第4話「粗暴・損気」

「大変だな」


 自宅兼事務所の自宅へ戻ってきた弓削ゆげは、経過を聞いてそういった。ここで「耐燃だったな」と過去形にしないのは、まだ何も終わっていないからだ。


 ――寧ろ、ここからだろうな。


 保険屋に連絡を取り、今後の対応は一任するとしたが、弓削はすんなりと終わるとは思っていなかった。


 ――マナーとルールと慣例をごちゃ混ぜにして考えるタイプだろう。


 一悶着あると思っていた。本来、この三つは違うが、手段の目的化と同じくらい容易に起きる。当事者同士が利害の関わる話をしたのでは話がこじれる元であるから、保険屋を代理人として話し合いを任せるのはマナーと慣例の問題だが、鳥飼とりかいは「どこも法律に違反していない!」と保険屋を飛び越え、自分で直接、かけあってくるタイプだ、というのが弓削の見立てだ。


 ――そもそも駐車しようとしていたところへ突っ込んでくるのもマナー違反だけど、まぁ、気にするタイプじゃない。


 神名かなから一方的な話を聞いただけであるから、弓削には鳥飼を悪者にする気はない。鳥飼に鳥飼の意見があるはずだ。


「ご迷惑をおかけします」


 神名が頭を下げた。直接、鳥飼と話をしている神名は、鳥飼が被害者という立場をにしき御旗みはたの如く振るうタイプだとみていた。


 社用車の事故であるし、同居しているのだから、弓削と陽大あきひろには迷惑がかかる。


「迷惑とか、思ってないですよ!」


 陽大が一際、大きな声を出した。


「迷惑っていうんなら、俺の方が……」


 先走っていた気持ちが一気に出たという風な大声は、弓削と神名が驚いたように目を丸くすると、途端にしぼんでしまったが。


「殺人犯をかくまってるとか、そういう話になるかも知れませんし……」


 それを理由に舞台へ上がらされる確率は低くなったとはいえ、陽大の世間に対する立場は、「中学時代に同級生4人を階段から突き落として殺した上、執行猶予をもらってのうのうと生きている犯罪者」だ。無責任なネットで広められれば、弓削とて首を絞められかねない。


「二人とも、迷惑とは思ってない」


 弓削の言葉は本心だ。この程度を迷惑だと思うならば、そもそも神名と共同経営などしないし、陽大に《方》を教え、前回の聡子さとこの命が懸かっているだけの、何も得るもののない殺し合いに参加しようなどとは思わない。


「事故は思いがけずに起きるから事故だし、弦葉つるば君の事が致命的な何かになるとも思っていない」


 厄介と思っているのは確かだが、同時にあっさり終わるという予感も、弓削の中に生まれていた。それは半世紀と生きていない弓削であるが、苦労をしたというだけならば人一倍、してきた弓削だからこそ感じた事かも知れない。


 ――まぁ、この鳥飼も、内竹うちだけさんや的場まとばさんを、そこら辺にいる中身のない女と思ったのかも知れないけどな。


 弓削も会った事のない鳥飼の全ては推測できないし、把握など不可能だった。


 だが当たらずとも遠からずというのが、当たっているも同然という場合は、あるものだ。





 開けて翌日。神名や弓削にとって幸いだったのは、この日、買い取りが入っていなかった事だ。


 まず鳴ったのは弓削のスマートフォン。液晶画面に表示されてるのは、各種保険を任せている代理店の番号だった。


「はい、弓削です。お世話になっています」


「弓削さん、お世話になります」


 弓削も保険屋も、共に営業用の明るい声だった。


 だが保険屋からの話は、明るい声で話せるものではなかった。


「相手方の鳥飼さんですが……」


 口調、声色こそ変わらないが、若干、重い雰囲気を纏っていた。


「何か問題がありましたか?」


 予想した上であるから、弓削の返事は早い。


「寝起きだったのか、とても機嫌が悪くて話ができませんでした」


 話ができなかったといわれた弓削の目が、壁掛け時計へ向けられた。電波時計であるから一日一回、校正されている。


 ――10時半……。


 保険屋の性格からして、鳥飼と話ができなかった以上、すぐに弓削へ電話をかけてきたはず。


 つまり訪問は、10時を回ったくらいの時間だった。常識的な時間であり、寝ているのが当然という時間ではない。


「アポイントも取れず、すみません」


 保険屋のすみませんには、訪問時間の相談すらできなかった事だけでなく、これから鳥飼が出るであろう行動についても含まれている。


「ああ、ひょっとしたら内竹さんに文句をいってくるかも知れませんね」


 保険屋も予想しているのは、それだった。互いに連絡先を交換しているのだから、何かあれば直接、ねじ込もうとしてくるはずだ。


 そして予想通り、神名のスマートフォンが鳴動を始めた。


「……」


 液晶画面を一瞥した神名は、それを弓削へと向ける。


 画面に表示されている名前は、鳥飼雄介。


「丁度、内竹さんにかけてきました。何をいわれても、こちらは保険屋さんを代理人にしていると伝える、という事でいいですか?」


 それが筋というものだ。


「はい、そうして下さい」


 保険屋も心得ていた。


 弓削は通話を終えると、神名へハンドサインを送る。


「スピーカーで取って」


 弓削が告げると、神名はスピーカー通話に設定した。


「はい、内竹――」


「お前、一体、どんな保険屋と契約してる!」


 神名の返事を待たない鳥飼の怒鳴り声。


「こっちは寝てるのに、朝早くからガンガン鳴らしやがって! 人の迷惑、考えろ!」


「それは失礼しました」


 神名も顔をしかめさせられているが、相手に合わせて激高げっこうせず、努めて冷静だ。


 だが冷静でも、この悪意の塊に対して全く萎縮せずに対応するというのは不可能だった。


「お前……」


 その萎縮を鳥飼は嗅ぎつけた。


「あの保険屋、切れ」


 保険屋を通さず、神名と直接、交渉できるならば、被害者である立場をもっと利用できるという意図だ。


「それは、ちょっと……」


 神名の言葉は弱い。きっぱりと拒否するのが正しいのだろうが、神名の性格が出た。


 それを鳥飼は陥落と解釈した。


「まぁ、いい。その分、慰謝料きっちり取るからな」


 スピーカー越しでもハッキリと分かる、明確な嘲笑だった。


「はぁ、それでも私は、保険屋さんを代理人としていますから」


 何か来ると思いつつ、神名は保険屋を切るつもりはないと明言した。


「分かってないようだな」


 鳥飼の挑発が続く。


「慰謝料は、お前からもきっちり取るからな」


 鳥飼は声を潜めさせ、ドスの利いた声を作った。


 舞台で培ったものなのか、それとも生来のものなのかは分からないが、そのどちらであれ、弓削は思った。


 ――墓穴を掘ったな。


 確かに、常識的でない時間に電話をかけたというのであれば、保険屋の落ち度となるし、それを代理人に指示したとなれば神名の落ち度になるが、そうでない。


「はぁ、私は保険屋さんを代理人に立ててますから、それらも含めて保険屋さんと話をして下さい」


 神名も心得ている。ここからは全て鸚鵡おうむがえしだ。

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