第2話「イラスト教室に通う怪人」
――プログラム化と言うか、パッケージ化と言うか、マクロでもいいか……兎に角、発揮される《方》の順番とか強さとか、そういうのを、自動で発生させられるようにできる奴らもいるが、俺にはできなくてね。
ルゥウシェやバッシュの使った《導》や、孝介や仁和も使える身体強化と言った《方》と、矢矯が使う《方》のどこが違うのかと言う話になった時、矢矯はそう言った。
本来、そう言うパッケージ化ができれば、身体操作も、それに付随する感知や、反動を打ち消す事も全て自動で行えるのだが、その技術を矢矯は持っていない。
――
六家二十三派とはルゥウシェが属しているような、それこそ平安の昔から続いているような百識の家だ。逆に矢矯が属しているのは、明治維新以降に興った新しい一族で、
――まぁ、欠点としては、パッケージ化して誰でも使えるようにするなら、どうしても限界ができてしまう所かな。ぶっちゃけ、俺くらいのスピードで動こうとしたら、オーバーフローみたいなのが起きて《方》が発揮されなくなるし、下限もある。
それに対して、矢矯は冗談めかした。
――料理で言えばファミレス風の味付けになる。俺のはゲテモノ料理だが。
そう言って、戯けて笑った。ハマる者はハマるが、ハマらない者は吐く程、嫌う。
――つまり、個人個人の工夫を続けていかないと、自分の限界にはたどり着けない。俺の真似をしてたどり着けるのはここまでだ。
そう矢矯に告げられた孝介が向かったのは、イラスト教室だった。
――動きをもっと洗練させるんだ。そのためには、動作の一つ一つを把握する必要がある。
客観的に見るには絵を描けるようになるのが一番だ、と考えての事だった。
とは言え、今まで美術も図画も苦手で、イラストを描く趣味もなかった孝介であるから、何もかもを最初からする必要があったが。
「はぁ……グリッド線を引いて、どのグリッドにどの線がかかっているかを見る……と」
タブレットに映し出した画像にグリッド線を表示させ、同じく画用紙にも方眼を引いた孝介は、考えていた事と大分、違う事に戸惑っていた。
――作図みたいになってるな……。
模写すらした事がない孝介は、もっと鉛筆を立てて当たりを付けるような、ステレオタイプの「画家」しかイメージを持っていなかった。
だが現実には、方眼紙と睨めっこしているに等しい状況になっている。
――肩のラインが、このコマの七分目から出て、次のコマの真ん中……。
作図だなと思いつつも、その作業が楽しくなっていた。苦手意識から今まで手を出してこなかった分野だが、自分の知らない事に手を入れるのは面白い。
「線画はできました」
深呼吸をしながら、孝介は鉛筆を置いた。様々ある画材の内、孝介が選んだのは鉛筆だった。何でもよかったが、百円ショップで手に入る物を考えたためだ。
「お疲れ様」
講師がやってきて、机に置かれたスケッチブックを見遣った。
「では、これから彩色を?」
そう問われるが、孝介は首を横に振った。
「モノクロで行こうかと……」
些か《いささ》自信のない声を出してしまうのは、モノクロで描く事が好みだから出てきた言葉でない気恥ずかしさからだ。全て百均で揃えた道具は手軽に買える反面、使いやすさはイマイチ。特に色鉛筆は、蝋と顔料の比率からムラなく塗る事は難しい。またスケッチブックにせよ、重ね塗りするには向かず、塗っている途中で破れる事すらある。
ここに来ている理由はイラストの腕を上達させるためではないのだから、別に上手く塗ろうとする必要はなく、百均の文房具で十分ではあるのだが、それを言えないのが孝介の悪癖だ。
「なるほど。それもいいですね」
そう言った講師は、孝介の筆圧を見ていた。画材に鉛筆を選んだ時、講師は孝介が柔らかいタッチを身に着けたい、もしくは活かしたいのだと思ったのだが、それに反して孝介の筆圧はかなり強い方だった。ならばモノクロの方がいい。
「服の上からでも、骨格と筋肉を意識して描きましょう。光源はこちらにある訳ですから、影の向きは――」
講師の言葉は続くのだが、孝介は半ば聞いていなかった。
――モノクロでって言ったけど、形が描ければいいんだよな。
彩色に時間を掛けても仕方がないと思っているからか、どうしても
「では、何かあれば」
講師が説明を終えて離れる時には意識を戻し、会釈を返したが、これも悪癖だ。
「……」
鉛筆の動きが明らかに変わり、濃淡をつけていく手が止まりがちになるのだから。
「手が止まりますか?」
ふとかけられた声は、孝介の前に座っていた男からだった。
年齢は三十代半ばから後半と言う所だろうか。孝介と同じくらいの身長であるから、その年代であれば長身と言える。白髪交じり――と言うよりも、白髪染めの効果が薄れている茶髪混じりの髪であるが、整えている美容師の腕が良いのか、ツーブロックショートに整えられており、それが若々しい印象を与えてくれる。
――この人は……確か、
新たな受講者が来ても皆が自己紹介をするような事もない、小規模な教室であるから、名前も雑談の中で出て来ただけだ。
弓削と名乗ったアラフォー男は、孝介の描いている絵を指差し、
「脚の動き、指の運び……そういうものまで観察すると、モノクロの絵は実に良く映えますよね。写実的になると存在感が強くなります」
その言葉は一言二言に過ぎなかったが、孝介にとっては衝撃的な言葉だった。
――写実的で存在感がある……。
それは孝介が目指していた点だ。
――聞き逃した!
今し方、講師が話してくれた事を、ちゃんと実行していかなければならなかったのだ。
「あの、すみません!」
ばつの悪い顔をしながら、孝介は手を上げて講師を呼んだ。
「はい?」
講師が来るが、ばつの悪い顔をしている孝介は、質問を考える前に呼んでしまっていた。
助け船を出してくれたのも弓削だった。
「光源がこちらなら、影が何故、こういう付き方をするんですか?」
「筋肉の付き方と、手の向きや角度を考えてみると、例えば――」
講師が鉛筆を取り、スッと数本、孝介のスケッチブックに線を入れる。
「ここにも手の影が落ちますし、生え際の部分には、被っている帽子の影があるので、髪の毛よりも濃くなります」
ちょっとした事であるが、そのちょっとした事だけで目を見張る変化になると言うのは面白い。
「……」
そんな講師と孝介を横目に、弓削も自分の作業に戻っていく。
講師の説明が終わった孝介が見遣ると、弓削の手にある画材も、この教室では珍しい部類に入る鉛筆だった。
「アナログなんですか?」
声を掛けたのは、親近感からだった。
「鉛筆の軟らかいタッチが好きなんですよ」
弓削はフッと笑って見せた。とは言っても、孝介のように百円ショップで揃えた画材ではない。文具店で売っている程度ではあるが、一本200円するような色鉛筆を使っている。
「やっぱり、塗りやすいんですか?」
孝介は色鉛筆で彩色している弓削の手元を覗き込んでいた。円を描くように塗っていく弓削の手元は、確かに色むらが少ない。
「ちょっと力加減が変わったくらいでは、濃淡や色むらが出来にくいですね」
そこが百円ショップの色鉛筆とは違う、と弓削は言った。
「へェ」
と、唸る孝介であるが、だからと言って自分も同じ色鉛筆を買おうとは思えないが。一本200円すると言う事は、36色を揃えるだけで7000円を越える。そんな余裕はない。
しかし弓削に芽生えた親近感は変わらない。この教室は皆、ディジタルで描いている中、アナログ画材を使っているのは二人だけなのだから。
「ただ、弓削さんが向いてるのは色鉛筆画じゃなく油絵ですよ」
講師は笑いながら、弓削のスケッチブックを指差した。
「そうなんですか?」
孝介が顔を上げると、講師は弓削に見てもいいかと断り、
「色鉛筆だと、白いところは塗り残しで表現するんですけど、弓削さんの場合、ハイライトも塗り残しじゃなく、後からソフトホワイトを重ねて塗るから、紙が限界を迎えて色が乗らなくなってる所が多いんです」
「……はい」
弓削も苦笑いしていた。そして弓削の筆圧は微妙に高い所もある。
「百均の紙を使ってた頃は、すぐツルツルテカテカになって、フィキサチーフを吹きかけて、無理矢理、塗ってましたよ」
「ははは」
孝介も思わず笑ったところで、教室内にある鳩時計が時間を告げる笛を吹いた。
「おっと」
弓削は手を止め、片付けを始める。
「それでは、また来ます」
そのまま帰るのだから、この行動――かなりひいき目に見てビジネスライクと言えなくもないのだろうが――は、孝介も理解はできない。割と会話が盛り上がったのだから、そのまま何やかやと雑談し、友好の輪を広げそうなものであるが、弓削は時間が来たらスッと帰る。
だが弓削とすれば、これは性分だ。
子供の頃から友達を作るのは得意ではなかったし、その延長で「時間の使い方」がこうなってしまっている。
そして何より、今日は特別だった。
イラスト教室が入っているテナントビルを出ると、眼前に白いセダンが停車する。
時間ぴったりにくるセダンに乗っているのは安土だ。
「先日、話した事です」
孝介たちの制裁マッチがあった日、安土に言われた事を弓削は思い出していた。
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