第55話 我がまま

 レシアが部屋に戻ると、ほどなくしてペティアとザレシエが帰ってきた。

いつもより筆が進んだらしく、かなり早めの帰還だった。


 ザレシエはプラマンタからあらましを聞くと、男性は近づかない方が良いかもしれないと言ってペティアに付き添ってもらった。


 その後ドラガンがベアトリスと共に帰って来た。

ドラガンもザレシエから話を聞いて、ベアトリスにレシアに付き添うようにお願いした。


 ドラガンが帰って来た事で、プラマンタは一度総督府に報告に行ってくると言って宿泊所を後にした。

ザレシエが自分も行くと言って付いて行った。



 一人残されたドラガンはお茶を啜り色々な事を考えていた。

わずか一月にも満たない期間。

これで三件目の大事件である。

女性三人だけでも帰らせた方が良いと感じている。


 思わずため息が漏れる。

きっと今頃、ヴァーレンダー公も同じようにため息を漏らしている事だろう。


 するとペティアとベアトリスが戻って来た。


「レシアちゃん、ドラガンに来て欲しいんやって。うちらアルディノさんの様子見に行ってこよう思うんやけどどうかな?」


 レシアが呼んでいる、何か言いたい事があるのだろう。

何が言いたいかは何となく想像がつく。


「二人だけじゃ危険だよ。総督府に連絡して誰か護衛を頼もう」


 ドラガンの提案に二人は少し考え、そうかもしれないと言った。

二人もこの街の治安はイマイチだと感じているとドラガンは察した。




 レシアの部屋に入ったドラガンを何とも言えない匂いが襲った。

何かの柑橘のような甘酸っぱさ、そこに牛乳のような甘さ、さらに桃のような甘さが混ざっている。

レシアの寝ている布団に近づくにつれ、それがレシア本人の匂いだという事に気が付いた。


 レシアはドアに背を向けていて小さく肩を震わせている。

時折、嗚咽のような音が聞こえてくる。


「レシア。酷い目に遭ったね。叩かれたんだってね。大丈夫? まだ痛い?」


 プラマンタからは、服は剥がれたが状況からしてそれ以上はされていないと思うと聞いている。

大人しくさせようと顔を何度も叩かれたらしくかなり腫れているらしい。

後ろからではあるが長い髪の隙間から頬に痣ができているのが見える。

実に痛ましい。


「……帰りたい」


 かき消えそうなか細い声でレシアが呟いた。


 正直ドラガンもそうしてあげたい気持ちであった。

だが六人で来ている以上レシアだけを帰すわけにはいかないのだ。

せめて女性三人。

はたして女性だけで帰してしまっても大丈夫なのだろか。

誰か男性が付いてあげないといけないのではないだろうか。

それならいっそ全員で。


 ドラガンがじっと黙っているので、レシアは我がままを言っていると責められているのだと感じ、また涙が溢れてきた。


 寝返りをうつと、レシアは起き上がりドラガンに抱き着いた。

耳元でただ鼻をすする音だけが聞こえる。

抱きついている腕が小刻みに震えている。


 ドラガンも無言でレシアを抱きかかえた。

まるでエレオノラをあやしているかのように優しくぽんぽんと叩き続けた。


「気持ちはわかるけど、腫れた顔だとアンナさんが心配しちゃうよ。せめて腫れがひかないと」


 やだ。

ドラガンの指摘にレシアは小声で短く言った。

それが我がままだという事はレシアもわかっている。

だが別にドラガンを困らせようとしているわけでは無い。


「困ったな。急に帰るなんて言ったらさ、アリーナさんも寂しがるよ?」


 ドラガンがそう諭すとレシアは小さく首を横に何度も振った。

レシアの髪からレシアの匂いが強く香ってくる。


「そうだ。ベアトリスと変わってもらおう。これからはさ、レシアが僕と一緒に沼地に行こうよ。どうかな?」


 ドラガンの提案にレシアは無言でぎゅっと強く抱き着いた。

無言の肯定、ドラガンはそう受け取った。


「どっちにしてもアルディノも当分は帰れないからさ。レシアは僕と一緒にいよう。ね」


 ドラガンは無言で抱き着いているレシアの背をまたポンポンと叩いてあやした。


「アルディノさん、どうなっちゃったの?」


 レシアが震える声でそう尋ねた。

答えるべきか、とぼけるべきか、かなり迷った。

だがここで答えないとレシアは落ち着いて眠れないかもしれないと感じた。


「憲兵隊に暴行を受けてね。病院で治療を受けて今は静かに寝てる」


 それを聞くとレシアはまた泣き始めた。


「私のせいで……私を庇ってアルディノさんは……お魚さんたちも、せっかく懐いてきて可愛くなってきたのに……」


 レシアはそこまで言うと声をあげて泣き始めた。

ドラガンは、再度無言で背中をポンポンと叩き続けた。


 いくら懐いたって、食べるために養殖しているんじゃなかったのだろうか?

そういう疑問が沸いたが黙っていた。


「わかったよ。他の人に聞いてみる。エモーナ村に帰ろうと思うけどどう思うかって。それまで我慢できるかな?」


 ドラガンに聞かれ、レシアは静かに首を縦に振った。

ドラガンは少し安堵しレシアの頭を優しく撫でる。


「じゃあ今日はもう大人しく寝てようね」


 ドラガンが優しく引き剥がそうとすると、レシアはしがみついた手を放し、ドラガンの腕に身を委ね布団に横になった。

ドラガンが優しく微笑むと、レシアはドラガンの右手の上に自分の右手を乗せる。


「ねえ、ドラガン。おやすみのキスは?」


 レシアとしては、ここが甘えどころだと思ったらしい。

冗談で言ってみたという感じではあった。

照れて額か鼻を突かれる、そう思っていた。


 だがドラガンは、無言で顔を寄せると唇に唇を触れされた。


「……おやすみ、レシア」


 ドラガンは静かに部屋を出て行った。

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