第9話「戦場の心得にて」

 審判役からの合図は、舞台上からではなく放送によって告げられた。


「こいつに関わると、ろくな目に遭わねェ」


 始めと放送した審判役は、マイクを切ると同時に吐き捨てた。安土あづち陣営と小川おがわ陣営に分かれて戦った一戦で、数名の審判役が犠牲になったからだ。こんな舞台であるから、余計に審判は石に等しいという扱いだ。


 いつもと勝手が違う合図であったが、双方とも手間取るような事はなかった。


「遅い!」


 先手を取ったのは鳥飼とりかいだった。鳥飼にも《導》はない。


 唯一、持っている《方》が身体強化なのだから、合図と同時にダッシュするのは必須条件だった。


脳筋のうきん!」


 ののしりながら、ともは半歩、後ろに引いた。あずさが見破った通り、那は治癒の《方》を攻撃に転じさせる場合、直に触れる必要がある。原理だけでいえば肌に触れていればいいのだが、強さを求めるならば掌で掴まなければならない。


 回避を半歩だけにする事で、攻撃に転じる足を残したつもりだったが、


「じゃあ、お前の脳みそは脂肪だな!}


 鳥飼が殴ろうとしていたのならば、その半歩で回避できただろうが、攻撃でなければんぽで畑里なかった。


 鳥飼が身体強化の全てを使って伸ばしたのは、拳ではなく手。



 狙ったのは、那が左手に持っていた刀の柄だ。



 ――もらった!


 掴んだ手を無造作に引く。そもそも刀を扱いきれない那であるから、刀の防御は心得ていなかった。


「チッ!」


 舌打ちする那は、刀は奪われてしまうだろうが、柄を掴めるような距離という事は、那にとっても至近距離。


 ――取った!


 刀の柄を握った鳥飼の右腕に触れる。掴めれば文句なしだったが、そこまでは望めなかった。新家といえども、鳥飼の身体強化は孝介こうすけ仁和になが扱っていたものとは桁が違う。


「触れれば十分!」


 那の《方》が流し込まれる。


「!?」


 本来、欠損けっそんしてしまった四肢ししでも結合させてしまう《方》であるから、健全な身体に流し込まれれば、痛覚や神経を荒らす毒になる。


 ――放すかァ!


 上下、左右、前後の全てが怪しくなってしまった鳥飼であるが、刀を握っている手だけは必死の思いで繋ぎ止めた。


 掴んでいると信じ、掴めていると腹を括って引き抜く。力任せに抜き放てば、鳥飼の手を掴んでいる那に傷を負わせるくらいはできるはずだ。


「痛ッ!」


 手の甲に引っかかれたような感触を覚えた那だったが、顔を顰めるだけでは済まない。掠める程度、傷薬でもつけておけばいいくらいの傷であっても、刀に宿る呪詛は身体を蝕む。


 ――それは、そう簡単に治せませんよ。


 観客の多くは引っ掻いたに過ぎない傷など見逃していただろうが、梓だけは違った。刀に宿った呪詛じゅその《導》と、その性質を梓は見抜いていた。


 ――医療の《導》ならば兎も角、治癒の《方》では呪詛を無効化できないんですから。


 病気を直す事ができないのと同じ理由だ。治癒の《方》では、何かを消滅させる事はできない。


 ――治す事はできても、逆はできないのでしょう。


 この時点で勝負ありだ、と梓は思った。命を奪うような使い方ができる《方》であれば、身体の中で暴れる呪詛を破る事も可能かも知れないが、それは海家涼月派の《方》にはない。


 そして手を放してしまえば効果を消してしまう那の《方》に対し、鳥飼が手にした方なの呪詛はといえば――、


「あ、あ……」


 那から現実の全てを消失させていた。先程の鳥飼すら比較にならない異変だ。


 上下左右前後だけでなく、自身の座標を完全に見失った身体では、立つ事どころかう事もできない。


 ――どこ……どこ!?


 声も上げられず、那は掴めるところはないかと手足を伸ばし、身をよじるが、指先にすら感覚はない。元より地面に掴めるような場所はないのだが、地面に倒れているにも関わらず、自分が非常に不安定な場所にいて、いつでも奈落ならくの底へ転落して言ってしまう感覚に襲われる。


 しかし那の身体に起きた異変を知らない観客からは、足掻く姿がイモムシに等しい滑稽さに見えていた。


「あれが六家りっけ二十三派にじゅうさんぱ百識ひゃくしきか!」


海家かいけ涼月派すずきはなんて、嘘っぱちなんじゃないのか?」


 嘲笑。


「連敗、連敗!」


 誰かが手拍子を始めると、それを呼び水にして会場が揺れ始める。那に賭けている者は「立て!」と口々に怒鳴るのだが、鳥飼に賭けている者はリズムをとって連敗と連呼するのだから、鳥飼の方が優勢になる。


「ははは」


 耳に手を当てる鳥飼は、神名と弓削にもたらされたイライラが消えていくのを感じていた。


「そうだ、連敗させてやる!」


 刀を構える鳥飼が、身体強化を強める。


「Feel brand new,end of days!」


 転がっていた那へと、跳ね上げるように刀を振るう。鳥飼も刀の扱いなど知った事ではなく、その一撃は切れはしても断てはせず、鈍器として振るわれた。


 力任せの一撃に対しても、単一結晶の刀は耐えた。


 そして殴られたに等しい那の背は、爆裂したような傷を負った。


 空に放り出された那へと、鳥飼が跳躍する。


 縦、横、斜めと刀を振り、その度に那の身体が揺れた。上から叩きつけるならば兎も角、切り上げるのでは鳥飼の腕では致命傷は負わせられない。皮と、筋肉を浅く傷つけるだけだ。


 浅くとも、傷が増える度に那の身体に呪詛が流し込まれ、那の口から様々な悲鳴を上げさせる。この世の中に、どれだけの悲鳴があるのかは不明だが、それを全て吐き出させる勢いで。


 観客にとっては、この支離滅裂な悲鳴が笑いを誘うというものだ。


 何度目かの斬撃――打撃で、鳥飼は那の身体を地面へと叩きつけ、上から垂直に刀を突き刺した。


 何番目の脛骨に突き刺さったのかは知らないが、首だ。


 痙攣けいれんした那から、もう悲鳴はなかった。


「勝者、鳥飼」


 明確であったから、鳥飼かせ勝利宣言が出る前に審判役から声が掛けられた。


「正解!」


 客席へ向けて、ビシッと人差し指を立ててみせる鳥飼に、また一層、大きな歓声が上がった。


 ――バッシュ、美星メイシン石井いしい裕美ひろみ涼月すずき とも……これで4本か。


 折り返し地点を過ぎたな、と口元を歪める小川は、ウェアラブルカメラを一瞬、止めた。


「思っていた以上に、簡単に勝ちましたね」


 話を梓へ向け、自分の言葉が途切れた所で、もう一度、ウェアラブルカメラを動かす。


「当然ですよ」


 梓の返答は相変わらず短かった。


 小川は――「バカメ」と思った。

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