第13話「剣閃一閃 3対3」

 観客が一瞬、黙り、そしてざわめき始める。


 その曲を皆、知っているからだ。


 知っているからこそ、バッシュやルゥウシェが目を吊り上げていた。


 背後を見遣る三人だが、そこに誰かが来る気配はない。


 リズムパートの前奏が終わり、曲へ入る直前、孝介と仁和が通ってきた花道に花火が上がる。



 その色は赤。



「……!」


 バッシュが振り向く先、花道の入り口に人影が見えていた。


 その視線に孝介と仁和も気付く。


「ベクターだ!」


 バッシュやルゥウシェに比べれば小さいが、観客から歓声が上がった。


 赤いサーコートを羽織り、腕には同じく赤のグローブ、下半身には黒いトラウザース、黒と赤のツートンカラーに染められたブーツと言う姿の男が、鍔付きの帽子を目深に被って、ゆっくりと歩いてくる。



 観客がベクターと呼んだ男、矢矯だ。



「あいつ……! どこから出てくる!」


 ルゥウシェが歯軋りするが、自身が「永遠にサボり」と言った相手が別のチームに入っていても、咎める権利などない。


「ベクターさん……!」


 仁和が言葉を詰まらせていた。


「ベクターさん!」


 孝介は駆け寄りたい衝動に駆られたが、矢矯は剣を持っていない方の手を軽くあげ、制した。目深に被った帽子は、メガネを掛けている事と相まって、矢矯の表情を完全に見えなくしている。


「先発は俺が行く」


 視線を誰とも合わせないまま、矢矯はステージに上がる。バッシュのように、派手に宙を舞うようなパフォーマンスはない。


 矢矯はバッシュの顔など見ていない。


「お前! 何しに来たんだよ!」


 ルゥウシェががなり立てた声は、聞こえたが。


 ――斬りたいから斬りに来た。


 矢矯にセリフが浮かんだが、口には出さない。何とも陳腐な言葉にしかならないからだ。


 ――的場姉弟を守りたいから来た。


 それも陳腐だ。


 そして守りたいからと言うだけで来たのではない。



 バッシュとルゥウシェ――この二人を、許す事ができないから来たのだ。



「口げんかしに来た訳じゃねェよ」


 ただそう言って剣を抜く。


 それが何より明確な回答であり、そして開始の合図となった。


「くそ」


 バッシュは吐き捨てると同時に、《導》を発動させる。矢矯とバッシュは互いにステージの端に立っていた。つまり距離は20メートル程度。刃物が驚異となるのは、間合いが4メートル以内の場合であるから、矢矯の武器は虚仮威しだ。


 ――こんな距離じゃ無用の長物だ。


 嘲笑を含ませるバッシュの周囲を、キラキラと輝く奔流が舞う。


「来た! バッシュの《導》だ!」


 観客の声に期待が混じる。


「リメンバランス」


 バッシュのかけ声で奔流が変化していく。


 炎だ。


「!」


 炎が渦を巻き、まるで怪物のような異様な姿へ転じていくのを目の当たりにし、孝介は息を呑まされた。


 ――こんなのと戦わされるのか!?


 土台、勝ち目などなかったのだ、と思う。この《導》に比べれば、自分が使える《方》など蝋燭ですらない。矢矯から習った《方》とてそうだ。蟷螂の斧だ。


 しかし――、


「勝てる。心配ない」


 ヘッドセットから矢矯の声がした。


「か、勝てる!?」


 孝介の声は裏返っていた。


 聞き間違えかと思った。



 矢矯は「負けない」ではく勝てると断言した。



「いいか。百識に必要なのは、強大な火力でも、特殊な防御や攻撃でもない。必要なのは――」


 バッシュの《導》に対し、矢矯がスッと上体を沈めた。


「最も必要なのは、自分の感覚を確実にフィードバックする事、単一行動を確実にこなすす堅実さだ」


 バッシュの《導》が完成する。ここまでに必要な時間が弱点と言えば弱点であるが、20メートルという距離を踏み込むのに必要な時間ほどではない、とバッシュは計っていた。



「インフェルノ――煉獄の記憶!」



 その変化は、複数の首を持つ炎の龍か、さもなくば何本もの腕を持つ巨人だった。それが矢矯を囲い込むように動く。


 炎は殺到し、矢矯は飲み込み見えなくなる。


「!」


 呼吸する事も忘れてしまった仁和は、その炎の中で跳ね飛ばされる「何か」を見た。


 ――腕!? 人間の腕!?


 それは人間の腕だ。


 孝介も仁和も、矢矯が炎に飲み込まれ、勝負は一瞬のうちについたと思ったのだった。


「生きてる」


 しかしヘッドセットから声が聞こえる。


 矢矯の声だ。


 矢矯が見ているのは、炎に焼かれる自分ではない。


 ――トロい!



 炎よりも速く、バッシュの懐へ飛び込んでいた。



 矢矯が今、見ているのは、鞘走らせた剣が断ち切ったバッシュの右腕。


 そして両手持ちからの打ち下ろしで断った左手と左足だ。


「勝ったぞ!」


 矢矯の宣言と同時に炎は四散した。


 残ったのは、物理的に立てなくなったバッシュと、残った右足に剣を突き立てている矢矯の姿だ。



 殺してはいないが、戦闘不能にした――矢矯のいつものパターンだ。



「はァッ!?」


 ルゥウシェが素っ頓狂な声をあげた。


「……」


 声こそ上げないが、信じがたい光景であるのは仁和も孝介も同じだ。


 ――20メートルはあったぞ。それを、一瞬で?


 信じられないのも無理はないが、それこそが矢矯の《方》だ。筋力に《方》を上乗せした強化ではなく、全てを《方》で操作するからこそ到達できるスピードだ。


「ベクターさんの最大戦速は、時速1200キロ。極限まで身体操作を究めた人です」


 安土だけは当たり前だと思っていた。


「筋肉を鍛えたところで、人間のサイズでは時速40キロが関の山でしょうけど、《方》によって操作された身体は、物理的な限界まで加速します。矢矯さんの《方》は、念動だったでしょう?」


 それは孝介も仁和も聞いていた。


 ――私の持ってる念動は、この通り、ハンカチ一枚、持ち上げられる程度です。こう言う《方》は、身体から離せば離す程、効果が弱まっていくものですが、逆に自分へ近づけていくとどうなるか?


 二人の耳に、矢矯の声が蘇る。


 ――私の場合、自分の身体の中で発生させる場合、恐ろしく強い力が出せます。


 その力が、矢矯の身体を加速させたのだ。そして反動も念動で打ち消して動く。相手との距離を感知して最短距離を走れば、バッシュの《導》など無限大の隙があったはずだ。


「俺の勝ちだ! 文句はあるか!」


 張り上げられた矢矯の声への返答は、ブーイングなどではない。



 一際、大きな歓声は、矢矯の勝利を観客が認めたと言う事。



 誰もが目を奪われてしまう《導》を何事もなく突破し、剣の閃きすら見せずに無力化する――この鮮やかさに反論できる者はいなかった。


「ッ」


 矢矯はニッと笑うと、突き刺した剣に力を入れ、乱暴にバッシュをルゥウシェに向かって投げ渡した。


「……あんた……」


 ルゥウシェの目は真っ赤に染まっていた。最早、矢矯に抱く感情を形容する十分な単語はない。吐き出したい言葉はいくらでもあるが、その言葉を全て出したら一日やそこらでは済まないはずだ。


 言葉は出ず……、


「あああああああああ!」


 意味のない怒鳴り声だけが出た。


「仇は――」


 ルゥウシェはバッシュを抱きかかえ、このまま矢矯と戦って敵討ちをしたい衝動に駆られるのだが、星取り戦だ。自分の相手は、仁和か孝介のどちらかだ。


「終わったのなら、さっさと降りろ!」


 美星の怒声は、いつまでもバッシュとルゥウシェを見下したままでいるな、と言う意味だが、それに対する矢矯は鼻を鳴らし、まだ血がしたたり落ちている剣の切っ先を、ルゥウシェ側に向ける。



「次は最初から乱入だ!」



 その宣言は、本来、歓迎されるはずのない行為であるはずなのに、観客を沸かせたのだった。

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