第7話「中天の太陽の下で」

 陽大あきひろが練習相手として十分かどうかといえば、決してそんな事はない。


「寸止めというの……難しい……」


 教材に持ってきたビデオの動きをトレースしながら、陽大は舌打ちを繰り返していた。


「こう……何センチも手前で止めてたら、あんまり意味がない」


 人鬼合一じんきごういつを使っているかいには強い衝撃を与えられないという制限のため、陽大が練習相手となるならば寸止めが最低条件になるのだが、その寸止めは勝手も違えば効果も薄いと感じさせられていた。


「その何センチかで手の内は変わるし、変わらないなら、それは格闘のスピードじゃない」


 格闘技や武道を本格的にやっている訳でもない陽大だが、これだけは分かっている。接近戦を武器に、あの舞台を生き残ってきたのだから。


 昼食後の小一時間での進展は、陽大が思っていたほどではなかった。


 唯一の進展は、会の練習相手になった事で、敬語が抜けた事くらいだろうか。


「俺にとって、回避は絶対だ。《導》の火力に晒されたら……まず間違いなく死ぬ」


 陽大の語尾がしぼんだようになってしまうのは、この話はどうしても思い出さされるからだ。


 安土あづちが世話人として関わっている百識ひゃくしきは、全員、を頼みの綱としている。弓削や陽大が身に着けている障壁は、《導》の防御には役立たない。


 結界の《導》を持つはじめと、魔法使いと異名を取る乙矢おとやは別であるが、陽大が思い浮かべる相手ではない。



 ――ベクターさん。



 身体操作と感知の《方》を駆使する点で、陽大の師である弓削ゆげと非常に似通った戦法を持っていた男だ。


 結局の所、矢矯やはぎの死は回避の失敗によるものだった。孝介こうすけかばうためとはいえ、武器を手放し、一目散に退避できる場所へ走ろうと盲目的になった瞬間を狙われた。


 もしも二人が、孝介と矢矯ではなかったら――陽大は今も思ってしまう。


 ――俺と弓削さんだったら……。俺と内竹うちだけさんだったら……。


 弓削も神名かなも、矢矯と同じく陽大を救おうと駆けてくるだろう。


 ――ベクターさんのミスは、《方》が劣っていたからじゃない。


 答えが出ているがために、陽大の声は震えてしまう。



 ――庇おうとした相手が、的場まとば孝介こうすけだったからだ。



 きっと弓削と神名も、矢矯と同じく取るものも取りあえず走ってくるし、脇目も振らずに抱えて逃げる。


 その時、自分の身に降りかかるであろう事など、矢矯の惨劇を見た今ならば兎も角、初見で回避しきれるものではない。


「回避は、絶対だ」


 繰り返した陽大の声に震えはなかった。


 もう一度、同じ事があったならば、弓削も神名も庇わずに済むくらいにならなければならない。孝介と仁和になは舞台から降りたが、陽大は降りていないし、小川がレバインの一件を最後にするとも思えないのだから。


「……続けよう」


 会がトンと軽く槍の石突きで床を鳴らした。陽大の気持ちは分かるし、気分に浸っていたいという理由も理解はできる。切羽詰まっている訳でもなく、時間的な余裕もあるのだが、停滞している時間は惜しかった。


「そうだね」


 陽大はフーッと大きく息を吐き出すと、慣れた構えを取る。会、梓と共に見た映像教材は、いくつか陽大の手を広げてくれた。


 そして映像教材から得た情報をトレースするという一点に関し、陽大は弓削の身体操作が向くと思っている。


 ――ベクターさんの超時空ちょうじくう戦斗砕せんとうさいは、時間と空間を念動でねじ曲げるから可能だった。弓削さんの障壁にはできない事だけど、だからといって弓削さんがベクターさんに劣ってる訳じゃない。


 同等の感知を持ち、また具体的な動き、身体の形をトレースする場合、念動による身体操作よりも障壁によって身体の形を決めてしまう身体操作の方が精度が高い――陽大はそう思っている。


 そして武道の技は、人間が猛獣からも身を守れるように考案されているはずだ。


「……」


 深呼吸した陽大に対し、会も構えを取った。


「勝手が違うのは許してくれ」


 陽大が寸止めは慣れていないというが、会は「大丈夫」とだけいう。


 ――寸止めでダメならば、当ててみればいいだけ。


 続く会の言葉はそれだ。組み手、実戦形式と色々な呼び方があるが、それにしてしまえばいいではないかという言葉であるが、


「待って下さい」


 そんな言葉が会の口から出かかるのだが、梓がいわせない。


「これでは危険で練習どころではありませんね。人鬼合一の状態で受けるのは論外ですし、生身で受けるなんて大怪我しますよ」


 多くの百識が下品と嫌う格闘も、陽大が使うとなれば話は別だ。φ-nullファイ・ナルエルボーにせよストライクスリーにせよ、音速に迫るスピードで繰り出された攻撃が急所を捉えれば、比喩的な表現ではなく死ぬ。


 ――無効化もできなくはないですが、物事に絶対は有り得ません。


 NegativeCorridorネガティブ・コリドーを防御や回避に使用する事も、確実に会を守れるとは限らないのだ。


 しかしトレースできる陽大の動きをアップデートできたからといっても、梓も陽大に「もう良いですよ」とはいいにくい。陽大が知っているが梓は知らない事、梓は知っているが、陽大は知らない事というものは存在する。


「うん……?」


 梓にいわれると、会も大丈夫とはいえなくなった。確かにいう通りだ。打撃は急所に当たらなければ意味がないというのは、舞台上での殺し合いに於いてのみいえる事だ。現実には死にはしないが怪我はする。《方》で治るからいくらでも怪我をしろというのも、また乱暴な話だ。


「怪我をしても構わないと思っていたのでは絶対の回避など望めない……」


 会も分かっている。どうせ治ると思っていては動きに精彩を欠いていくし、慣れてしまえば雑になる。それは死活問題に繋がってしまう。


「寸止めでなくて、実際に当てても大丈夫な練習相手がいればいい……のか?」


 陽大がいったのは、あまりにも都合の良い相手であり、会も梓も首を傾げさせられる。


「そんな相手……いるの?」


 会は「いるはずがない」という言葉を隠しつつ、そういった。


 だが陽大は――、


「……多分、夕方くらいには動けるようになるんじゃないかな?」


 心当たりがある。


 命中だけに特化し、攻撃力という考え方を持たない百識だ。


「それは……文句が出ませんか?」


 陽大にいわれると梓にも浮かぶ顔があったのだが。

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