第45話 落成式

 雪解けの季節になっている。

川の水量は日ごとに増え、細かった川幅は徐々に広くなっていき、水の勢いも増してくる。

冬の間薄氷が張っていた毒の沼地では、氷が解け毒虫たちが這い出る、そんな時期になっている。



 プリモシュテンは元々広大な沼地で、この時期の毒蟲の大量発生が一番の危惧であった。

秋から水を抜き続けて、水源地は水路を掘って川を作って海に流し入れた。

そのせいか今のところほとんど毒蟲は発生していない。


 一面の毒の沼地は、広大な荒野になっていたものの、それでもこの時期にだけ現れる水源もある。

毎日のように広大な荒野を点検して回り、ぬかるんだところに杭を打って水路を掘るという作業を繰り返している。



 プリモシュテン市では、徐々に個人の家が増えてきている。

ベレメンド、ジャームベック、エモーナの三エリアのうち、ジャームベックは市場のエリアになる予定である。

サモティノ地区からアルシュタへ通じる予定の街道は、このジャームベックエリアを通る予定となっている。


 その街道から真っ直ぐ北に広い通りが敷設される予定で、通りの先は港エリアとなっている。

港エリアは東西で役割が異なり、西のベレメンドエリアは漁港、東のエモーナエリアは交易用となっている。

エモーナ工業は、交易用のエモーナエリアに建てられている。

こちらに倉庫街があるためである。


 現状、個人宅が建てられているのは、カーリク家、ポーレ家、ザレシエ家、プラマンタ家の四家。

マチシェニ、コウト、イボット、アテニツァはまだ工員宿舎の一角に住んでいる。

採貝を生業とするサファグンたちはさっそく筏を組み、ベレメンドエリアの海岸線に流してそこに住んでいる。



 ドラガンは毎日のように何かの設計図を、書いては消し書いては消ししている。

その最初の設計図は水車小屋で、現在、工員たちは水路に水車小屋を急いで建てている。


 毎日のように木槌の音が響き渡り、作業する人々の声が行き交い、街は活気で満ち溢れている。




 そんなプリモシュテン市にオスノヴァ侯の執事チェピリーがやってきた。

ドラガンに橋の落成式に出席してもらいたいというのだ。


 実は橋自体はかなり前に完成していた。

ドラガンが案を出し、ペティアが絵に描いたように橋は出来上がった。

だが正直、これまでの橋とあまり変わらないか以前より脆弱に感じており、水量が増えたら崩れてしまうのではないかとオスノヴァ侯も危惧しており利用を禁止していたのだった。


 ここに来て水量が一気に増え、それでも橋がびくともしないことを確認し、それなら落成式を行っても大丈夫だろうという判断になったらしい。



 竜車に揺られ、ドラガンはアテニツァを伴ってオスノヴァ侯爵領へと向かった。

侯爵屋敷に到着したのだが、出迎えたのは家宰のフェルマで侯爵閣下は不在であった。


 現在、オスノヴァ侯は春の議会に出席するために王都アバンハードに行っている。

落成式の日取りがアバンハード行きの後と知って、オスノヴァ侯は非常に悔しがっていた。

議会より落成式に出たいと言っていたくらいである。

ヴァーレンダー公も同様のことを言っていたようだが、街道ができたらあの橋で開通式をやれば良いと家宰のロヴィーに諭されたのだそうだ。


「じゃあ、オスノヴァ侯が議会から戻ってから落成式をやったら良かったんじゃないんですか?」


 ドラガンの指摘は至極もっともに感じる。

だがフェルマにしてもチェピリーにしても、何かを言いたいが言えないという表情をしている。

ドラガンが首を傾げていると、業を煮やしたチェピリーがドラガンの耳元でそっと囁いた。


「実はオスノヴァ侯は式典での挨拶が異常に長いんです。まさか面と向かって挨拶が長いから欠席してくれとも言えず……」


 チェピリーが苦笑いすると、ドラガンも笑顔が引きつった。



 翌日、オスノヴァ川の橋の落成式が行われた。

橋の西側でオスノヴァ侯の式典が、橋の東側でアルシュタの式典が行われている。


 オスノヴァ侯側で合図の鐘が鳴らされると、少し遅れてアルシュタ側からも鐘が鳴らされた。

最後に橋の西側からフェルマとドラガンが、東側からロヴィーが橋を渡る。

橋の中央で二人は握手し、橋の東西から市民たちの歓声が沸き起こり、無事式典は終わった。



「橋脚を船の形にするとは中々に考えましたね。確かに船は、波に強い形を研究し続けた結果ああいう形になっているわけだから、なるほどそれを応用すれば流れに強い形と言えるでしょうね」


 橋の中央で祝い酒を呑みながらロヴィーが感心している。


「ですが、それだけならこれまでもやってきてはいるんですよね。何でこの橋だけ大丈夫なのでしょうね?」


 チェピリーの疑問に、フェルマもロヴィーも答えられずにいた。

するとドラガンが、お二人とも川で遊んだことが無いんですねと笑い出した。


「川って中央より岸に近い方が流れが緩いんですよ。だから流れの早い中央に脚を置かず、流れの緩い端の方に脚を置いたんです」


 オスノヴァ侯爵領育ちのチェピリーとフェルマは、川といえば濁流のオスノヴァ川であり、遊ぶという概念が無い。

あるとすれば夏場の納涼で、河原でバーベキューをするくらいなものである。

ロヴィーはアバンハードの都会育ちで当然川遊びなどしたことがない。

説明を受けてもイマイチピンと来なかった。


「川遊びをしたことが無いからよくわからんが、例え遊んだ事があったとしても、そんなことを気にしながら遊んだりはしないからな。到底考え付かないであろうな」


 フェルマは橋を一目見ようと集まった人たちを見ながら、感動しながら酒を呑んでいる。

この橋が何年持つのかはわからない。

毎年冬に橋脚を点検し、修繕しながら利用していくということになっている。

だが長年の夢が叶ったことに、オスノヴァ侯爵領に住む者として感動せずにはいられなかった。


「これでうちらはもう『辺境侯』と揶揄されずに済みますね」


 チェピリーが笑い出すと、フェルマも本当だよと言って笑い出した。


 この国の『辺境伯』は別に辺境の領地というわけではなく、亜人の住む地を統治するということで『辺境伯』という称号を付けている。

これまでオスノヴァ川とソロク川という二本の暴れ川のせいで、オスノヴァ侯とソロク侯は、ロハティン、アルシュタから遠く離れた場所の領地扱いされ、『辺境侯』と揶揄されていたのだった。

ソロク侯はそれでも川の遥か上流から橋を渡って王都アバンハードに行ける。

それすら困難だったオスノヴァ侯は、『辺境侯』といえばオスノヴァ侯という、ある意味悪口になってしまっていた。


「これで街道が整備でき、プリモシュテンの市場が完成すれば、オスノヴァ侯爵領としては特産品作りに精が出ることだろう。皆の生活も大きく変わっていくかもしれん」


 フェルマが嬉しそうにすると、そう言えばとロヴィーが笑い出した。


「先日、珍しいことにうちに、セイレーンのアスプロポタモス族長が尋ねてきましたよ。二つの市場計画を耳にしたらしく、何か特産品を開発しようと思うから智慧を貸して欲しいと言ってきました」


 はっきり言って、これまでセイレーンはアルシュタとは一線を引いた付き合いをしていた。

セイレーンが一方的にアルシュタに迷惑をかけているのだから、苦情を聞きたくなかったのだろう。

だが先日訪れた族長は、明らかにこれから関係を深めていきたいという態度であった。


「ここに来て急速に時代が流れておるからな、皆、流れに乗り遅れてはならんと必死なのだろう」


 フェルマはドラガンの顔を見て穏やかに微笑んだ。

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