ベルベシュティ地区木漏れ日のジャームベック村
第39話 介抱
目を開けると全く見覚えの無い景色が広がっていた。
手も足も動く。
左手を動かしてみると、布団がかけられている事に気づく。
何となく手を開いたり閉じたりしてみる。
左手が終わると右手も。
さらに両脚をもぞもぞとしてみる。
両手を見ると、かなり前に付いた泥が乾いて土埃のようになって付いていた。
上半身は、上着が脱がされていて下着しか着ていない。
布団をめくると下半身も同様だった。
この部屋はいったい?
半身を起こし周囲を確認してみると、すぐに書斎机が目に入った。
部屋の中央には火鉢が置かれ、その上にやかんが置かれている。
やかんの中の水が沸いているらしく、しゅんしゅんと音を立てている。
部屋の窓は一か所だけで下が擦り切れた半円形。
カーテンはかかっていない。
もしかして屋根裏部屋だろうか?
ベッドの横には袖机があり、その上にたらいが置かれている。
たらいの中には水が張ってあり、中にタオルが入っている。
ふと見ると枕の横に濡れたタオルが落ちている。
徐々に状況が飲み込めてきた。
恐らく誰かが倒れていた自分を連れ帰り介抱してくれたのだろう。
「あれ? 起きてるやないの! ちょっと待っててね。母さん、呼んでくるから」
声のした方を見ると、すでに声の主はいなくなっていた。
とたとたという廊下を軽やかに走っていく音が聞こえる。
暫く半身を起こした状態で待っていると、先ほどの足音がもう一人の足音を連れて戻って来た。
「体調はどうですか?」
先ほどの娘とは別の女性が優しく問いかけた。
「あの……ここは?」
ドラガンは女性の質問に答えず、そう尋ねた。
「ここはうちらの家ですよ。あなた森の中で倒れてたんよ。そのままにしとくんも何やからって、この娘言うもんやからね」
母親は優しい笑みをドラガンに向けた。
耳が細く長い。
そして母親とはとても思えない若い見た目である。
「ごっつい高熱出ててね。ダメかもわからんねってうちら言うてたんやけどね。随分と運が強いんやね」
母親は娘の顔をちらりと見てクスクス笑った。
この見た目は間違いない、エルフだ!
という事は、ここはベルベシュティ地区なのだろうか?
「大変、お世話になりました」
そう言うとドラガンはベッドから出ようとした。
「ちょっとちょっと、まだ寝てなあかんよ。熱やって、まだちゃんと下がってへんのやし」
慌てて母親がドラガンの上半身を押さえた。
「ですけど、ご迷惑に……」
「迷惑って……これで出てかれて、その辺で倒れられた方が迷惑やわ」
言葉に詰まっていると、ドラガンではなくドラガンのお腹が情けない返事をした。
目の前の母娘は、その音を聞くと嬉しそうに笑い出した。
母親の方が、何かお腹に優しいもの作ってくると言って部屋を出ていった。
「名前、何て言うん?」
残された女性が、そう尋ねた。
こうしてみると母親に比べ、かなり顔にあどけなさが残っている。
「ドラガン・カーリク」
「ドラガンいうんや。私はベアトリス。ベアトリス・プラジェニ」
ベアトリスは小さな椅子に座り、ドラガンの方を見て嬉しそうにしている。
「ベアトリス。その……ありがとう」
「どういたしまして。ねえ、ドラガンは何であないなとこにおったん?」
ベアトリスは少し首を傾げ、ドラガンの事を聞きたがった。
だがドラガンは、まず、ここの事を教えて欲しいとベアトリスにお願いした。
「もう、せっかちさんやね」
そう言ってベアトリスは、母親と全く同じクスクスという笑い方をした。
ドラガンが推測した通り、ここはベルベシュティ地区だった。
ベルベシュティ地区は、エルフと人間が共生している地区である。
村の名前は『木漏れ日のジャームベック村』。
何故『木漏れ日の』と付くかといえば、地区内に『ジャームベック村』という名の村が二つあるからなのだとか。
もう一つの方は村の中にせせらぎが流れていて『せせらぎの』と付いている。
「で、ドラガンはどこから来たん?」
ベアトリスは、そう言って右側の髪をかきあげた。
エルフはサファグンと共に美形で有名な種族である。
その端正な顔にドラガンは思わず照れて顔を背けてしまった。
「キシュベール地区のベレメンド村」
ドラガンは照れたまま、そう言った。
「キシュベール地区って、ドワーフのおるとこやんね。どうしたん? 何があったん? 村飛び出してきたとか?」
どうしてと問われ、改めてあのロハティンでの出来事を思い出す事になった。
それまで普通に話をしていたドラガンだったが、突然表情が曇り視線を何も無い壁に向けた。
「そうじゃないけど……ただ、きっとここにいたらベアトリスたちに迷惑がかかる事になると思う。だから、そうなる前に体調が戻ったらなるべく早く出て行くよ」
うなだれるドラガンに、ベアトリスはかなり困ったという顔をした。
ベアトリスはドラガンの頭をそっと撫で優しい笑顔を作った。
「ドラガン。何があったか知らへんけど、うちらエルフは興味を抱いたもんを簡単に手放したりは、せえへんのやからね」
ベアトリスは椅子から立ち上がると、ぐっとドラガンに顔を近づけた。
「いや、あの、でも……」
「でもやない。まずは体調を戻す。余計な事考えんとそれだけ考えたら良えの。その後の事はその後一緒に考えよう。ね」
戸惑うドラガンにベアトリスは笑顔を崩さず優しく微笑みかけた。
「わかった。ありがとう、ベアトリス」
ドラガンは、ベアトリスの顔をじっと見つめお礼を言った。
「素直なんは良え事やで」
わかったら食事できるまで大人しく寝てなさい。
ベアトリスは右手の人差し指でドラガンの鼻をちょんと触り、クスクスと悪戯っ子のような笑い方をして部屋を出て行った。
ドラガンはベッドに体を横たえ、ベアトリスが言うように大人しく体を休めた。
ほんの少しの間で眠りに落ちたらしい。
ベアトリスの母に肩を叩かれて目が覚めた。
「ドラガン、起きれる? 『
ベアトリスの母は、そう言ってドラガンが体を起こそうとするのを助けた。
「『薬膳粥』って何ですか?」
「『
そんな料理は初めて聞く。
カーリク家では体調不良の時は、果物のジャムを牛乳で溶かし、お酒を少し落として煮込んだものだった。
「その『生薬』って何ですか?」
「お薬や、お薬。口に合わへんかもしれんけど薬やと思って食べて」
いただきますと言ってドラガンは麦粥を口にする。
口の中に葉っぱの何とも言えない苦味が広がってくる。
最初は少しだけなのだが、苦味が後味として徐々に強くなっていく。
「にっ、苦っ!!!」
「あはは。生薬を噛みしめたらそら苦いよ。粥なんやからそのまま啜ったら良えのよ」
ベアトリスの母は、ドラガンの反応がよほど面白かったのか、お腹を抱えてケラケラと笑っている。
そのまま啜れと言われても、そもそもスープ部分がすでに苦く、さらに後味がそれに輪をかけて苦いのだ。
薬だと割り切っても、それにしても苦すぎる。
ただ、二口、三口と我慢して啜るうちに徐々に体がポカポカしてきた気がする。
「滋養のつくもんが入ってるからね。それ材料費高いんやから、効いてくれへんかったら嫌やで」
高価なものを使ったと言われ恐縮するドラガンに、ベアトリスの母は、自家製だから気にするなと言って笑い出した。
プラジェニ家は薬草の栽培を生業にしているのだそうだ。
薬草と言っても、いわゆる薬の元になるものから料理のスパイスまで様々である。
プラジェニ家は専ら高価な薬の元を栽培しているらしい。
「さ、食べたら寝る。明日少し起きれるようなら色々お話しよね」
そう言うとベアトリスの母は、ドラガンに布団をかけポンポンと叩いた。
「あの、一つ聞いても良いですか? お名前は何とお呼びしたら?」
「ああ、私? イリーナや」
その名前にドラガンはドキリとした。
どういうわけか、ドラガンは心の中の壁のようなものが、すっと消えていくような感覚を覚えた。
「どうかしたん? 私の名前、何か変やったやろか?」
「いえ、あの……僕の母親と同じ名前だったから……」
イリーナは少し困惑した顔をする。
その後で口元を歪め、クスクス笑い出した。
「何やのそれ? まさか新手の口説き文句なん? 十年早いよ」
イリーナはドラガンの鼻をつんと突いた。
「……いや、そんなんじゃ」
狼狽えるドラガンを見てイリーナは可笑しくなったようで、大人しく寝てなさいと言って部屋を出て行った。
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