第4話 内紛
――内紛。
そう聞いてドラガンはすぐに、また前ドゥブノ辺境伯アナトリーが懲りずに脱走でもしたのかと思った。
だがそんな単純な話ではなかった。
むしろ事態はより深刻であった。
現在ドゥブノ辺境伯はアナトリー卿の従弟にあたるビタリー卿が継いでいる。
家宰にはビタリー卿の母の縁者ダニーロ・バルタが就任。
これまで、バルタはサファグンのトリフォン・ボロヴァンという港の会計係だった者を抜擢し、ビタリー卿にはほとんど統治に口を挟ませずに、荒みきったドゥブノ辺境伯領の立て直しに邁進してきた。
税収が減り、軍もそれまでの待遇を維持できなくなり、やむを得ず給料を下げる事になった。
領内の経済が立ち直り税収が回復までの急場の処置とバルタは周囲に説明していた。
だがそんな状況は辺境伯の屋敷で働く者たちの不満を招き、前辺境伯アナトリー卿にそそのかされ、反乱を引き起こしてしまった。
反乱は鎮圧されたものの、この一件でどうやらビタリー卿とバルタの間に溝ができてしまったらしい。
反乱を起こした屋敷の従業員を大量解雇された事で、ビタリー卿は近くの村の施設を利用する事になった。
ただでさえバルタの政策で税収が減り、贅沢を禁じられ不満が燻っていたのに、庶民と一緒に飯を食い一緒の風呂に入れというのだ。
馬鹿にしている。
そもそも、そのような事態を引き起こさない為にいくらでもやりようがあったはず、ビタリー卿はそう感じたらしい。
そんなビタリー卿を激怒させる事が起きた。
ある時、ビタリー卿は厨房を覗く事になった。
貴族なのだから、執務中に飲み物が欲しくなった際には、執事を呼んで持ってきてもらうのが一般である。
だが税収が落ち執事の多くが解雇されてしまっている。
忙しくてビタリー卿の世話まで手が回らないという事が多々あり、待っているより自分で取りに行った方が早いのである。
別にそれについてはビタリー卿も事情を把握しており、やむを得ないと思っていた。
たまたまその時は夕飯前で、厨房では夕飯の支度でてんてこ舞いであった。
ビタリー卿はそこで非常に豪勢な夕食を目にする事になった。
これは誰の食事かとビタリー卿は調理人に尋ねた。
「これは地下で監禁されているアナトリー卿のお食事です」
自分は質素な夕食を強いられているというのに、なぜ大罪人のアナトリー卿がこのような豪勢な食事なのか。
ビタリー卿はバルタを呼びつけ、どういう事かと問いただした。
幽閉といえど貴族であるから、それ相応の対応をしないと他の貴族から苦情が出てしまう。
その説明にビタリー卿は激怒した。
「私も貴族だ!!!」
バルタは今暫くの辛抱ですと説明した。
数年で必ず毎日豪勢な食事が食べられるようになりますからと。
だがビタリー卿の怒りは鎮まらず、ふざけるなと叫んで机の上にあった文鎮を投げつけた。
文鎮はバルタの額をかすめ、バルタの額から血が噴き出た。
それでもバルタは申し訳ありませんと言って謝罪するだけだった。
アナトリー卿たちがやりたい放題やったせいで領民は四散してしまっており、おまけに抜本的な税制改革をしろとユローヴェ辺境伯たちから言われ、税収ががた減りしているのである。
およそ五分の一。
その恐ろしく激減した税収で何とかやり繰りをしないといけない。
爪に火を点すような思いでバルタたちも予算を編成しているのである。
そんなバルタとボロヴァンの元に、漆箱が行商で人気を博しているという情報が入って来た。
これで少しは税収が上がると喜んだ。
その漆箱の価値を上げたのがドラガンたちだと聞き、あの人たちは流石だと言い合っていた。
ところが街道警備隊の侵攻が起こった。
戦争には金がかかる。
戦争自体は歴史的な大勝利に終わった。
戦場もユローヴェ辺境伯領内に止まっており、ドゥブノ辺境伯領には影響は無かった。
だが少なからず兵は死んだ。
さらに問題だったのは、今回の戦争は防衛戦で賠償が取れず兵への特別手当が出せなかった事だった。
不満が爆発した兵たちは、前の辺境伯の時にはこんな事は無かったと騒ぎ立てた。
不満が溜まった兵たちは、牢からアナトリー卿を解放し反乱を起こしたのだった。
それが一月ほど前。
ドラガンたちがアルシュタに向かった頃の話である。
この時も反乱の情報は未然にバルタの耳に入っており簡単に鎮圧される事になった。
だがここで予想だにしていない事が起きた。
再度牢に繋ごうと連行していたアナトリー卿をビタリー卿が殺害したのだ。
「お前のやり方は温いのだ! こいつが生きている限り我らは反乱の危険に怯えなければならない。最初からこうしておけば良かったんだよ! 余計な金もかからんしな!」
翌日、バルタとボロヴァンは解任された。
現在新たな家宰の下、新たな税を増やす事はしないが税率は倍にすると通達があったらしい。
新たな税は増やさないとは言うが、少し前にバルタたちによって税は広く浅く取らないといけないと言って税種が増えたばかりである。
先代の時代とまではいかないが、ユローヴェ辺境伯領に比べれば格段に高い税率になるだろう――
「税収なんて、人が増え産業が振興されて、そこからじわじわと増えていくものでしょうに……」
ドラガンはマーリナ侯の口から語られたドゥブノ辺境伯領の現状に落胆した。
「ヴォロンキー前村長が犬死になってまいますね」
ザレシエがため息交じりに言うと、アルディノは全くだと言って頭を抱えてしまった。
「それだけじゃないんだよ。アナトリー卿が殺害された報がマロリタ侯の耳に入った。秋の議会でその暴挙を糾弾すると言って、今方々に手紙を出して賛同者を募っているんだよ」
そもそもバルタは、アナトリー卿を幽閉する事によってビタリー卿が糾弾される事が無いようにしていたのである。
全ての気遣いが水泡に帰してしまった事になる。
「閣下は、ドゥブノ辺境伯はどうなるとお考えですか?」
ドラガンの問いかけに、マーリナ侯は腕を組み目を閉じた。
「そうだな。ビタリー卿のクーデターという事になると改易になる可能性が高いだろうな。そうなれば新たな家がドゥブノ辺境伯に就くことになる。その場合、宰相の息のかかった者というのが相場だな」
ドゥブノ辺境伯の予測にザレシエは最悪だと呟いた。
もしこの件でマロリタ侯に賛同する者が多く出たら、そのまま奴らに取り込まれる事になる。
そうなればヴァーレンダー公が圧倒的に不利になる。
しかもドゥブノ辺境伯まであっちに付くとなったらサモティノ地区は一枚岩じゃなくなる。
もしマロリタ侯が再侵攻してくる事になったらユローヴェ辺境伯は挟撃を受ける形になってしまう。
ドラガンたちが沈みきった顔をしているとマーリナ侯が笑い出した。
「君たちには、この私が付いている。私は正義は君たちにあると確信しておる。老い先短い身ではあるが、命ある限り君たちの力になってみせるから、どんな事でも相談に来なさい」
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