第9話 苛々

 エモーナ村に帰った一行は、それぞれの家に帰って行った。


 ドラガンたちは、レシアの母アンナと共に引き続きスミズニー宅に住む事にしている。

どうやらドラガンは温泉で何かを思いついたらしい。

家に帰ると、ああでもない、こうでもないとぶつぶつ言って何やら紙に描いている。


 そのせいかアンナは、もしかしてビュルナ諸島で二人の間に何も無かったのではないかと心配した。

ただレシアを見ると、ドラガンに対する態度が完全に妻のそれで胸を撫で下ろした。




 翌日、ドラガンは丸まった紙を手にポーレの元に向かった。


 ドラガンの姿を見たエレオノラが、おいたんと叫んで、よちよち歩きで寄って来て抱き着いた。

ドラガンもエレオノラが可愛くて仕方がなく、用事を完全に忘れエレオノラと遊び始めてしまった。

暫くは微笑ましいという顔で黙って見ていたポーレとアリサだったのだが、いつまでもエレオノラと遊んでいるので、アリサが何しに来たんだと言って叱った。



 ポーレはドラガンに紙を見せられ一から説明を受けた。

だがドラガンの書いたものは部品の絵だけであり、正直何を説明されているのか理解ができなかった。


 ドラガンも身振り手振りで説明するのだが、それでも理解されない。

アリサも隣で聞いているのだが苦笑いしている。


 二本の棒を突き立て滑車を付けて船を引く、そこまではわかる。

だがそこから先がどうにもわからない。

ザレシエならわかるかもと二人で造船所の事務室へ向かった。



 ザレシエも新婚旅行から帰って久々の出勤である。

しかもその前はアルシュタに行っていた。

まさかその間、領収書や売掛金など経理書類の整理が一切されていないなど思いもしていなかっただろう。

朝、席に着いたザレシエは箱から溢れに溢れた書類の山に眩暈を覚えた。

これはどういう事かと先輩の事務員に尋ねる。

すると、間違ってたら二度手間になると思ってそっとしておいたと言われてしまった。


 確かにそれはそう。

だがだからといって……

朝からザレシエは無言で苛々しながら近寄りがたい雰囲気を放ってカリカリと経理書類の整理を行っている。



 ポーレは同僚事務員から今は止めておいた方が良いと忠告を受けた。

だがポーレは気にせず事務室に入った。

確かにザレシエは話に聞いている通り、苛々して爆発寸前という感じであった。


「ザレシエ。一息いれないか?」


 そうポーレが声をかけるも、ザレシエは返事一つせず無言で書類整理している。

ポーレはドラガンを見て、やれやれという仕草をした。


 ポーレはつかつかとザレシエの机の隣に立つと、ドラガンの描いた設計図をおもむろに机に置く。

処理している書類の上に紙を置かれザレシエはさらに苛々し、机をバンと叩いて立ち上がった。

その紙を乱雑に摘まみ上げると怒りのままに破ろうとした。


 だが何か書いてあることに気付く。

見た事があるような無いような不思議な絵を凝視。

冷静になり椅子に腰かけ紙の内容をじっくりと見る。


「ザレシエ、それ何が書いてあるか理解できるか?」


 ポーレが問いかけるとザレシエは首を傾げた。


「何かの部品やいうことはわかりますが、これが何になるかまでは……」


 これを描いたのがドラガンである事はザレシエにもすぐわかった。

所々に書かれている数字や文字が明らかにドラガンのそれだし、そもそもこんなものドラガン以外に描くとは思えない。


 事務室の接客椅子に腰かけた三人は、ゆっくりとお茶を啜った。


 ポーレにもう一度説明して欲しいと言われ、ドラガンは、再度同じ説明をザレシエに行った。

ポーレからしたら二度目の説明なのだが、いまだによくわからない。

だが説明を受けながら紙の絵を見て、ザレシエはかなりまで理解したらしい。


「聞いたらそこまで難しい事やないかもしれませんね」


 恐らく絵に描けばみんな理解ができるだろう。

ならば行くところは一か所だけ。

三人は漆工房へ足を運んだ。




 突然エモーナ村の頭脳三人が現れ、漆工房は軽くパニックになった。

漆職人のコザチェはドラガンたちを見て気さくに久しぶりだと言ったが、他の者たちからしたら、噂でしか聞いた事の無い者たちが現れたのである。

それも漆工房に莫大な富をもたらしてくれた恩人である。

足を向けて寝れないと普段言い合っている相手が目の前に現れたのだ。

その反応もわからないではない。


「ペティアなら奥の個室だ。一人で籠って、ああでも無い、こうでも無いって苛々しながら頭掻きむしってるよ。新婚の旦那があれ見たら何て言うかねえ」


 コザチェは漆を塗りながら呆れ口調で言った。


「どいつもこいつも何をそんなに苛々しているのやら。せっかくの温泉が台無しだなあ」


 ポーレにちくりと言われ、ザレシエは不貞腐れた顔をした。



 奥の部屋と案内された部屋に向かうと、扉に可愛いデザインで『ペティアちゃんの作業部屋』という札がかけてあった。

だがそんな可愛い札とは裏腹に、ドアの奥から何やらきぃぃという奇声が聞こえてくる。


「あの……今日は止めませんか?」


 まずドラガンがその声に怯んだ。

次いでザレシエが無言で横に首をぶんぶん振った。


「何だ二人ともだらしないなあ。新婚早々夫婦喧嘩でもあるまいし、ザレシエと一緒で仕事が煮詰まってるだけさ」


 そう言うポーレに、ドラガンとザレシエは、ならお先にお一人でどうぞと全力で嫌がった。

仕方ないなあと言って一人作業部屋に入ったポーレだったが入った瞬間に後悔した。

機嫌の悪さがアリサの比ではないと感じた。


 まず入った瞬間に小刀が飛んできた。

間一髪で避けると今度はペンが飛んできた。

ペンはポーレの耳の横の壁に刺さり上下に振動している。

ポーレの額から噴き出た冷や汗が顔を伝った。


「創作活動中は入るなって、いつも言いよるじゃろ!」


 せめてこちらを向いてから物を投げて欲しいとポーレは思った。

そして、見ていないのに正確に物が飛んでくるのが非常に驚異だった。


「すまない、ペティアさん。その、ちょっと用事があって来たんだ」


 恐る恐る声をかけたポーレの声に、ペティアはピクリとして筆を止めた。

ゆっくりと振り返ると必死に笑顔を作った。


「何じゃ、ポーレさんじゃないの。どしたん? 珍しい。何か問題でも起こった?」


 せめて声をかけてから物を投げて欲しかった。

ポーレの顔は思いっきり引きつっていた。

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