取りに行ってもらった。


 ドラガンは村の漆工房にお願いして、同じ貝細工の施された漆箱を五個作ってもらっている。

一つはアリサへの結婚祝い。

一つはレシアへの贈物。

残り三つのうち二つがサファグンの族長へとユローヴェ辺境伯への謝礼。

残った一つは外交に使用する用であった。

その漆箱の出来栄えを見たユローヴェ辺境伯はニヤリと笑った。


「会談の成果を楽しみに待っていて欲しい」




 ユローヴェ辺境伯が外交に赴いている間、ドラガンはザレシエと真珠の研究所へ向かった。

真珠養殖の成果を見せてもらうためである。


 ここが研究所と言われて案内された建物に、ドラガンとザレシエは唖然とした。

建物は手入れが全く行き届いておらずボロボロだった。

これはどういう事かと執事のカホフカが訪ねると、研究所の所長ネルシャイは、支援が途絶えがちで施設の修理にまで金が回らないと暗い顔で答えた。


「何度も同じ事を言うようだが、我々は、お前たちの知的欲求を満たすために貴重な税を注ぎ込んでいるんでは無いのだよ」


 カホフカは机を叩いて所長に指摘した。

机もだいぶ老朽化しており、その勢いで壊れてしまわないか少し冷や冷やする。


「それはわかっています! ですが研究というものは、どれだけお金があるかなんですよ!」


「それは何度も聞いた! これも何度も言うことだが、予算をかけようと思えるような成果を少しでも良いから見せてくれ!」


 これではどこまでいっても意見は平行線だとザレシエは呆れ顔をしてドラガンに小声で囁いた。

だけどどっちの言い分もわかるとドラガンは苦笑いする。


 言い合いをする二人にドラガンは、ここまでの成果を教えて欲しいとお願いした。

所長は研究室内の事務室のような所にドラガンとザレシエを案内し一粒の真珠を見せた。


「これが養殖でできた真珠です」


「天然の物は無いのですか? 比較してみたいのですけど」


「天然物を買うような資金、うちにはありませんよ」


 所長の予想外の発言にドラガンはきょとんとしてしまった。


 話にならないとザレシエは憤った。

それではこれが天然物に比べどの程度近いものなのか判断が付かないではないか。


「買えるだけの資金は提供したはずだ! あの資金は一体どこに消えてしまったんだ!」


 カホフカは苛々しながら所長を問い詰めた。


「我々にも生活があるんですよ。あの程度では、あっという間に生活費で消えてしまうに決まっているでしょうが!」


 そこからカホフカと所長は、また言い合いを始めてしまった。



 これでは話が先に進まないと感じたドラガンは、後で色々聞くのでと言って、カホフカには一旦帰ってもらうことにした。

その後でザレシエと二人で所長とラルガという研究員から、ここまでの真珠の研究について伺った。


 人間も極稀に体内に石ができる人がいる。

痛くて動けなくなり寝ている間に摘出の手術をしないと、最悪の場合死んでしまう事すらある。

エルフの精製する薬で、ある程度痛みを抑えたり石を溶かす事ができる。

全く同じ理論というわけでは無いが、一部の貝も体内に石を作ることがある。

阿古屋貝という貝が体内で作りだした石が『真珠』である。


 体内のどこで作られるか、それはわかっていて、石を作り出してから何日も栄養を摂取することで石が大きくなる事もわかっている。

だがその石の核が何なのかがわからない。

色々と試してみたのだが、死んでしまったり体外に吐き出されたりして、上手くいったのは先ほどの真珠だけなのだそうだ。


 そもそも天然でも真珠を持つ貝と持たない貝がいて、その差もわからない。

もう何年も研究はそこから先に進んでいないのが現状なのだとか。



 そこまで聞いたザレシエはドラガンに、天然の真珠を一つ買ってもらいましょうと提案した。

天然の真珠を調査したことが無いのでは話はどうあっても先に進まない。


「買ってもらってどうするの?」


「真っ二つに割ってみるんですわ。断面見へんことには何もわからへんでしょ」


 さすがにドラガンもそれはちょっとと躊躇した。


「勿体無い。カホフカさんだけじゃなくトロクンさんも絶対そう言うと思うな」


「研究のためですわ。それで養殖できたら真珠代どころかこれまでの研究費も返ってきて、おつりも出ますよ」


 ザレシエの言い分もわからないでもない。

ネルシャイ所長もラルガもうんうんと頷いている。

それでもドラガンは悩んでいる。


「でも天然の真珠ってもの凄い高いんでしょ?」


「ダラダラ研修しとったら、その方がもの凄い金がかかりますよ」


 それは確かにその通りだろう。

ここからは、一発逆転のギャンブルに賭けるか、確率の悪いギャンブルに少額を投じ続けるかという事になるだろう。


「わかった。帰って話をしてみよう」



 案の定、報告を受けたカホフカは天然の真珠がいくらすると思っているんだと怒りだしてしまった。

それをドラガンがまあまあと言って宥め、家宰のトロクンとポーレを呼び、ザレシエの説明を聞いてもらった。

ポーレは説明を受けても、それはさすがにマズいんじゃないのかと顔を引きつらせた。

だがトロクンは目を閉じ腕を組んで暫くじっと考え込んだ。


「その天然の真珠があったとしてだ。研究がどの程度進むと考えておられるのだ?」


 トロクン腕を組んだままはザレシエに尋ねた。


「わかりません。ただ、それで研究が進むんやったら、今のまま停滞しだらだらと維持費がかかるよりは安上がりになるんやないかと」


「なるほどなあ。そういう考えもあるかもな。それに、あの漆箱がそれなりに評価されるようなら、それくらいの研究費、捻出してもさして痛くないかもしれんしなあ」


 これまでであれば、即座にダメだと言っていたであろう。

だがドラガンの注文した漆箱はトロクンから見てもかなりの一品に感じた。

試作品であれなのだ。

恐らく漆箱は今後調度品としてサモティノ地区にかなりの富をもたらすであろう。


「真珠の中身を見たことも無いのに養殖に成功しているんですよ? それやったらと思いましてね」


「何っ!!! 高価な真珠を割るつもりなのか?」


 ここまで唯一乗り気であったトロクンの顔が誰から見てもわかるほどに引きつった。

だがザレシエは眉一つ動かさない。


「養殖に成功するんやったら安いもんでしょ?」


 ザレシエに挑発されトロクンの表情がさらに引きつっていく。


「むむむ……あいわかった。辺境伯には私も説得しよう。ただし一つ条件がある。ザレシエ、お前が指揮を執れ!」


「わかりました。明日から研究所に詰めて詳しう資料を見てみます」


 トロクンとザレシエは頷き合ったが、ポーレは、怒られても知らないぞと顔を引きつらせた。

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