第5話「事故の顛末・次回は惨劇」
程なくして
「……」
神名がスマートフォンをテーブルに置く音が、
「ふっざけんなよ!」
「あれだけ
そういう陽大に振り向かれても、弓削は
「あー、いや……」
珍しく
「事故の加害者である事に変わりはない。この事故にかかった費用は払うし、裁判するのか、それとも示談書にサインしないと駄々をこねて金をせびろうとするのかは分からないけど、保険屋さんを通して話もする。筋の通っている分は、こちらも筋を通す」
これは弓削の哲学でもある。鳥飼のしている事は立派な脅迫罪だが、それを理由に全てをご破算にするなどという話はない。
「まず落ち着こう。出るところへ出るよりも先に、できる事がある」
立ち上がった弓削は、神名が鳥飼の連絡先を記したメモを手に取った。目を向けるのは、一部、走り書きになっている箇所。
「成る程。セールスドライバーか」
勤務先に関しては、鳥飼と情報交換の中で出て来たのではなく、雑談の中で出て来た事をメモしたからだ。
通常ならば――サラリーマンの
弓削はスマートフォンを取り出し、鳥飼が務めている運送屋へ電話をかけた。
「知っている人がいるんだ」
不思議そうな顔をしている陽大に対し、弓削は目配せして見せた。
「お世話になります。弓削です」
「ああ、どうも。荷物の集配ですか?」
ドライバーの声は明るかった。集配の指名は原則としてできないのだが、頻度の高い弓削に関してはこの限りではないようだ。
「ええ、お願いしたいものがありますが、それはまた近々です。今日は、知っていたらでいいのですけど、ちょっと教えていただけたら……と思う事があって電話しています」
「教えて欲しい事? 何ですか?」
若干、
「
ここで口を
「ああ、うちのドライバーですね。鳥飼が?」
「昨日、うちの
「えェ? 内竹さんに怪我はなかったんですか?」
「大丈夫です。駐車場へ止めようとバックしようとしてた所だったので、スピードは出てません。それに、あちらは止まっていたので、完全にこちらが悪いです」
「怪我がないなら安心です。でも、ちょっと待って下さい」
ドライバーがスマートフォンのマイク側を手で押さえた。それでも若干、遠くなるが、会話が聞こえてくる。
「鳥飼って、昨日、今日と休んでましたよね?」
「休んでたぞ。体調不良だって」
その会話に弓削は、なるほど、と頷いた。
――サボってた所へ、もらい事故か。事故の報告もしていないな。
セールスドライバーは自損事故、もらい事故に関わらず、会社への報告義務があるところが多い。それが職業として車を使う事の最低限度の条件でもある。
特に鳥飼の会社は、過失割合が10対0であっても、避けられる事故は避けるという社内教育を徹底している。
「すみません、お待たせしました。鳥飼は昨日と今日、休んでたみたいですが……」
「ええ、本屋の駐車場での事故で、幸い、鳥飼さんも、同乗していた女性の方も怪我はないようでしたが、ただ――」
弓削が声を潜めた。
「今し方、鳥飼さんから電話がありました」
「事故の慰謝料を、内竹さんから取るから覚悟しておけ、と」
「……脅迫じゃないですか……。それは……」
ドライバーの声も、ギョッとした響きがあった。
――当然だろうな。
そう思いつつも、弓削は続けた。
「私としても、事を荒立てるつもりはないので、事故の交渉は保険屋さんに任せていたのですけど、今朝、10時くらいにアポイントを取ろうと電話をした事に腹を立てて電話してきたようなんですが」
「どちらにせよ、それは問題です。それに事故を起こしたんですよね?」
「鳥飼さんが起こした訳ではなく、こちらが持って行ったから、鳥飼さんはもらい事故です。そこは、もう謝るしかないですけど……」
「もらい事故でも、事故はすぐ報告しなきゃダメなんですよ。職場で情報共有しなきゃダメなんですが、今朝のミーティングで聞いてないから、あいつ報告してないし……」
ドライバーの語尾には溜息が混じった点に、弓削は好機を見出す。
「ちょっと、流石に困っています。後日、上司の方も交えて、話をさせていただけないかと思うんです。鳥飼さんは、うちの保険屋なんて切ってしまえという程、保険屋を通しての話し合いが嫌いのようなんです」
「そうですね。報告、しておきます。これは流石にヤバいです」
声色からも、このドライバーの行動は予想できた。
――さぁ、もう逃げられなくなった。
相手がどう感じるかは別だが、弓削は嘘はいっていない。こちらが感じた「困っています」も事実であるし、また「脅迫された」とは一言もいわず、鳥飼が本当にいった「慰謝料を取ってやるから覚悟しろ」だけを伝えている。
「内竹さん、着信拒否」
弓削が告げた。
「大丈夫ですか?」
陽大は心配そうな顔を隠せないのだが、弓削は「大丈夫、大丈夫」と片手を振る。
「まぁ、小一時間もしたら、電話があるんじゃないかな?」
だから神名のスマートフォンを着信拒否に設定させたのだ。
神名に連絡が付かないとなれば、勤務先に電話がかかってくる。
「今日は、俺がお茶を入れよう」
弓削が立ち上がり、冷蔵庫を開く。
「こんな時だし、どうだろう? 甘い
弓削は冷蔵庫から取り出した柚子のマーマレードを顔の横で振って見せた。
「炭酸は冷やしてませんでしたから、氷を入れて下さい」
「了解」
弓削は神名へ片手を振って見せた。
ケトルで湯を沸かす
沸いた湯をジャグへ入れてマーマレードを溶かし、氷を投入して冷やす。
溶けた所で、それを透明なグラスに入れ、炭酸で割れば柚子ソーダになる。
「飲み物は、色々と作れるんだ」
料理は神名に及ばないが、と冗談めかして、弓削がグラスを三つ
「どうぞ」
それぞれを神名、陽大へ勧めながら、弓削の目が固定電話へ向けられた。
電話が鳴るはずだと直感したのだ。
「はい、
電話の相手は、弓削が屋号をいい終えるまで待たなかった。
「鳥飼だ! 内竹神名は!?」
相手も、そして怒声も案の定だった。
「ただいま接客中です。ご用件でしたら、私、弓削が
「お前か! ある事ない事、出任せをうちの所長に吹き込んでくれたらしいな!」
「ある事ない事?」
弓削の鸚鵡返しは、特に鳥飼の
「俺が内竹神名を脅迫してるとか何とか――」
鳥飼の反論は感情ばかりが先走り、弓削はそれを待たなかった。
「さっきから、らしいらしいって、ハッキリしろ! いったのか、いわないのかどっちだ!」
これこそが、弓削が舞台でも見せている怒気、凄みだった。
「!?」
予想していなかった反撃に、鳥飼がたじろいだ。
「いった……らしいだろうが」
黙っていられない――相手を論破したと感じられなければ我慢できない鳥飼の性格が、しどろもどろにさせた。
――かかった。
弓削の目が輝いた。
「それに、俺は嘘をいっていない。内竹さんに慰謝料を取ってやるから覚悟しておけといったのは本当の事だろうが!」
「……それこそ、俺はいってない」
また鳥飼の声は反射的だ。
「いっとくが、スマートフォンには録音するアプリいれてるからな。何をいったか、全部、残ってるぞ」
「嘘だろ!?」
「嘘なものか。そして、この電話も職場の電話だから、当然、録音機能がある。そこまでいうなら、これら全て持って、今からでも所長さんと話しよう。第三者が必要なら、警察でも何でも呼べばいい」
「それは……」
もう反射的な返事もできなくなっていた。
――よっしゃ!
陽大などはガッツポーズをしてしまっている。出るところ出れば、こちらの勝ちは見えている。
――内竹さんにした事、全部、纏めて帰ってきたぞ!
これを倍返し、三倍返しとは思わない。当然の等倍だが――、
「当事者同士が話をしたら、遅かれ早かれ、こんな事になるのは目に見えてました。だから事故の際は保険屋を代理人に立てて、それを挟んで話をするのが大事なんです。こんな録音、どうこうしようとは思ってません。改めて保険屋を通して話をしませんか?」
弓削は鳥飼を叩き潰す事を選ばなかった。
「……はい……」
ただ、重要なのは弓削にとってだけだが。
「くっそ!」
電話を切った後、鳥飼はすぐさまアドレス帳から別の相手を呼び出す。
その相手は
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