第3話「利害・それが彼らのルール」
鳥飼の愛車であるシルバーメッキのバンパーを持つセダンは国産車にはない値段帯で、新車ならば約1200万という高級車だ。
そんな車に乗っている鳥飼だが、医師やスポーツ選手という訳ではない。
高給取りには違いないが、鳥飼の仕事は運送会社のセールスドライバーだった。
人工島は好調な移住者を背景に、公営住宅、また住宅扶助のために建設されたが、それを可能にしたのは小売りの大きい北県と、卸売りの大きい南県という位置関係だった。
公共交通機関を強化すると共に、物流拠点が設けられるのは当然であるから、そこに運送会社が進出してくる事も必然。
そんな状況であるから、
「アホか」
そんな高級車の運転席で、鳥飼はふんと鼻を鳴らす。
眼前には
それに対し、何故、
「空いてる場所、無視して進んだんだから、とっととあっち行けよ」
頭から突っ込んで割り込んでしまおうとしていたところへ、神名がバックしようとしてきたからだ。
「手ェ振っても知るか」
神名がニヤニヤ笑いと感じたのは、挑発を含めた笑みだった。
犬を追っ払うように手を振り替えしたのは、助手席に座っている女、
「早く諦めて先行けよ」
珠璃も割り込む気満々だった。
二人がニヤニヤと笑っていると、神名の箱バンは期待していない方の動きを見せた。
バックしたのだ。
頭を突っ込ませる気満々の鳥飼であるから、バックで入れるなど無理な話だ。
「アホか」
また鳥飼が繰り返した。
神名が切り返す。
「そーそー、とっとと余所に行け行け」
珠璃が鼻で笑うのだが、神名はもう一度、バックさせ――、
「おい!」
鳥飼の怒声に、ドンという低い音とが重なった。
「手本にしようと思うイラストを、タブレットに入れてきました」
トートバッグからタブレットを取り出した
機械の使い方を覚えるのは早い会だが、手本の使い方は遅い。
「でも今のままだと、ただ写真を撮っただけなので、どうしていいか分かりません」
これを方眼模写の手本にする操作はよくわかっていない。自分で色々と試せばよかったのだが、操作を探すよりは書く方を優先した。
「操作の中に、方眼定規があるはずです。それを出してみてください」
「方眼定規……」
その操作は知らなかったが、呼び出すのは容易い。やはりインターフェイスになれるスピードが違った。
「こうですね」
ただ呼び出すのは簡単だが、効果的に使う方法を察するのは悪い。
「方眼は、何個のマスにすればいいんですか?」
「細かい方が点を取りやすくなりますが、あんまり細かくし過ぎると比率の計算ばっかりになるかも知れません。丁度いいのは……この画像だったら、12×9くらいで行きますか?」
最初ですしと前置きした講師の言葉通りに操作する会であるが、画面に格子状のグリッド線が表示された所で顔を上げ、今日、雑居ビルの前で出会した二人へ目を向ける。
「他の人は、どうしてるんですか?」
同じような手法をとっている二人はどうしているのか気になったのだ。
「
「えェ」
弓削がタブレットを示すと、丁度、会の3倍くらいの幅になっていた。
「最初は、もっと細かくやってましたよ。ただ方眼模写は成果物はできやすいんですけど、腕が上がるかっていうと、そんな劇的な成長は望めないですから」
「辺りの取り方を覚えたら大きくしていくんでしたっけ」
割り込んだ
「グリッド線がなくても、点は取れる……なるほど。まずは慣れる事からスタートだから、格子の目は細かく」
会の飲み込み早い。走る方向が分かれば、全力疾走するスピードは速いというタイプだ。
そして空間把握能力も高い。
「……」
「……」
会が走らせる鉛筆の動きに、弓削や孝介は舌を巻いた。当たりを取る、形を正確にトレースする事は、念動や障壁の形を変えて
――天才とはいわないけど……。
視線を逸らせた孝介は、自分とて初心者を脱し切れていない事に劣等感を覚えていた。イラストを本業としている者にとっては、これだけグリッド線を引いているのだから、会のスピードなど取るに足らないのだが。
――これもいいけど、テレビからキャプチャーできれば良いな。梓が知ってるかな?
会の方は、自分が弓削と孝介から舌を巻かれているという意識はなく、17年間、味わう事のなかった趣味に没頭しているだけだ。
そんな中であるし、また弓削や孝介とも然程、親しい間柄でなかったから聞き逃した。
「……もしもし? 何がありましたか?」
スマートフォンを手にする弓削が顰めっ面を見せるのは、着信音で誰からかかってきた相手がわかっているからだ。
「事故?}
相手は神名だった。
「はい、本屋の駐車場で。警察には連絡済みです。保険屋の方へもお願いします」
割り込もうとしていた鳥飼の会社に、神名の箱バンが追突していた。
社用車も兼ねている箱バンであるから、使用者である弓削へも連絡が必要だったのだが――、
「誰に電話してるか知らんけど、急いでるんだけどな」
腕組みしている鳥飼は、苛立っている事を示すように自分の二の腕をトントンと指先で叩いていた。急いでいるから割り込もうとした――というのは、神名や同乗していた仁和には知るよしもないのだが。
「すみません。警察を待ってる間に、保険屋にも連絡した方がいいと思ったので」
口元からスマートフォンを離し、
「チッ」
それは苛立ちよりも、分かり易い挑発行為だ。
「警察なんて、すぐ来る訳ないだろ。どうにかしてくれや」
この言葉にある鳥飼の意図も、神名を困らせようという異図だけだ。
「すみません」
こういう所で頭を下げるのは、客商売をしている神名も心得ている。
「ッ」
寧ろ苛立ちを掻き立てられているのは仁和の方で、そんな仁和に対し、珠璃はニヤニヤと
「頭に来るのはこっちの方で、あんたらが怒れる所なんてどこにもないでしょ」
仁和の様子が面白いのか、挑発の言葉を重ねる。
「すみません」
やはり神名が謝って、仁和にも面白くない。
――抑えて、抑えて。
神名が無言ながらも、そう伝えたい事は感知の《方》がなくとも仁和には明白だ。
神名の
「あぁ、来ましたね」
そんな二人を余所に、神名は本屋の駐車場へ入ってこようとするパトカーが見えてきた、と背伸びしていた。
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