第56話 説得

「よう考えたんじゃけどね、やはりうちらは一緒にゃあ行けません」


 ヴェトリノはそう言ってポーレにかげりのある笑みを見せた。

逃げるのは深夜だということだから、間違いなく子供たちは足手まといになる。


 それにフリスティナからこの街で起きた事をしっかりと日記に書き記して欲しいとお願いされているから。

もし脱出するのであれば、それも持って逃げないといけない。

そうなれば、自分もきっと足手まといになるだろう。


「それにね、うち、この学校に強い思い入れがあるけえ」


 その言葉を聞くとアルテムは堪えきれずに部屋を飛び出して行ってしまった。


 学校の外に出たアルテムは狭い狭い校庭にしゃがみ込んだ。


 きっとあの先生は、この後自分にどんな災厄が降りかかってくるか、何となく想像はできているのだ。

その上で、自分が始めたこのボロボロの学校と運命を共にしようとしているのだ。


 恐らく自分たちを匿った事は明るみに出るだろう。

きっとそれも日記に書いているだろうから。

内通者としてどんな目に遭うかは、もはや想像もつかない。


 うずくまって泣いているとチェレモシュネとタロヴァヤがやって来た。


「何とかあの先生をさらって逃げる事はできませんか? 子供たちと一緒に」


 山賊暮らしのせいでこいつもすっかり山賊精神が身に付いてしまったらしい。

そう思うとタロヴァヤは可笑しくなって鼻で笑った。


「俺たちはもう山賊稼業は辞めたんだよ。お前だって知ってるだろ?」


 冗談で言うチェレモシュネにアルテムは、でもこのままではと涙を零した。

その顔を見てタロヴァヤは、しゃあねえなあと言って夜空の星々を眺め見た。


「じゃあよ、久々に山賊に戻るか。スラブータ侯とソシュノには黙っててくれよ?」


 ガキ共でも誘拐するのかとたずねるチェレモシュネに、タロヴァヤは昔の俺たちじゃあるまいしと笑い出した。


「そんな無粋な真似しねえよ。子供たちの心を盗んでやるんだよ。子供たちが俺たちと一緒に行きたいって言やあ、あの姉ちゃんだってやむを得ねえってなるだろ」


 日記なんぞ何冊あるのか知らないが手分けして持ち出せば良い。

どうしてもプリモシュテンの学校よりロハティンの学校が良いというなら、少し落ち着いたらまた戻ってくれば良い。

子供たちの中にも戻りたいって子がいるかもしれないし。


「だけど、そんなんであの人納得してくれますかね? 頑固そうですよ?」


 アルテムがそう言うと後ろからそんな事だろうと思ったという声がした。


「あんたらは元山賊いうわりに情に篤すぎるんですわ」


 その人物――ザレシエはそう言って三人を笑った。

それに気分を害したようでチェレモシュネが情に篤いから山賊なんてやってたんだと不貞腐れた顔で呟いた。


「あの先生の説得は私がします。そやから子供たちの取り込みの方をお願いしますよ。絶対にこれ以上身内に犠牲を出したらあかんと思うんです」




 翌日の昼、ザレシエは二人だけで話がしたいと言ってヴェトリノを呼び出した。


「こんなに貧しい環境やのに、子供たちはあんなに真っ直ぐな性格しとる。私はね、それはあなたの情熱の賜物や思うんですよ。一つ聞きたいんやけど、その志を継いでもらいたいとかは考えへんのですか?」


 ザレシエの問いかけにヴェトリノは唇を噛んで黙ってしまった。

ヴェトリノも心の奥底では自分がいなくなった後の事を考えなくもないのだろう。


「もう一度考えて欲しいんです。あなたにとって大切なんは、この美しい学校なんか、それともそれ以上に美しい子供たちの心なんか」


 このおんぼろ校舎を美しいと言われた事でヴェトリノは噴き出しそうになった。

だがザレシエは、見た目の話じゃないと強い口調で指摘。

この学校ができた目的以上に美しい目的で建てられた学校はこの大陸には存在しないと。


「でもうち、日記も付け続けにゃあいけんけえ……」


 それでもなおヴェトリノは渋った。

日記を付け続ける事、それもフリスティナとの約束で、ロハティンに残る事の大きな目的なのだ。


「それなんですけどね。ちと変更して欲しいんですわ。内容やなく依頼の方をね」


 ザレシエは日記という形式を辞めて欲しいとお願いした。

日記ではなく、今回のこの惨劇の一件を一つの物語として書きまとめて欲しい。

プリモシュテンには、この一件の被害者が数多くいる。

その一人一人に話を聞いて、特にこの件の最大の被害者であるドラガン・カーリクからじっくりと話を聞いて、それを自分の日記の内容と組み合わせて物語にして欲しい。


「それを大陸中に売りに出すんですわ。そうしたらお金が入る。そのお金で大陸中にあなたの思うような学校を建てて運営したら良え。どうですか? この案は?」


 このロハティンのこの一角だけを守るのか、それとも大陸中の恵まれない子に目を向けるのか。

考えるまでも無い。

ヴェトリノは即決だった。


「わかった。うちもプリモシュテン市に行く。行って多くの子を救おう思う。よろしゅうお願いします」


 ヴェトリノは深々と頭を下げたのだった。



 これまで優しく遊んでくれたアルテムは子供たちから大人気であった。

チェレモシュネとタロヴァヤも最初こそ怖そうと子供たちは近づかなかったが、女の子たちを中心に徐々に人気が出始めている。

そんな三人が子供たちを集めてプリモシュテン市の話をした。

その光景を想像し子供たちは目を輝かせた。

同じように身寄りの無い子がたくさんいて、皆が兄弟のように暮らしている。


 そこに俺たちと一緒にいかないか?と三人は子供たちを焚きつけた。

子供たちは行きたい行きたいと大騒ぎであった。


「じゃあ、その気持ちを先生にぶつけて来い! 俺たちと一緒にプリモシュテンに行こうぜ!」


 子供たちは我先にと競うようにヴェトリノの下に駆けて行った。

子供たちは、アルテムたちから今聞いたばかりのプリモシュテンの事を思い思いに熱量を込めてヴェトリノに語った。

先生も一緒にプリモシュテンに行こうよ。

そう言って囃し立てた。


「わかったわ。みんなでプリモシュテン市に行きましょう。みんなで幸せに暮らしましょう」


 ヴェトリノがそう言って微笑むと、子供たちはやったあと言って大はしゃぎしたのだった。

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