第5話 受難

 イリーナが病に伏せている間、アリサは厨房を借り山賊たちの食事を作っていた。


 山賊たちは、わずか数日でがっちりと胃袋を掴まれてしまい、姐さんずっとここにいるわけにはいかないのですかと言ってくる者が続出する有様だった。

それを赤い顔で首魁のチェレモシュネに直訴してくる者もいて、チェレモシュネを呆れさせ殴られていた。


 山賊たちも略奪だけで生活しているわけでは無い。

基本的には冒険者のような事をして生活している。

ヴィシュネヴィ山に出没する肉食生物や、街道に出没する危険生物を徒党を組んで討伐している。


 ヴィシュネヴィ山には、ここだけに出没する危険生物が多数生息している。

その最たる存在が『牙狼』と『殺人熊』である。

どちらも肉食で非常に狂暴、人を見れば問答無用で襲ってくるし、居住区にも容赦なく侵入してくる。


 山賊たちは正規の冒険者では無い為、討伐しても報酬は出ないのだが、討伐した危険生物を解体することで『副産物』を得る事ができる。

それをロハティンやアバンハードに持って行って解体屋に販売している。

当然、売りに行く者は、いつもの髭面で小汚い恰好では山賊だとバレバレなわけで、冒険者に見えるようそれなりの身なりをしている。


 ロハティンの状況は、その人物を経由して入手している。

その中にドラガンが街道警備隊に追われているという情報があった。

追われているのだが、なかなか足取りが掴めないらしい。

つまりドラガンは、どこかに逃げおおせた可能性が高い。


 ドラガンは生きている。

そう聞いたイリーナはアリサに、ここを出てドラガンを探しに行きたいと懇願した。

山賊たちから夫セルゲイが死んだ事を聞かされたイリーナにとって、もはやドラガンに再会する事だけが生きる希望になっていたのだった。




 イリーナと盗賊の館を出たアリサだったが、これからどうしようというのが本音だった。

イリーナは体力を回復したとはいえ病状が回復したというわけでは無く、どこかで医師に診せる必要がある。

だとすればロハティンに行くかアバンハードに行くかである。


 イリーナの希望はロハティンだった。

山賊の情報で、最後にドラガンが目撃されたのがエルヴァラスチャの休憩所近くという事だから、あの子はロハティンを目指したはず。

そうイリーナは言った。

アリサはロハティンは危険だと反対したのだが、私一人でもロハティンに行くと言われてしまい渋々ロハティンに向かう事になった。



 ヴィシュネヴィ山を下山したところに三つの墓を見つけた。

アリサはその一つがロマンの墓だとすぐに気が付いた。

墓に自分の愛用のレースのリボンが供えられていたからである。


 イリーナと共に街道を外れ、墓に足を延ばした。

供えられた鞭とセルゲイの名で、イリーナもそこが夫の墓だと認識した。

改めて夫がもうこの世にいないと実感し、そこから明らかにイリーナの口数は減った。


 アリサは三つの墓の周囲の雑草を抜き綺麗に掃除をすると、気落ちしたイリーナと共に街道をロハティン方向に歩いた。

途中、何度も街道警備隊に出くわし職務質問を受けた。

やんごとなき事情により村を出て、母娘でロハティンに移住する事になった。

そう街道警備隊には説明していた。



 ビフォルカティアの休憩所で、イリーナはまたもや体調を崩した。

疲労の蓄積だとは思うが高熱も出ている。

ただ、そろそろ路銀の方も心細くなっていた。


 結局、ビフォルカティアの休憩所で三日宿泊する事になった。

アリサは休憩所にお願いして、仕事を手伝う事で宿泊費を減額してもらう事にした。

朝から宿泊者の食事の仕込みを行い、夕方は酒の給仕を行った。


 仕事終わりに休憩所の方と食事をする事になり、旅の事情を話すと、ロハティンの酒場の仕事を案内された。

紹介状まで書いていただき、宿泊先も世話してくれるように書いておいたと言われた。




 ロハティンに着くと、真っ直ぐ紹介してもらった酒場に向かった。

そこで紹介状を渡すと、酒場の亭主ボフダン・カルポフカは少し困り顔をする。

酒場は確かに求人の情報を出してはいた。

中々若い子が来てくれず困っていると愚痴も言った。

だがそれは何か月も前の事だった。


 困っているだろうから宿泊所は案内するが仕事の方は、そう言われてしまったのだった。

人助けだと思って、短い間で構わないから、そう言って何とか働かせてもらう事になった。


 案内された宿泊所だったが、ボロボロの上に賃料がそこそこ高額だった。

寝台も一つしかない。

病気を患っているイリーナに寝台で寝てもらい、自分は野営具の粗末な布団で寝る事にした。


 何とか賃金を前借できないかとカルポフカにお願いしたのだが厚かましいと蔑まれてしまった。

仕方なく持って来た身の回りの物を切り売りして、辛うじて二人分の食費を確保するという有様だった。


 だが、徐々にイリーナの体調は悪化していき、ついには寝台から起き上がれなくなってしまった。

医者に診せようと思うとカルポフカに相談したのだが、金も薬も高額だが払えるのかと言われてしまう。

賃金は二人が食べるだけで精一杯。

それでも母に滋養のあるものを食べさせようと、アリサは徐々に食事を抜くようになっていった。



 三か月後、看病の甲斐なくイリーナは世を去った。

葬儀の事をカルポフカに相談すると、そんな金を持っているのかと言われてしまった。

葬儀にも埋葬にもそれなりの金がかかるんだぞと。

当然、葬儀をしたくとも教会に払う金など無く、埋葬しようにも墓を立てる金も無い。

やむを得ず、カルポフカに荷車とスコップを借り、夜中にベルベシュティの森に埋葬する事になった。


 真っ暗な森で一人母を埋葬する為の穴を掘る。

あまりに惨めな状況に涙がとめどなく零れた。



 母を失い心の支えを失ったアリサは、虚ろな目で食堂で夕食を食べていた。

すると、食堂の店主フォンタンカが席に座って話しかけてきた。

そこで衝撃的な事実を知る事になった。


 カルポフカはアリサに、食堂街組合で定められた最低賃金の半分しか支払っていなかったのだ。

さらにアリサたちが寝泊まりしている部屋は食堂街組合の下宿で、給仕は無料で宿泊できるはずなのだ。

しかも食堂街組合指定の食堂に行けば、まかない食を貰えるはずなのだ。

カルポフカはアリサが何も知らないのを良い事に足元を見てアリサを搾取したのだ。


 フォンタンカが、カルポフカにその事を指摘した事があったのだが、商いの一環なのだから余計な事をするなと凄まれてしまったらしい。

以前からカルポフカは奴隷商と繋がっているという悪い噂を聞くと、フォンタンカは言った。


 フォンタンカは、あんたの働きはよく知っているからうちで働かないかと言ってくれた。

そんな話を聞いて酒場で働く理由などどこにもない。

翌日、酒場に辞職の意向を告げ、これまでお世話になったと頭を下げた。


 カルポフカは激怒し恩知らずと散々にアリサを罵った。

恩知らずに給与は出せないと、その月の給料の支払いは踏み倒される事になった。



 翌日から食堂で飯盛りとして働く事になった。

朝早くから出勤し店の掃除と料理の仕込みをし夜遅くに帰るという過酷な労働からは解放される事になった。

たった数日でアリサの料理と笑顔は話題になり、店は急にお客で溢れる事になった。


 働き始めて一週間が経ったある日、食堂に向かうと公安が食堂の前を封鎖していた。

何事かと店に入ろうとすると公安に止められた。

ここの従業員だと言おうとしたところで店の扉が開いた。


 フォンタンカが拘束され公安に両腕を抱えられて出てきたのだった。

フォンタンカはアリサの顔を見て食中毒で営業停止だそうだと力無く笑った。


 いい気味だ、そう蔑む声が聞こえた。

声の主を睨むと薄ら笑いを浮かべたカルポフカがこちらを見ていた。

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