第10話「魔剣士が来る」

 バカメ――小川は反芻はんすうして笑う。パソコンを操作し、可能な限り自分の声が入らないよう操作して録画した動画から、自分の声を徹底的に排除していく。


 細切れ動画になるが、繋がる前後に細工を施す事で違和感を消す。


「よし!」


 一人の部屋であるのに思わず声を出し、タンッと強い音を立てさせてキーボードを叩くのだから、細かな作業はストレスを溜めさせられていた。


 動画を保存したSDカードを取り出し、スマートフォンに挿入する。液晶画面をタップし、動画を確認したところで、やっとパソコンの前からリビングスペースのソファへと身体を移した。


「これくらいでもいいだろう」


 ソファに身体を沈め、サイドテーブルからタバコを取った。寝転がったままだが、無視して口にくわえて火を点ける。


 壁や天井が紫煙で煤けている程度にヘビースモーカーの小川だが、その一本は長いまま灰皿に擦りつけた。


 身体を起こし、気を取り直すように「よし」と呟いてからスマートフォンの画面に指を滑らせていく。


 世話人のメッセンジャーアプリを立ち上げ、最近、知った相手のIDを探す。



 その名は、ベクター。



 ――初めまして。不躾ぶしつけなメッセージを失礼します。


 慇懃無礼いんぎんぶれいにメッセージを入力するのだから既読はつかない。

 だが小川は気にせずに続ける。


 ――あるだろう。既読どころか、返事したくなる事が。


 小川が確信する話題は、ひとつ。



 ――美星メイシンさんのかたきとのマッチ、組ませていただけませんか?



 これだけは食いつくはずだ。


 ――話を聞かせていただけますか?


 返信は早かった。





 小川は矢矯との待ち合わせに、いつも使っているビル屋上にあるカフェバーを使わなかった。


 ――敵だからな。


 自分のメインへ踏み込ませたくなかった。


 待ち合わせをしたのは、他県から進出してきたチェーン店のカフェ。


 矢矯やはぎを待つ間、このカフェの定番であるアイスクリームを載せたデニッシュパンを注文した。


 昼下がり、矢矯の仕事の都合など無視しているが、調整するとすらいわずに「行きます」といったのだから、その焦りは相当なものだ。


 ――美星本人は、お前の事なんぞ忘れてるのにな。


 運ばれてきたデニッシュパンにナイフを入れながら、小川は薄笑いを浮かべていた。女にとって別れた男など、そんなものだ。


 ――女にとって恋愛は急カーブの連続という通り、美星にとってベクターなん猛スピードで振り切った相手だ。どうでもいい相手になってる。


 忘れられている事に、何故、気付かないのかと小川は思う。最期まで美星は矢矯には――みやびを確実に斃せる男に助けを求めなかったのだ。


 ――対する男は長い直線道路で、振り返ればどれだけ小さくなっても、その姿が見えてしまうから、いつまでもずるる。


 だから矢矯にとって美星は忘れられない相手なのかも知れないが、だからといって命の遣り取りにまで発展し、修復の見込みのない相手の事を振り切れない状態は、一言で表せる。


「愚かだな」


 小川のいう通りだ。同じような経験をした弓削ゆげは振り切っていた。土師はじ紀子みちこを斬ったように、優先すべきものを確かなものにしていた。


 だが矢矯は、それができていなかったからこそ、安土あづち陣営と小川陣営との決戦で、仁和になが美星に敗れる原因になった、


「ゴフッ……」


 小川がアイスコーヒーに咽せた。勝因が自分の仕掛けではなく、小川が「愚かだ」といった矢矯に敗因あったなど、認めたくない現実だ。


「コン……コン……」


 呼吸を整えようと、小さく繰り返す小川の咳に、ドアベルが重なった。


「いらっしゃいませ」


「連れがいます」


 ウェイトレスへの返事もそこそこに、大股にやって来た男の影が小川に落ちる。


「話、聞かせて貰えますか?」


 矢矯だ。


 向かいの席にどかっと腰を下ろし、メガネの下にある目に剣呑な輝きを宿す。


「何か飲み物でもどうですか? デニッシュパンも美味しいですが、お昼は済ませましたか? 名古屋めしの代表的なメニューがありますよ」


 メニューを渡す小川だったが矢矯はそれを開きもせず、ウェイトレスに「レイコー」と告げた。


「は、はい?」


 早口になる悪癖がある矢矯の声は聞き取りにくく、また剣幕に圧されている事だけが、ウェイトレスが聞き取りにくかった理由ではない。


「レイコーって……」


 小川も吹き出してしまう注文の仕方だ。


 ――大阪の方では、アイスコーヒーをそういうんだったか?


 大阪出身ではない矢矯が口にした事に失笑してしまっていた。


「アイスコーヒー。それだけでいい。ランチもサイドメニューもいらない」


 矢矯は小川の事を気にした訳ではないが、次は噛み砕くようにゆっくりといった。


「かしこまりました」


 ウェイトレスが席を離れる足取りは、そそくさという表現そのままだったのには、もう一度、小川が失笑した。


「変わった注文の仕方ですね。ここの本社は愛知で、大阪じゃないですよ」


 ナイフを入れたデニッシュパンを口元にやる小川は、精一杯、冗談めかしたのだが、矢矯はむっつりと押し黙ったまま椅子に背を預けた。何でも繰り返したい言葉はあるが、小川が相手では繰り返す言葉を交わす事も苛立たされる。


 ――頭を下げろとまではいわないが、その憮然ぶぜんとした態度は、なぁ?


 憮然の意味を「ぼんやりしている」と知らない小川だが、矢矯に対して懐いている感情だけは間違えない。


 矢矯こそが今、小川が陥っている状況の引き金を引いたのだ。


 ――的場まとば姉弟の制裁マッチ……あれが全ての始まりだった。


 本来、ルゥウシェとバッシュに殺されるはずだった二人を、一人で3人を平らげるという離れ業で救ってしまった。


 ルゥウシェが追い詰められていく切っ掛けでもあった。劇団の維持が難しくなったルゥウシェは小川と組み、はじめを惨殺、矢矯への復讐のため、聡子さとこの命を賭けた団体戦へと繋がった。


 小川にとっては、一度も苦汁を飲ませる事ができなかった相手であるから、今、矢矯を徹底的にやり込めてしまいたい気持ちも鎌首をもたげてくるのだが、それが悪手あくしゅである事を自覚できる程度には、思考力があった。


 ――いいや。今は優先する事がある。


 気を取り直す小川。


「今、六家りっけ二十三派にじゅうさんぱを追い落とせると考えている連中がいます。遠因をいえば、ルゥウシェさんや上野こうづけアヤさんが、負けてしまったからなんですけどね」


 それでも若干の皮肉や嫌味はいってしまうが。


 ――斬られる原因が十分、あるだろうが。


 矢矯の顔にも、軽く苛立ちが浮かんだ。それで溜飲りゅういんが下がるという小川ではないのだが、話を進め易い雰囲気にはなった。


「だから、落ち目の百識ひゃくしきと関わっている私の陣営が、ケンカを売りやすいんですよ」


 小川は嘘を吐いていないつもりだ。ルゥウシェたちの陣営と関わりを持っているのも事実であるし、それ故にレバイン陣営との舞台を整えられるのも事実。



 レバイン陣営も自分が世話人であるという事は、だ。



「だから――」


 聞かれないのだから答えない――これは安土も同じなのだから文句はないだろう、と小川は心中でいった。


「迎撃に、ベクターさんが出てくれれば、心強くもあります」


 矢矯の返事は、聞くまでもなかった。

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