第14章「夕日に墜ちる星」
第1話「終わりへ向かう前夜」
――相席でも構いませんか?
――どうしたもんだ?
迷わされる。
高級料理店というのならば兎も角、ただの居酒屋だ。
しかし孝が
「構いませんよ」
同じ言葉をかけられた男があっさりと快諾した事だった。
スーツ姿の中年男は、孝よりも若干、年上であろうと感じさせられた。背は、年の割には高い方。孝と同じくらいあるのだから、180前後だ。痩せている訳ではなく、どちらかといえばギリギリで標準体重に残っている、という印象の体型だった。
「メニュー、どうぞ」
男が孝へラミネートされたメニュー票を渡してくる。グループというのならば一枚だけだろうが、店側が相席をお願いした二人であるからか一枚ずつ渡された。
「ありがとうございます。とりあえず、飲み物ですかね」
偶然居合わせただけの二人であるから無言でも構わないのに、孝は知り合いにでも話しかけるような言葉を口にしていた。
「ここ、一時間から三時間の飲み放題が選べて、格安なんですよ」
その情報は、偶然の相席になった男から。
「へェ。あ、確かに」
メニューの内容に目を走らせた孝は、飲み放題1時間1000円、2時間1200、3時間1600円とあるのを見つけられた。
「ま、一時間ですね」
1000円ならば、それこそビール三杯も飲めば元が取れる。
「では」
男がチャイムを鳴らし、店員を呼ぶ。このタッチパネルではなく、チャイムを押して店員を呼ぶスタイルが感性にあっているからこそ、孝はここに足繁く通っている。
「飲み放題を1時間。そして、まずはビールを二人。料理は、私はとりあえず、菜の花の昆布締め」
「よろこんで!」
店員は大袈裟なほど頷いてくれた。
「渋いですね」
孝がそういうと、男は「いやぁ」と照れ笑いし、
「ここ、居酒屋ではありますけど、家庭料理がウリでしょ? だからです」
「あァ、成る程」
孝も納得だ。
お袋の味を看板に出す店は多いが、ここは「本格家庭料理」を看板にしている。
「俺もそれにすれば良かったかぁ」
家庭料理の味など、遠く忘れてしまっている孝である。この店でも、刺身などは頼んだ事があるが、いわゆる「お惣菜料理」を頼んだ事はなかった。
「生ビールです」
そうしているうちに店員がジョッキを二つ、持ってくる。
「ありがとう」
男は一つは孝の前へ置き、もう一つは自分の前へ置くかと思いきや、グッと一気に煽った。
「すみません。もう一杯」
菜の花の昆布締めが載った皿をテーブルに置こうとしていた店員は目を丸くしてしまうが、「よろこんで」と応じる。先程のような、大袈裟な動きはなかったが。
――ビールを一気に二杯?
これは孝の経験上、凄まじく飲むのか、それとも嗜む程度しか飲まないのかのどちらかだ。
「あ、銀むつの西京焼きもお願いします」
お替わりのビールが来た所へ、早速、次の注文をする男。
「よろこんで」
店員の威勢はいい。
しかし威勢のいい返事の後、男の方へ顔を寄せた。
「そろそろ、一杯?」
その訊ね方は、男が常連という事だろう。
「あ、お願いします」
「はい」
店員が引っ込んでいく。
「あの?」
矢継ぎ早の注文に、最初のビール以外、飲んでいない孝が男へ声を掛けた。
「あァ、すみません。自分ばかり頼んでいました。割り込めない雰囲気でしたね」
「それは構いませんが。……常連さんだったんですね」
「えェ、まぁ……。水曜は、ここでと決めているんです」
男は、やはり少し照れくさそうに笑みを見せた。
その照れくささからだろうか。
「自分は、
名乗った。
「俺は、月 孝です。水曜はここって、何か理由が?」
「えェ。まぁ」
真矢の語尾は曖昧だったのだが、それはいいにくのではなく、もっと雄弁に語るものが来るからだ。
「お
最も雄弁に語って入れるものとは、味噌汁だ。
「水曜日だけは、白味噌の味噌汁なんですよ。ここ。具はネギとワカメだけ」
その味噌汁を見て、孝は「あァ」と頷いた。
「南県から来た人でしたか」
パッと見ただけでは分からないが、真矢は既婚者だ。左手に指輪は入っていないが。
「嫁が、北県の出身でして。味噌汁というと、赤だしの具沢山なんですよ。自分は、それじゃ御味御汁を食べてるだけだって昔からいってたんですけどね。どうしても止めてくれなくて、ここに水曜日には来るようにしているんです」
「食の違いは、難しそうですね」
孝がそういった事に、他意などはない。
流れに合わせたとしかいえないのだが、あまりいい方向へ流れていかなかったらしい。
「食の違いだけじゃ……なかったんですよね」
三杯目のビールをあおった真矢は、普段は嗜む程度すらも飲まないタイプだった。
硬直した顔にあるのは、二言三言交わしただけだというのに、孝にならば何でも放せそうだと感じている安心感を伴ったもの。
「
「はい?」
聞き返した孝に、男は大きく溜息を吐いた後、言い直す。
「托卵……されてたんですよね。妻が産んだ娘は、私と血が繋がっていなかった……」
「……」
これについては孝も何も言えない。
「高校生です。高校生まで、自分は他人の子供を育ててきた。なら、そうなんですよね。自分がいくら、白味噌の、具がわかめとネギだけの味噌汁を作ってくれといったって、作ってくれるはずがない」
「以来、いつもここです。毎日でも、こられるといいんですけどね……」
「それは……」
孝は言葉がなかった。言葉に詰まる詰まらないではなく、そもそも言葉にできるモノがない。
「でもね――」
しかし真矢が吐露したいのは、恨み言ではない。
「そんな家族のために、私は今も仕事をして、せっとせ娘の学費、生活費を賄っているんです。本当なら、追い出してしまえばいい、いままでの十何年を精算してしまえばいい……なのに、できなかった」
本当ならば孝のジョッキであるが、真矢は手を伸ばしてそのビールを4杯目にした。
「なのに、私はできなかった!」
あらゆる感傷が入り交じった吐露だった。
「私は。もう娘の誕生日も祝わない。特別な食事も、プレゼントも、何も渡していない。本当なら、学費だって知った事じゃない。服だって、食事だって……でも、これを撥ね除けられない。できるのは精々、毎週、水曜日、ここで私が飲みたかった白味噌の味噌汁を飲む事だけ……」
真矢は大きく溜息を吐いた。
「投げ出したいと思っているのに、投げ出せないんです」
「優しいからですよ」
孝の言葉は自然に出た。
「久保居さんは、十分、優しいです。相手に全てを押し付けなかった。自分を責める余地を残してしまうのに。自分が動くのは、自分が我慢するのは、タダだと思っているからじゃないですか?」
孝は深呼吸した。
「この世で最も恥知らずな事に、自分はここまで我慢したんだからと、アホみたいに安っぽくキレる事というのがあります。社会人をやっていると、何人か出会った事、あるでしょう? そこに落ちていない限り、真矢さんはすごい人ですよ。強いです」
そういうと、孝は財布から一万円札を取り出し、伝票の上に置く。
「適当なところで帰って下さい。明日も仕事でしょう?」
店内から出て、空を仰いだ孝の顔には、夕食を取りに来た時とは真逆の表情があった。
「……」
電話を取り、兄へ電話する。
「あ、兄さん。決めたよ」
2コールで出た兄・陽に対し、いう、
「
会と
それに対する文句をいいに来るのだろう。
「全員が同席する日を選んでよ」
それは、孝にある仮説――いや、近い将来、必ず起こる予言をもたらせていた。
舞台最後の日が近い。
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