第53話 傷心

 あまりに凄惨な話に、翌日、ドラガンは終日落ち込んでいた。


 ベレメンド村は狭い村である。

幼い頃から、皆、家族同然に付き合っていた。

時には悪戯をして叱られた事もあった。

お菓子を貰う事もあったし、一緒に遊んでくれたお姉さんやお兄さんもいた。

あの人たちのほとんどがもうこの世にいないだなんて……

にわかには信じられない。


 母さんも姉ちゃんもどうなったかわからない。

この先、何を支えに生きていけば良いのか……


 ベアトリスの父の机で、じっと外を見ながら遠い空を見つめている。

目の前にはラスコッドの手紙が置いてある。

手紙を開いただけでラスコッドの笑顔を思い出してしまい、未だ目を通せないでいる。




 バラネシュティ首長と一緒に食事処に行き、そこで相当な事があったらしい。

それはイリーナにもベアトリスにもすぐに察せられた。

どうしたのとイリーナも尋ねたのだが、ドラガンは精一杯の作り笑いを浮かべただけだった。


 ベアトリスが夕飯だと呼びに行った時には、もう寝床に入っていた。

朝、様子を見に行った時には椅子に腰かけ無言でぼんやりと空を見ている。

およそ声をかけられるような雰囲気ではなかった。


 外に連れ出してみようかとベアトリスが言ったのだが、よほどの事があったのだろうから、まだそっとしておきましょうとイリーナは言った。

ただ、思いつめて極端な行動にでるかもしれないから、小まめに様子だけは見に行こうという事になった。



 その翌日もドラガンは思いつめたままだった。


 朝、バラネシュティが家に来てドラガンの様子を聞きに来た。

その際、ベアトリスたちもドラガンの故郷『ベレメンド村』の話を聞いてしまった。

バラネシュティは村が無くなり村人は皆殺しにあったとだけ言った。

それだけでもどれだけ凄惨な事が起こったか簡単に察せられる。

この村も同じ目に遭うかもしれないから絶対に他言無用だとバラネシュティは口止めをした。



 イリーナはベアトリスに、ドラガンを連れてくるから食事の用意をしておいてとお願いして部屋を出て行った。

イリーナが部屋の扉を開けると、ドラガンはまだ机に頬杖を付き窓から空をじっと見つめていた。

入るわよと言ったがドラガンは無反応。


 イリーナはそんなドラガンを背後から優しく抱きしめた。


「私も話聞いたよ。酷い事するもんやね」


 その言葉だけで、ドラガンは目にじわりと涙を浮かべ小刻みに震えた。

その後ボロボロと涙を流した。

急にイリーナの方に向き直すとイリーナの腰に抱き着き、堰を切ったように大声をあげて泣き始めた。

イリーナは無言でドラガンの頭を撫で続けた。


 かなり長い時間ドラガンは泣き続けた。

その間イリーナはむずかる子供をあやすように背中をぽんぽん叩き続け、優しく頭を撫でた。


「ドラガン。まずはご飯を食べましょう。生きている人は旅立った人の分まで食べないと。ね」


 ドラガンは小さく頷くと唇を強く噛み涙を拭った。


 イリーナに肩を抱かれドラガンは食卓へと向かった。

食卓には食事が用意されていて、ベアトリスが席に着いて二人が来るのを待っている。

ドラガンの顔を見ると、ベアトリスは安堵した顔をし微笑んだ。



 そこから三人は無言で食事をとった。


 香辛料の効いたスープを匙に取り口に運ぶ。

濃いスープでふやけたパンが空っぽの胃に染み渡る。

平べったいパンを千切り、スープに浸して口に入れる。

温かい食事が大きく傷を負った心に沁み、ドラガンの頬に一筋の涙を伝わせる。


 食事を終えるとベアトリスはコーヒーを淹れに席を立った。

三人はコーヒーを啜ると、静かにカップを机に置いた。

コーヒーにも『桂皮シナモン』という香辛料の粉が入っていて、独特な後味が口内に残る。


「これからどうするん?」


 イリーナは静かにドラガンに尋ねた。


「どうしたもんでしょうね……母さんと姉ちゃんに再会する事が心の支えだったんですが……」


 ドラガンはカップをじっと見つめながら、ぼそりと呟くように言った。


「私ら細かいとこまでは聞かされてへんのやけど、間違いなく二人とも殺されてもうたん?」


「わからないですけど、母さんはその可能性が高いみたいです。ただ、姉ちゃんは売られたんじゃないかって」


 ドラガンの発言にイリーナが顔をしかめた。

聞いてはまずい事だったかもと少し後悔した。


「売られたって誰に?」


「……奴隷商に」


 イリーナは絶句した。

それはもしかしたら死んだ方がマシだったかもしれない。

思わず声に出してしまいそうになったが、絶対に今言ってはならないと言葉を必死に飲み込んだ。


「生きてるんやったら、いつか会える日もあるかもしれへんやん」


 イリーナは必死に笑顔を作りドラガンを慰めた。


「……そうですね。そうだと良いのですが……」


「大丈夫や。強く信じとったら必ず望みは叶うもんやから」


 そう言ってイリーナは机越しにドラガンの肩にそっと手を置いた。


「わかりました……希望は捨てずにいます」


「それはほんまに重要な事なんやで。よう考えてみ。ドラガンのお姉さんが何かの噂を聞きつけてこの村に来た時に、もしドラガンが亡くなった後やったらお姉さんどう思うと思う」


 イリーナの慰めにドラガンは俯いていた顔を上げた。


「……酷く悲しむと思います」


「そうやろ? もしもお母さんも一緒やったら、お母さんきっと立ち直られへんよ? 母親いうのは、いくつになっても子供は可愛いんやから」


 ドラガンはイリーナの話に無言で小さく頷いた。


「家族に会えるまでは、うちの子『ヴラド』として生きたら良えよ。エルフのみんなはヴラドにほんまに感謝しとるんやから。誰もヴラドを虐げたりせえへんよ」


 イリーナの言葉にドラガンはやっと笑みを見せた。

それを見てイリーナとベアトリスも顔をほころばせた。



「そうやヴラド。これからは私の事、お姉ちゃんって呼んでも良えからね」


 ベアトリスもドラガンを慰めようと、そう言って微笑んだ。


「え、何で?」


 ドラガンは予想もしていなかった提案にかなり困惑している。


「何でって私の方が年上やからでしょ?」


「え? 嘘でしょ? ずっと同じ歳だと思ってた。なんなら年下かもって」


 ドラガンはかなり驚いた顔でベアトリスを見ている。

その態度にベアトリスは怒り出した。


「何でやねん! 私、ずっと弟に接するみたいに色々と世話してきたやないの!」


「いや、ほら……見た目というか……」


 ドラガンの視線が、ベアトリスの顔から徐々に下の方に移っていった。

その視線にベアトリスも気付き、さらに怒り出した。


「この胸は、まだ成長途上なんや! これでも私、十六歳やで! ヴラドは話聞く限りで十五歳ちゃうの?」


 ベアトリスが両手で胸を隠し、ドラガンを煽るように言った。


「そんなたった一歳で、そこまで姉貴風吹かせなくても」


 ドラガンは呆れ顔でコーヒーのカップを手にした。


「何でやの! 一歳やって姉は姉やん! ほれ、私に続いて言うてみ。お・ね・え・ちゃ・ん」


「ないわ……」


「ほう。生意気な口を利くのは、この口か!」


 ベアトリスがドラガンの頬を両手でつねると、ドラガンは絶対に言わないと言って抵抗した。

その光景をイリーナがクスクス笑って見守っている。

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