第21話「的場邸にて、那の真意を知る」

 弓削ゆげ聡子さとこを乗せて箱バンを走らせた場所とて、安全とは言い難い。


 ただともが手にしている聡子の情報が、はじめと聡子に終始しているならば、いきこばくかに過ぎなくとも時間を稼げる場所と言える。


「デカ……」


 後部座席で聡子と並んで座っていた陽大あきひろが、思わず口に出してしまう豪邸だ。ペントハウスが見えるのだから、屋上まである。


 弓削の自宅を見た時も思ったが、倍以上の規模だ。


「どんな人が住んでるんですかね?」


 人工島は住宅地を増やす名目で作られた場所であるから、地価が安いとはいえ、維持にかかる費用に変わりはない。舞台にあがる事に積極的だとすれば納得できるが、そういう相手を安土あづちが協力者として選ぶはずがない。


 庭こそ弓削の自宅よりも狭いが駐車場は3台分あり、既にクーペとセダンが一台ずつ停車していた。セダンは見覚えがある。安土の愛車だ。


 しかし安土の自宅かといえば違う。


「知り合いだ」


 箱バンを並べて停車しつつ弓削が示す表札は、「的場まとば」――。



 弓削にとってはカルチャースクールの仲間であり、また反りの悪い矢矯やはぎの教え子だ。



「はーい」


 インターフォンを鳴らすと、陽大と変わらない歳の少女が玄関先に現れた。


「こんにちは。本筈もとはずさんを連れてきました」


 弓削が頭を下げると、玄関先に現れた少女は「お疲れ様です」と一礼した後、背伸びして神名かな陽大あきひろが連れてきた聡子を見た。


「いらっしゃい。私、的場まとば仁和になっていいます。ここは、安全よ」


 いらっしゃいと手招きし、「安土さんも来てるわ」とリビングスペースを示した。


 ローテーブルに置いたノートへペンを走らせていた安土は、すぐに聡子が到着した事に気付かなかったが、パタパタと玄関から上がってくる音を聞くと顔を上げた。


「ありがとうございます」


 陽大、弓削、神名へと向けられた言葉には、感謝よりも安堵したという風な雰囲気が強い。3人それぞれの力を考えれば、余程の百識ひゃくしきが動かなければ遅れは取らない。しかし不利になるのは、那が百識を駒として用意できれば、という条件付きだった。安土が弾いた算盤そろばんでは――100%ではなくとも――勝率は相当、高いと読めた。


 それでも聡子が無事な姿を見せるまでは、ホッとする事もできなかった。


「本筈さん。空いてるところに座って」


 仁和が聡子をリビングへ案内する。14畳近いリビングは10畳程度のダイニングに続いており、それこそ10人でパーティしても狭さを感じさせない。


「お茶、淹れますね。本筈さんは、紅茶でいい?」


「は、はい」


 おっかなびっくり安土の隣に腰掛けた聡子も、この豪邸に目を白黒させていた。矢矯も驚いた家だ。


「私のクライアントです。しばらくは安全です」


 落ち着いてと横目で見ながら、安土はノートを閉じた。女医が読めなかった悪筆であるから、聡子が見ても分からないはずだが、見せたい内容ではない。基本的には最悪の状況が書かれているのだから。


「はい、どうぞ」


 そこへ仁和が湯気の上がるティーカップを持ってくる。


「お砂糖は、これ。あと、蜂蜜やマーマレードもありますよ」


 好きなものを使ってとトレイを置くと、やっと聡子の顔も緊張が緩んだ。紅茶に対し、ここまで様々なものを容易できる仁和は聡子にとっても好ましい相手だ。


「ありがとうございます」


 はにかむ聡子は、「ストレートでいただきます」とティーカップを口元に寄せた。一口、飲めば、喉から腹へうまさが滑り込み、落ち着きが戻る。


「凄い……お宅ですね」


 その一言に他意はない。この家を見て豪邸だと思わない者の方が少ないだろう。


 しかし仁和は苦笑いを見せる。


「両親が残してくれたものなんです」


 両親が残してくれた自慢の豪邸であるが、莫大な遺産を残すよりも、生きている方がいいに決まっている。


「残してくれた?」


 聞き返したのは、聡子の斜向かいに腰掛けた陽大だった。


「遺産です」


 そこへ声を向けたのは、陽大と同年代の少年だった。


「……すみません……」


 陽大が恐縮すると、少年――孝介こうすけは「構いません」と陽大を一瞥し、湯気へ頭を下げた。


弦葉つるばくん。この子が、俺と同じイラスト教室に通ってる的場まとば孝介こうすけくん」


 弓削ゆげが紹介すると、孝介は「よろしく」と頭を下げた。


「私は自己紹介の必要はないわね」


 その声はダイニングから聞こえてきた。


 聡子が顔を上げると、ダイニングにも来客がおり、その顔は二人とも知っている。


乙矢おとやさんと、久保居くぼいさん」


 聡子が顔を輝かせるのは、基が頼りになるといってくれた二人だからだ。駐車場に止まっていたクーペは、乙矢のクーペだった。


「こんにちは」


 乙矢はコーヒーカップを置き、軽く手を振った。


 しかし乙矢の隣に座っている真弓は、ノートパソコンから視線を上げる程度に留める。


「……こんにちは」


 言葉も短く、すぐにパソコンの方へ意識を戻すのだが、乙矢が「真弓まゆみちゃん」と肘で脇を突き、顔を上げさせる。


「あ、ごめんなさい。今、急いでする事があるから、優先しちゃってて……」


 慌てて取り繕う真弓は、今度こそ身体ごと向き直った。


「鳥打くんと連絡、とりあってる?」


 真弓が聞きたいのは、それだった。


「はい。今日も、買い物に出るまでは電話してました」


 聡子が答えると、「そう」と頷き、


「どこまで進んだかとか、聞いてるかな?」


「えと……」


 真弓の問いかけは深刻で、それ故に聡子を緊張させた。


「一週間……一週間で、戦えるようになるって言ってくれました」


 ほんの小一時間の事であるから、思い出すのは容易いはずだったが、言葉にするのは苦労させられた。


「一週間ですか……」


 その答えに頭を抱えさせられたのは、安土だった。


「え? え?」


 聡子が困惑した顔を見せるが、安土は苦い顔のまま。


「時間が、足りないかも知れません」


 そういった。





「失敗とはいえない」


 小川と共に戻ってきた手駒を前にして、ともはそう言い放った。


「これで相手にプレッシャーを与えられたはずだから。二、三日中に本筈聡子を舞台に上げる、と告げた訳です」


 決定したぞと告げれば、時間がないと慌て始めるはずだ、というのが那の立てた算段だ。


 順調に行っていた所へ、唐突に「二日後ですよ」と期限を切られれば、基の修練をどこで斬り上げるのか迷ってしまうはずだ。



 その迷いを突けば、基は聡子を守るのに、十分な力を身につけられるだろうか?



「つけられるはずがない」


 那はハンと鼻で笑い飛ばした。



 那の作戦は二段構えだった。



 その成否が分かるのは、まだまだ後の事であるが、この時点で那は成功だと胸を反らしていた。

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