第28話 惜別
翌日からベアトリスは四六時中ドラガンの横に侍った。
ドラガンも特に面倒がる感じじゃなく、嬉しそうな顔をして二人で何かを言い合っては笑い合っている。
イリーナはその光景を見て、ドラガンとの別れが近いのだと寂寥感を感じていた。
数日後、ロベアスカ首長がいつものように、ドラガンの同年代の子たちに声をかけ酒宴を設けたので行きましょうと声をかけてきた。
いつもは何やかやと揉めるのに、この日はアリサとイリーナから行ってらっしゃいと送り出された。
その二人の態度でロベアスカはすぐに彼らに何かあったと察した。
まだ開始まで時間があるから、たまにはアリサさんとお話でもしたいと家に上がりこんだのだった。
「ああいう方を弟に持つって、どんな感じなんです?」
ロベアスカはコーヒーを淹れているアリサの背中に向かって問いかけた。
「小さい頃からあの調子でしたからね。何かと気苦労は多かったですよ」
アリサはコーヒーを淹れながら、幼少の頃のドラガンを思い出しクスクス笑う。
「でしょうね。昔から賢い子の身内いうんは、人一倍不幸なことになりやすい言いますからね」
「そうなんですか? エルフの間の言い伝えですか?」
コーヒーを淹れ終えたアリサが二人分のカップを持って振り返る。
「どうなんやろうね。昔から村にちょっと雰囲気の違う子が出ると、家族がその子を捨てたり殺めたりせんように、周囲が気を付けてきたんですわ」
「じゃあエルフたちがドラガンを大切にしたのって……」
「そういうのも多少はあるんかも知れませんね。だけど、あれだけの事をしてもろて無下に扱うほど、エルフは恩知らずや無いですよ」
アリサは少し眉をひそめて笑顔を作った。
その表情で首長は多くを察した。
「うちらエルフの思いが重荷になってもうてるんですか?」
「えっ?」
ロベアスカはアリサの反応を見ずにコーヒーを口にした。
「確かに逆の立場やったら、だんだん身動きが取れへんように思うかもしれませんね」
「そんなことは……」
言葉とは裏腹にアリサの表情は、伏し目がちで思いつめたようなものになっていた。
「村を出る事に決めたんですか?」
言葉を詰まらせたアリサにロベアスカは、そうですかと短く言った。
優しく微笑むとアリサの目をじっと見つめた。
「ついにその日が来たんやね。こっちの準備はもう済んでるから、後のことはうちらに任せたら良い。上手い事やってみせますから」
「どういうことですか? 準備って一体……」
ロベアスカは自信満々の顔をアリサに向けた。
「族長から、近い将来ヴラドは必ず村を離れる決断をするから、餞別になりそうな侍従をちゃんと用意しとけ言われてたんですわ」
「じゃあ、もしかして酒宴って……」
「そうです。ヴラドに付いていけそうな従者を探しとったんです。こういうんは縁もありますからね」
あまりに突飛な話にアリサは目を丸くして驚いている。
こうなることまで見越して対応していただなんて。
しかも餞別まで準備していただいているだなんて。
「ほんまは嫁さんも世話したろう思うてたんやけどね。どんなに女の子に迫られてもさっぱりやった。あの朴念仁は、そっちの方はどうにもならへん。お手上げやわ」
がははと笑い出したロベアスカに、アリサも乾いた笑いをするしかなかった。
ロベアスカの態度に、アリサは心の重りがふっと軽くなるのを感じた。
こんなことならもっと早く相談すれば良かったとすら思った。
「あの……色々とありがとうございました。皆さまは私たち姉弟の文字通り命の恩人です」
「うちらエルフは、どれだけの命が救われたかわからへんのです。感謝してもしきれへん。うちかて、もしかしたら、残った二人の娘も病で亡くなってたかもしれへんしね」
ロベアスカは優しい顔でアリサに微笑みかける。
その顔を見てアリサも覚悟を決めた。
ドラガン一人に責任を負わせてはならないと強く思った。
「ギリギリまで村におったら良えですよ。厳しうなったて思ったらそっと逃がすから。いつでも村を離れられる準備だけはしといてや」
「何から何まですみません。ありがとうございます」
ロベアスカはコーヒーを飲み干すと椅子を立った。
「そしたら酒宴に行ってきますわ」
『その日』は、皆が思っていた以上に早く訪れた。
ひと月も経たずに、ベルベシュティ地区にロハティン駐留軍が侵攻準備をしているという噂が流れてきたのである。
ロベアスカは、アリサに話をしてから『その日』が来るまであちこちに準備を促した。
ヤローヴェ村長とも口裏を合わせたし、バラネシュティ族長にも連絡をつけた。
族長はボヤルカ辺境伯に連絡をつけた。
そこからわずか数日の後、ジャームベック村にロハティンの公安が一団でやってきた。
彼らがベルベシュティ地区に立ち入った時点で、族長の屋敷に急報が入った。
村から村へ足の速い者が走り、次の村の使者がまた次の村に走るという感じで、恐ろしい速さで報告がもたらされた。
そこから同じ要領でジャームベック村にも急報が飛んだ。
首長は村中に聞こえるように木鐸を鳴らした。
侍従を志願した者は急いで身支度を整え、両親に別れを告げ、待ち合わせの場所へ急行。
アリサも準備をし外で待った。
ドラガンも身支度を整えていた。
部屋を出ようとすると、入口にベアトリスが立って俯いている。
「ベアトリス。今までお世話になったね。君がいなかったら僕はとっくに死んでいたと思う」
行っちゃ嫌だ……
ドラガンに聞こえないような小さな声で、ベアトリスがそう呟いた。
「君のおかげで僕は立ち直ることができたし、今日まで楽しく過ごしてこれた。ありがとう」
嫌だ……
またベアトリスが小さな声で呟いた。
ポロリと涙を零す。
「ねえドラガン、お願いがあるの。ほんの少しの間だけでいいから目を閉じて」
「こうかな?」
ドラガンはその場で両目を瞑り棒立ちになった。
ベアトリスは、足音を立てないように静かにドラガンに近寄る。
ほんのりと香辛料の香りに混ざって牛乳のような香りがドラガンの鼻をくすぐった。
ベアトリスは両手でドラガンの頬を軽く持つと、自分の唇をドラガンの頬にそっと近づける。
軟らかく温かい感触が当たり、少し甘酸っぱい香りが牛乳の香りに混ざる。
「もし他の娘と結婚したとしても、私のこと忘れたら嫌やで」
「忘れたくても忘れられないよ。僕の二人目の姉ちゃんだもん」
『姉ちゃん』
そう言われベアトリスの頬を雫が走った。
「初めてやね。姉ちゃんって言うてくれたの」
「ずっとそう思ってはいたんだよ。だけど、恥ずかしくて呼べなかったんだ」
「今は恥ずかしうないの?」
「……恥ずかしいよ」
ベアトリスは濡れた頬を服の袖で拭う。
鼻をすすると無理やり笑顔を作った。
「ねえ。きっとまた会えるよね?」
「きっと会えると思う。だから、その日まで元気でいて欲しい」
「わかった。約束やで」
ドラガンはベアトリスの顔をじっと見つめた。
ベアトリスは耳と頬を赤らめ恥ずかしそうな顔をし、ドラガンから目を反らした。
「じゃあ行ってきます!」
「行ってらっしゃい!!」
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