第56話 荒野

 翌朝、レシアは俯きながら耳を真っ赤にして食堂に現れた。

髪を綺麗にとかし余所行きのシュシュでまとめている。

服装も旅行にでも行くかのような小綺麗なワンピース。


「ちょっとレシアちゃん、沼に行くのにその恰好はちょっと。土木作業の現場だから汚れちゃうよ?」


 ベアトリスが笑い出した。



 レシアが来る前にドラガンはベアトリスにアルディノの看病をお願いした。

ベアトリスもアルディノに誰か付き添った方が良いというのは感じている。

あのような事があり一人レシアを向かわせるのもと思うし、ペティアには写生という仕事がある。

ザレシエはペティアの警護をしている。

そうなるとその役は自分しかいない。

やや渋々ではあるがドラガンの提案を受け入れた。


 その話をしようとしたら、レシアが余所行きの恰好で現れたのである。

レシアが着替えに行くと、ベアトリスとペティアはデートと勘違いしていると笑い合った。




 ドラガンとレシアを見送ると、ベアトリスはザレシエに先ほどの話をどう思うかと尋ねた。

先ほどの話とは、ドラガンから提案されたエモーナ村に帰ろうと思うという話である。


「そうやなあ。元々こうなる事を想定してアルディノは来とるからな。頃合いかもしれへんな」


 ザレシエの発言に、ベアトリスとペティアはどういう事なのと目を見開いて驚いた。


「ヴァーレンダー公はあらゆる手使うてカーリクさんを引き留めにくるやろう。そん時に帰る口実がいる。アルディノがサファグンだからを理由に差別を受ける事があれば、それを口実にしてもらおうと」


 ザレシエの説明にペティアは激怒してザレシエの胸倉を掴んだ。


「じゃあまさか、アルディノさんは暴行を受けるためにここに来たの? じゃけ、抵抗せずにあがいな大怪我を負うたっていうの? あんた達何考えとるのよ!」


 ペティアは大きな瞳をさらに見開きザレシエに詰め寄った。


「アルディノだけと違う。私もその覚悟でここに来とるんや。私かアルディノ、どっちかがそういう目に遭うたらそれを言い訳にしてもらおう、そう言う事にしとったんや」


 ペティアは愕然としてザレシエから手を離した。


「ペティアが誘拐されたり、ピクニックで襲撃を受けたりいうのは完全に想定外やったけどな。君らに来てもろたんも、カーリクさんにヴァーレンダー公が変な性的誘惑をさせんためや」


 性的誘惑をされたら、どんな帰る口実も無効になってしまうからとザレシエは説明した。


「君たちを利用した事については謝るよ。私たちもカーリクさんに村に帰ってもらう為に必死に悩んだ結果やったんや」


 ザレシエはそう言うと深々と頭を下げた。

ペティアもベアトリスも、その姿にそれ以上責める事はできなかった。


「フローリン兄もポーレさんもさすがやわ。確かに説明されたらそれしか手は無いように私も思う。だけど、それやったらそう言うてくれたら良かったのに」


 ベアトリスはそう言ったのだが、ペティアは黙っている。


「君らにそんな自然な振る舞いができるように思えへんくてな。どうせ怪我するんはどっちかやから、黙っとこうってアルディノが言うたんや」


 ザレシエの説明にペティアはどうしてと呟いた。


「あなたもアルディノも、なしてそこまでできるの?」


 ペティアの問いにザレシエは少し考え込んだ。

ふっと笑い鼻の下を指でこする。


「それだけ大事な存在やからや。理由はようわからへんけどな。最初は首長さんからの誘いやったんやけど、今は純粋にあの人を守りたい」


 ザレシエはそう言うとかなり恥ずかしそうな顔をした。

何となくベアトリスも恥ずかしさを感じる。


「じゃあみんなでアルディノさんのお見舞いに行こうか。そこであの人の意見も聞いてみよう」


 ペティアがそう提案するとエルフの二人が頷いた。




 レシアは沼に行く竜車の中、ちらちらとドラガンの顔を見て恥ずかしさで耳を赤くし俯いている。

ドラガンの顔を見るたびに昨晩の口づけの事を思い出してしまう。

ドラガンは何かをじっと考えているようで、レシアから顔を背け外を見続けている。


 レシアはドラガンの右手にそっと左手を乗せてみた。

たったそれだけで何だか胸の鼓動が激しくなるのを感じる。

するとドラガンは、ゆっくりとレシアの方に顔を向けニコリと微笑んだ。

左手でレシアの頭を優しく撫でると、また外に顔を向けてしまった。



 沼地に着くとドラガンはレシアを最初の区画に案内した。


「ここね、僕が最初に来た時は毒の沼地だったんだよ。今はこうして……あ、芽が出ている!」


 そう言うとドラガンは畑に入って行き土の状態を確認し始めた。

ふかふかした柔らかい土だ。

色も来た当初の深緑色では無く真っ黒。

触っても手がピリピリしたりもしない。


 ドラガンの姿を見て、遠くの方から作業員のトロルたちが作業の手を止め近づいて来た。

トロルたちは、ここには何の花の種を植えたやら、こっちには何の花の種を植えたやら嬉しそうに説明を始める。

それをドラガンは、うんうんといちいち頷いて嬉しそうに聞いている。


「何やらトロルたちが珍しく仕事をさぼっていると思ったら、カーリクさん、到着してたんですか」


 そう言って建設小屋から出てきたユリヴは、耕作は極めて順調だと他の区画を指差して説明を始めた。

遠くの方を指差し、今はあの辺りの毒沼を手掛けていると報告した。

小麦粒くらいに見えるトロルたちが忙しなく動いているのが見える。


「わずかひと月弱でここまでの成果が得られるとは。今だから言いますが正直言うと最初はそこまで期待はしていなかったんですよ」


 ユリヴがそう言って笑い出すと、ドラガンは、何となく態度で察していたと言って大笑いした。


「もし上手くいかなくても独自に研究してやろう、そんな気持ちで作業してたんです。ですが、こうして自分が携わった事業が形として見えてくるというのは楽しいものですね」


 ユリヴは遠くに見えるトロルたちを眺めながら愛おしそうな目で言った。


「皆が喜んでくれる顔が見えると余計にね」


 ドラガンがそう言うと、ユリヴは同感ですと言って笑い出した。



 これがドラガンがやっていた事なんだ。

そう考えながらレシアは広大な荒野を棒立ちで見渡した。

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