第3話「救いの天使か、地獄の使いか」

 箱バンが停まったのは、箱バンが似つかわしいとは感じられないインテリジェントビル然とした高層ビルだった。


 陽大が箱バンから降りる事を躊躇ったのは、イメージしていた「自分が働ける環境」とかけ離れていたからだ。



 ――ここで、俺が?


 自分の経歴を考えれば、ブルーカラーしか想像できない陽大だ。特別な知識や技能がある訳ではなく、職歴など言うまでもない。持っている免許一つ考えても、精々、講習を受ければ誰でも取れるようなものばかりなのだから。


「さ、どうぞ」


 しかし後部座席に乗っていた男に、にこやかな笑顔と言葉で降りるように促されると、降りるしかなかった。


「あ、ぼく……私は――」


 ビルに入る道々、陽大が口を開いたのは、自己紹介がしたかった訳ではなく、沈黙に耐えられなかったからだ。


 しかし声をかけようとすると、前を行く男はくるりと顔だけを振り向けて、陽大の言葉を遮る。


「仕事ぶりは聞いていますよ。ご両親も南県でご健在。古い歴史のある家系だと言う事もね」


 その内容は、どこか不気味なものを感じさせられた。


 ――そんな事まで?


 被雇用者の経歴を調べるのは当然の事かも知れないが、ここまで調べられている事には不気味な印象を受けてしまう。


 しかし古い歴史のある家系――旧華族だとか、士族だとか言う話は聞いた事がない。


「いえ、そんな事は……」


 語尾で言葉を濁しつつ否定する陽大であったが、男は「いやいや」と愛想笑いを浮かべながら手を振った。


 別に旧華族だろうと言っている訳ではない。



「百識という、古い家なんでしょう?」



 ドアを開けながら口にした単語に、陽大の表情はいよいよ険しくなった。


 確かに陽大の生家は百識の家系であるし、陽大も百識である。


「……精々、身を守る《方》が少し使えるだけですよ……」


 嵐を呼んだり津波を起こしたりできる訳ではない。陽大が使えるのは、障壁と呼ばれる《方》であり、その強さもダンプカーの突進を受け止められるような強烈なものではない。精々、石がぶつかっても痛くない程度だ。


「十分ですよ」


 男は笑顔のままドアを開け、室内へ招き入れた。


「大事な事ですから」


 陽大が入り、後ろから入ってきた部下たちが後ろ手にドアを閉めたところで、男の笑みは一層、強くなった。


「……」


 薄暗いと陽大が顔を顰める中、男の声だけが耳に届く。


「これからの仕事は、その《方》を使ってする事ですから」


 笑い声。


 笑い声と共に落とされていた部屋の照明が点灯し、



「死ぬまで戦う事です」



 ガラスで仕切られた部屋には、見覚えある顔が並んでいた。


「……!」


 陽大は言葉をなくした。



 あの日、陽大が死なせてしまった同級生の家族だ。



 いや、陽大を見る目から察するに、相手は「死なせてしまった」とは思っていない。


 殺したと思っている。


「――」


 その中の一人が何事かを怒鳴りながらガラスを叩いたが、声は陽大まで伝わらない。ガラスはそう簡単に割れない代物で、防音性もあるものだった。


 しかし意味は察せられる。


 ――人を四人も殺しておいて、のうのうと生きているのは許されない。


 そう言っているのだ、と感じるからこそ、陽大は足が竦む思いがした。


「仇討ちだそうです。相手は、後日、用意しますから。それまでは自由勝手に過ごして下さって結構ですよ」


 男はにこやかな表情のまま、ぽんぽんと陽大の肩を叩いた。


 自由勝手――。


 その言葉に陽大は頬を引きつらせた。


 自由勝手に生きた事など、覚えがない。



 まるで自分が起こす事になってしまった事件が、抵抗の末の事故ではなく、快楽殺人であったような言い方ではないか。



 それでも反論する言葉を持っていないからこそ、「あの事故」が起きたのだ。


 そんな中、陽大の肩を叩く手を弾く手もあった。


「彼が自分勝手に生きた事があるというのですか?」


 陽大が耳に入ってきた声の方を向くと、弓削の姿があった。無論、陽大の知らない顔であるが、味方である事は弓削の行動が雄弁に語ってくれた。


「僕が聞いてる範囲では、そんな話はなかったんですが……、君はあちら側?」


 陽大を離れさせる弓削は、男の顔を覗き込みながらガラスの向こうを立てた親指で指していた。


「ッ」


 弓削を知っている男は息を詰まらせていた。


「なら、僕の敵ですが」


 弓削の相貌に剣呑な光が浮かぶ。


「ああ、待って下さい。待って」


 そんな弓削に対し、安土が慌てた様子で割り込む。舞台の上ならば、大抵の行動が問題にならないが、この場で起きたのでは話が変わってしまう。

 問題行動は控えてくれと言わなければ、安土が想定している流れにならない。


「ああ、すみません」


 弓削もこの場で刃を抜くつもりはない。男たちと陽大が離れれば、出す手も口もない。


「弦葉陽大君? 迎えに来ました」


 安土ができるだけにこやかに陽大へ言葉を向けるが、陽大の方は何も言えない。ガラスの向こうから向けられる敵意と怒気、男から向けられた悪意によって気力が萎えている。


「私は安土と言います。こちらは弓削さん。迎えに来ました」


 もう一度、同じ事を告げた。


弓削ゆげ わたるだ。弓矢の弓に、削ると書いてユゲ。ワタルは、弥生時代の弥と書く」


 陽大へと向けられた弓削の相貌には、剣呑な光はなくなっていた。





 陽大を連れ出した安土が、その道々で語った事は、状況の簡単な説明だった。


 陽大はあの遺族の仇討ちのために用意された舞台に上がること。


 弓削は生き残る術を教える教師役だと言うこと。



 そして、他薦は「少ない」が「有り得ないこと」ではないと言うこと。



「他薦……ですか……」


 安土のセダンに揺られながら、陽大は理解しようと懸命になっていたが、それがどうしても及ばない。


「弦葉君みたいに、反論しにくい立場にいる人を連れてくる場合があります」


 ハンドルを握っている安土は、もう何回か繰り返していた。


 この場合、四人もの人間を殺した殺人者であり、執行猶予と言う傍目から見れば無罪放免に等しい扱いになっている陽大は、格好の獲物だった。


 既に法的に裁かれた陽大であるが、「それで十分だ」と感じていない者が存在し、その数は決して少ないとは言えない程だ。


 それに加え、陽大が抱えている生来の気弱さは、自分の非ばかりを責めてしまうのだから、舞台の主催者が望む条件の全てに当て嵌まってしまっている。


「ポピュリズムの犠牲者……かね」


 陽大と並んで後部座席に座っている弓削は、陽大の顔を横目で見ながら呟いた。陽大の境遇は、少年法の全廃が生んだイレギュラーだ。しかし簡単に想定出来るイレギュラーなのだから、弓削としては出会って小一時間しか経っていないが、陽大に対して同情的になる。


「本来、少年法にあった問題は、意図的に悪用する者がいた事だった。それは、そう言った輩を厳罰に処すよう、少年法に追加するだけでよかった。それを耳障りをよくする為に全廃になんてしたから、イレギュラーな事態が発生するようになる」


 ポピュリズムによるものだ、と弓削は言うが、それは乱暴というものだろう。様々な意図のある廃止であったのだから、それを一言でまとめてしまう事はできない。浅慮であった事は間違いないにしても。


「俺は……そこまでの事、したんですかね……?」


 陽大は掠れるような声しか出せなかった。


 今までも、酷い扱いを受けてきたと思った事があったが、それでも耐えてこられたのだが、今回のは無理だ。



 直接、死ねと言われ、殺す準備を整えられていたのだから。



「そこまで酷い事をしたとは思えない」


 弓削は視線だけでなく顔も陽大へ振り向けていた。


「ちゃんとした裁きを受け、服している。その法が間違っているから私刑にしようなどという理屈が成り立つものか」


 それはあまりにも明確に、嘘ではない、と告げていた。


「……」


 陽大は思わず目を逸らしてしまうが、弓削は構わず言葉を続けた。


「君は、やられたらやり返せと考えられるかい?」


「……やり返したいとは思うけれど、実際に手は……」


 出せないと続く語尾は、しぼんでいった。何をどう言おうとも、人を四人も殺している身だ、と言う負い目が陽大の手を止めてしまう。


「自分がされて嫌な事は他人にはしない。もしやり返してしまったら、自分がされて嫌な事を他人にしてしまうと言う事になる」


 陽大の考え方を、弓削はそう解釈した。


 自分がされて嫌だった事をしてきたから、相手にも自分が嫌だった事をする――そう言う相手であれば、弓削は手を貸そうとは考えなかった。


「今時、得がたい少年であるからこそ、僕が教える」


 弓削は居住まいを正し、陽大の顔を真っ直ぐ見遣った。



「命を繋ぐ、負けない技術だ」



 安土が弓削に求めたのは、孝介と仁和に矢矯がした事と同じく、陽大を鍛える事だった。

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