第51話 脱走

 ドラガンたちの蟄居の予定期間が終わろうとしている。


 漆細工の工房は、徐々にではあるが活気が出始めている。

ユローヴェ辺境伯が直々に工房へ出向き欲しい商品を直接注文するようになり、それが士気の上昇につながっているらしい。

漆細工の技術はドゥブノ辺境伯領にも広がっており、ユローヴェ辺境伯領とはかなり趣の違うデザインの漆細工が作られている。



 真珠の養殖はザレシエが指揮を執ってからひと月が経過。

ユローヴェ辺境伯たちに途中報告を行った。

報告によるとひと月である程度傾向は見えたらしい。


 研究員たちの意見の中に、核だけじゃなく何か必要かもというものが挙がっていた。

『何か』が何なのかは全く想像がつかなかったものの、自然界の事を考えれば核になりそうな別の物質とは考えづらい。

となれば体内の『何か』ということになる。

いくつか試してみて、いわゆる『貝ひも』を小さく千切って一緒に入れるのが良いらしいということがわかった。

この発見が実に大きかった。

貝ひもを核と一緒に入れた阿古屋貝は、ほんの少しではあるが真珠の膜を張っていたのだそうだ。


 どうやら核は貝殻なら何でも良いようだが、やはり球状が好ましいらしい。

今、どの程度の大きさの核まで受け入れるのか追加で試してみているのだとか。


 ひと月でかなり貝殻に虫やゴミが付着するようで、そのままだと母貝が弱ってしまうかもしれない。

定期的にそれをこすり取る必要があるようで、これが中々に重労働なのだそうだ。

なお、次に出来栄えを見るのは半年後になるのだとか。




 やっと新妻に会える、そう言ってポーレは毎日顔をデレデレさせている。

だいぶお腹が目立ってきたと手紙にあったそうで、僕が父親になるのかと顔が緩みっぱなしである。

かなり舞い上がってしまっているようで、ドラガンの顔を見てはお前もおじさんになるんだぞと言って笑っている。


 そんな浮かれ切っているポーレの肝を冷やす出来事が発生した。

幽閉されていた先代ドゥブノ辺境伯アナトリーが脱走を試みたのである。



 ドゥブノ辺境伯は屋敷の中の座敷牢に閉じ込められている。

ただし食事は三食しっかりとそれなりに良い物が出るし、牢内には調度品もある。

高い塀に囲われてはいるものの庭まで付いている。

牢屋の一室ではあるものの、鉄格子のはめられた貴賓室という感じの部屋なのである。


 毎日アナトリーに食事を届けていたセメニウカという名の中年の看守がいた。

看守は牢内の人物と会話を交わしてはいけないということになっている。

その為、アナトリーはセメニウカに毎日のように話しかけたが、セメニウカはなるべく答えないようにしていた。


 元々、ドゥブノ辺境伯の邸宅で働く者には、それなりに高給が与えられており、看守も外で働く者たちに比べれば破格の給料を貰っていた。

さらに邸宅勤めの者は税の支払いが免除されていた。

それが代替わりしてからがくっと給金を下げられ一般市民並みにされ、おまけに税を支払わなければならなくなったのだった。


 これまでは屋敷勤めというだけで他の村民に大きな顔ができた。

村民が何を言ってこようとも、貧乏人の僻みだと尊大な態度を取っていた。

妻も村では一番贅沢をしていたし、その日水揚げされた魚介の一番良い物を毎日食べられた。

それが日々の食事の質まで下がってしまった上に、税金の督促までされる事になったのだ。


 セメニウカも多分に漏れずかなり不満が溜まっていて、ある日、アナトリーにその事を愚痴り出してしまったのだった。

アナトリーは自分を出してくれれば元の生活に戻してやるとセメニウカを篭絡しはじめた。

今の待遇に不満しかないセメニウカはすぐに賛同。

だがお前だけではどうにもならないから、こっそりと同士を募れとアナトリーは命じたのだった。


 翌日からセメニウカは食堂や休憩所で、同じく不満を抱いている者を一人一人勧誘していった。

屋敷内では不満を抱いている者が非常に多く、賛同者は日に日に増えた。

恐らく屋敷内の半数は賛同してくれたと思うと、セメニウカは嬉々としてアナトリーに報告した。


 だがアナトリーは用心に用心を重ねた。

親衛隊にどの程度賛同者がいるのかと看守に尋ねた。

だがセメニウカが把握している限り、親衛隊に賛同者はいなかった。

親衛隊の多くは先のエモーナ村での一件で、アナトリーを見放していたのだった。

それでは私はここから出てもすぐに捕まり、お前は処刑されてしまうとアナトリーはセメニウカを脅した。


 この時点でセメニウカはアナトリーの賛同者ではなく、共犯者ですらなく、屋敷内の反乱軍の首謀者になってしまっていたのだった。

もはややるしかない。


 翌日、セメニウカは親衛隊の一人に食事の際に待遇に不満がある者が増えているという話をした。

親衛隊も当然同じように免税の優遇は無くなり給料も大きく下げられている。

セメニウカの話に、やむを得ないとはいえ当然不満はあると愚痴った。

セメニウカはその親衛隊員に、親衛隊内ではどの程度不満が溜まっているのか尋ねた。

親衛隊員は先の反乱鎮圧の際に助命されており、不満はあるもののやむを得ないという雰囲気だと語った。

それだけ聞くとセメニウカはそれ以上は聞かず職場に戻った。


 セメニウカから報告を聞いたアナトリーは行けると判断した。

決行は明日の深夜。

私を牢から出したら賛同者を引き連れ二手に別れて、それぞれ別々に家宰とビタリーの首を取りに行くとセメニウカに命じた。



 翌日の深夜、セメニウカは賛同者を引きつれアナトリーの牢を開けた。

アナトリーは自分はビタリーをやるからお前は家宰をやれと言って、賛同者の半数を率いてビタリーの寝室に向かった。

賛同者は各々手に武器を携えている。


 武器を構えビタリーの寝室の扉を開けようとした時だった。

後方から声がした。


「このような夜分に私の寝室に何か御用ですかな?」


 扉が開くと寝室の中から親衛隊が飛び出して来た。

反乱者は残らず拘束された。


 家宰の方に向かった者たちも全員が拘束された。

だがセメニウカだけはその場で斬り殺された。


 これはどういう事だと戸惑うアナトリーに、ビタリーの横に立っていた家宰のバルタが、計画は筒抜けでしたよとぼそっと呟くように言った。

アナトリーがどこから洩れたと叫ぶと、バルタは、親衛隊長が昨日私に報告してきましたと突き放すように言った。

アナトリーはがっくりと項垂れ、それを見たバルタは、もう一度牢に閉じ込めておけと親衛隊に命じた。


 こうしてアナトリーは牢に逆戻りとなった。

さらに反乱に加担した者たちは囚人用の牢に閉じ込められた。



 問題はこの後の対処である。

バルタもさすがに判断に困った。

こういう場合、予定ではポーレたちに相談する事になっている。

だがまだポーレたちはユローヴェ辺境伯の屋敷で蟄居している。

そこで、どう対応したものかとユローヴェ辺境伯と家宰トロクンに助言を求めてきたのだった。

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