第8話「弱い方が負ける」

 話が一瞬で進んでしまう事は、安土や小川ならずとも、世話人であれば誰もが経験する事だった。舞台に上る者が主演であり、世話人は文字通り世話をするだけなのだから。


 アヤ、那、明津が声を上げれば、小川に覆すだけの力はない。


 故に今、舞台へ向かう人数は三人だ。



 孝介を先頭にして、仁和、矢矯が続いて花道を歩いている。



 三人の入場を彩るユーロビートに混じる観客からの声には、2戦目、3戦目に比べれば罵声よりも歓声が多くなっていた。仁和が乱入した初戦は兎も角、二戦目の矢矯は許容された乱入だった。三戦目を無事に終えられれば、それなりに罵声が減っていくのは道理だ。


「ギリギリでしたよ」


 ヘッドセットから聞こえてくる安土の口調には、言葉ほどの苦労をした印象はない。


「私には、安っぽい挑発をして、相手が乗ってくるのを待つ以外に手がありませんから」


 嘘か誠か分からないと思わされるが、事実だ。安土は情報収集に心を砕いているが、交渉術に長けている訳ではない。唯一のカードが挑発というのは事実であり、もしアヤ、那、明津に人並みの自制心があれば通用しなかった。


 ――人並みに自制ができるならば、舞台には上がらないですけど。


 挑発に乗りやすいからこそ、こんな行き止まりに突き当たり、雁字搦めになっているんだ、と思うも、それは安土も口には出さない。



 安土とて、同じく行き止まり、雁字搦めになっている。



 孝介と仁和も、手っ取り早く金を稼ごうと思って参戦してしまったのが運の尽きだった。制裁マッチが組まれ、短期間の内に4度の殺し合いに挑まされる事になってしまった。


 矢矯も同様だ。降りる好機は存在した。美星と切れた時、知り合って間のない孝介に仁和なのだから、見捨ててしまうか、それともコーチだけに徹すればよかった。上がってしまったが故に、ルゥウシェとの因縁が強まった。


 安土はモニタで三人の姿を見ながら、考える。


 ――5戦目もありますよ……。


 ここで死ななければ、続く5戦目も存在している。小川との因縁も絡んでしまう。やはり雁字搦めだ。


 ――5戦目もあるんだろうに。


 矢矯も予感しているが、口には出さない。孝介と仁和がどう考えているかを窺い知る事はできないが、聞きたい言葉でない事は確実だ。


 うねるようなエレキギターの音でフィニッシュするユーロビートと共に、三人がステージに上がる。


 入れ替わりで逆サイドに青い光が灯る。


 眩しいと目を細める三人の眼前でスモークが立ちこめ、音楽が耳を打つ。


 曲調はジャズ――テンションと転調を多用するビ・バップだが、アレンジが施され、主旋律にエレクトーン、リズムパートに和太鼓など、クセが強い。


 スモークの後ろには、更に大型ディスプレイが置かれ、演奏者の姿が映像として流されている。


 エレクトーンの上鍵盤と下鍵盤に指を走らせ、ペダル鍵盤を踏む傍ら、エクスプレッションペダルとセカンドエクスプレッションペダルも使い、全身で演奏している那の姿だ。


 即ち、入場してくるのは、那を除いた二人。



 アヤと明津がスモークの中から姿を見せた。



 黒で揃えた上下にローテクスニーカー、ボーダーのシャツという出で立ちの明津は、鞘に入れた剣を肩に担ぐようにして持ちながら、その視線を矢矯へ向けていた。


 青いパフスリーブの上着とロングスカート、それにオレンジのバンダナを頭に巻いたアヤの目は、的場姉弟を捉えている。


「男の方が明津一朗。手にしてる武器から、矢矯さんの相手でしょう。女の方が上野こうずけアヤ。仁和さんと孝介くんの相手です」


 安土が告げたが、軽い混乱が孝介に起こる。


「二人しかいない?」


 自分と仁和の相手だと言われても、2連勝する気でいるのならば、嘗められたものだと思ってしまう。


「いいえ」


 安土は否定した。


「3対2。複数人で同時に戦います」



 これは星取り戦や勝ち抜き戦ではなく、3対2の変則マッチだ。



「なるほど、一度で済ませるつもりか」


 矢矯の声に、軽い苛立ちが現れていた。こちらは3、あちらが2だから有利だ、とは一概に言えない。孝介と仁和の技術は、ソニックブレイブが表す通り、一騎打ちを想定している。それは2対1だから有利、とならないと言う事だ。


 互いに刃物を持ち、それが急所に10センチでも突き刺されば死ぬような状況で戦うのならば、複数人で戦う事は危険窮まりない。


 死角から放たれた一撃は、素手であっても容易に命を絶ってしまう。


 お互いが同じ条件なのだから、フェア――と言うのは、形だけの事だ。


「……」


 矢矯にとって、的場姉弟を失う事は敗北に等しいのだから、二人を戦闘不能にしても、孝介か仁和が帰ってこられないのでは、勝利だと手放しで喜べる状況ではない。



 即ち、強い方が勝つのではなく、弱い方が負ける。



 言葉遊びではなく、矢矯はそう言う状況に追い込まれた。少なくとも心理上は。


「強い方が勝つのではない。弱い方が負けるのだ」


 矢矯の顔を見ながら、明津も言った。彼我戦力差は分からないが、孝介、仁和、矢矯の三人の戦力は分かる。矢矯が突出しており、孝介と仁和はどんぐりの背比べだ。


「僕がベクターを抑える」


「二人は私が」


 ステージへと上がる直前、明津とアヤは言葉を交わした。



 弱い方が負ける――この五人ならば、間違いなく孝介と仁和が弱い。



「二人を不自然に庇えば、ベクターは死ぬ。簡単に」


 矢矯が持っている技術とて、剣を操る技術ならば、想定されているのは一騎打ちのはずだ、と明津は見ていた。


 ステージに上がる。


 審判の手が「止まれ」を示しているのは、ここで奇襲に出る事が矢矯の狙いにあるからだった。

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