第2話「運命の《導》」

 施錠されていないドアを開け、三人は素早く身を隠すように潜り込む。


 中は素っ気ない部屋であったから、三人の誰もが入ってはいけない部屋だとは思わなかった。


 8畳の部屋には中央にベッドがあるだけで、他に何もない。


 窓すらない異様な空間だった。


「え?」


 聡子さとこも自分がどこにいるのか、すぐに知る事はできなかった。


 窓もないのだから、電灯を点けなければ室内は真の闇だ。


「今、電気、点けますね」


 辛うじて夜目が利くカミーラであるが、流石にドアを閉めれば何も見えない。


 だから壁を探って電灯のスイッチを探すのだが、カミーラがスイッチに指を掛けた途端、ペテルが慌てて止めた。


「止めなさい」


 ペテルの目には、見えたのだ。


 だが慌てて重ねたカミーラの手であったから、スイッチを入れてしまう。


 LED照明は蛍光灯のようにチカチカと明滅するような事はなく、瞬時に部屋を照らした。



 部屋中央のベッドに寝かされているはじめの姿を、だ。



鳥打とりうちくん……?」


 聡子の目が基へと向けられるのに必要だった時間は、ペテルが舌打ちする程の間もなかった。


 祭壇がないため遺体を安置しておく場所だとは気付かなかったが、ベッドに横たわっている基の状態は分かった。


「……」


 聡子を遺体から離そうとするペテルであったが、聡子は口元を手で覆って震えながらも、足に力を残していた。


 ――酷い。


 胸中にあるのは、その一言だ。


 欠損した部位を再生する事はできなかったのだから、基の遺体は眠っているようには見えない。


 ねじ曲げられ、歪まされ、そうやって殺された事が在り在りと見て取れてしまう。


 それは自分の身にも降りかかってしまう事かも知れないが、そんな事が先に浮かぶ聡子ではなかった。


 ――鳥打くんが、一体、誰に、何をしたっていうの……。


 聡子は基と親しかった訳ではないが、基が誰かに何かをしたとは思えない。クラスメートが口々に放っている言葉は全て嘘だと確信している。


 もし在学中に出会っていれば、友達になっていれば――いや、そうできないからこそ、生け贄役を押し付けられている。


 そして想いは唐突にやってくる。


 ――私も? 私も、そうされる?


 基が学校を無断で出て行くようになったと言う話は、聡子のクラスにも聞こえてきていた。


 生け贄役が抗った事など、未だかつてなかっただろう。校長の谷がヒラだった頃から、一度たりとも乱された事がないシステムだったからこそ、今も機能している。


 その結果がこれだというのならば、あまりにも――、


「みんなが、かわいそう……」


 抵抗のしようがあったのかと、絞り出すように声を出した所で、聡子は足下へ崩れ落ちた。


「……」


 カミーラは黙って聡子に寄り添い、ペテルは――、


「……団結すべきでした」


 その一言が呼び起こすのは、悲劇か、喜劇か。





 カミーラが聞きつけた足音の主は、スタンドで観戦していた弓削ゆげ陽大あきひろだった。陽大は誰とも面識はないのだが、弓削と孝介こうすけは共に同じイラスト教室に通う顔見知りだ。


「はい?」


 ノックされた音に女医が顔を上げた。


 その返事で室内に入ってきた弓削は、孝介よりも先に、ベッドで寝ている矢矯を一瞥し、


「顔見知りが出てたので、心配しました」


 やはり話しかけるのは孝介だ。


「弓削さん」


 孝介は驚かされた様子だったが、弓削は柔和な笑みと共に言葉を出す。


「私も百識です。そして――」


 軽く動かした手は、孝介とは別アプローチであるが、同じく《方》で身体操作している動きだった。


「ハ、ハハ……」


 まさか同じ境遇だったとは、と孝介は笑うしかなかった。


「知り合い?」


 仁和が訊ねなければ、そのまま愛想笑いを続けていた程だ。


「イラスト教室の……知り合い?」


 曖昧な言葉にしてしまう孝介に、弓削は一礼して見せた。


「私も模写程度しかできませんが、意外とこれが役に立つんです。写真をイラスト化する時の簡略化テクニックは、身体を操るのに役立つんですよ」


 孝介のアプローチは間違っていないと言う弓削は、改めて矢矯へ目を向けた。


「いいお弟子です」


「……」


 矢矯は肩を竦めるだけで、返事はしない。陽大がつまらなさそうな顔をしているのが見えていたからだ。


 新家には、こんな言葉がある。



 一日でも師たるならば、終生の父となれ。



 陽大が知っているかどうかは分からないが、それを体現しているのは間違いない。


 ――親に無視されて、面白い子供はいない。


 矢矯はそう思うからこそ、弓削が孝介を褒める言葉には殆ど返事をしない。


「自分も命を繋げられて、二人を救えたんだから、幸運でした」


 とは言え、自分にとっても孝介は息子、仁和は娘同然であるのだから、それを救えた事は胸を張る。


「治癒の《導》だけは、流石に知り合いはいませんね」


 フッと笑う弓削の言葉は、以前、孝介が気にした事だ。


「何で、ないんですか?」


 百識の医師はいるのに《導》がないと言われると、強い違和感がある。


 特に矢矯は「生き残りがいたら」という言葉を使った。


「……それは――」


 孝介の疑問に答えたのは、その医療の《方》を持っている女医だった。


「治癒の《方》は、切断されたものを接合する、火傷を治すなど、今、存在しているものを再生させる事はできるけれど、失われたものを創造する事はできません。《導》は、それができたんです」


 回りくどいと感じてしまう言葉であるから、孝介も仁和も顰めっ面で首を傾げるばかりであったが、すぐに分かり易い一言が出てくる。



「死者を生き返らせる事までできるのが、治癒の《導》です」



「……それは……」


 陽大も声を失う程、今まで聞いた中で、最も驚かされる《導》だった。


 六家二十三派など比較にならない強さだと思わされるのだが、しかし、それこそが滅ぼされた理由でもある。


「その《導》故に、その百識は滅びました」


 何故と皆、思った。


 簡単だ。



「味方にしたら頼もしくとも、敵に回せば、これ程、厄介な《導》はなかったからです」



 厄介な《導》など、六家二十三派にとって存在していいものではないからだ。


 徹底的に狩られ、そしていつしか消えた。


 治癒の《方》は辛うじて残り、今も女医のように扱う者も珍しくないのだが、《導》は存在しない――と、されている。


 ただし、例外はいつの世にもあるものだ。



 女医は自分の娘に、この失われた《導》が宿っている事など、知らないのだから。

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