第14話「弓削がもっと愚か者だった頃」

 孝介の集中力はどうしようもなく散漫となり、それは陽大あきひろを苛立たせた。


「ちゃんと持てよ!」


 堪りかねたというように荒らげられた声が倉庫内に響いた。


 孝介こうすけが段ボールを取り落としそうになったからだ。


「……すまない」


 孝介肩で息をしながら段ボールを持とうとするのだが、大股に近寄ってきた陽大が横から奪うように取り上げる。


「新古書店では10円や5円で買い取りされるプライズフィギュアだけど、そんな値段じゃ買い取れないからな。それは、頭に入れとけよ」


 陽大の言葉遣いは益々、乱暴になってしまうが、それは文字通り「思わず出てしまった」というレベルだ。何よりも、自分が一番、されたくなかった、今もされたくないと思っている言葉であるからバツの悪い顔をしてしまう。


「……ごめん」


 尻すぼみになってしまうのだが、陽大が謝った。


「ただ、身体の調子が悪いのは分かる。どんな事になっているのかは、分からないけど。だけど粗末に扱わないでほしいんだ。いや、粗末に扱う気はないし、今のも事故だって分かってるけど」


「いや、俺が悪かった」


 身体を蝕んでいる呪詛の事はいい訳にしない。


 ――弓削ゆげさんにだって失礼だ。


 ここで孝介が、弓削とて覚悟の上で雇ったのだろうといってしまえば、それこそ台無しだ。


 ――矢矯やはぎさんだって望まない。


 そして矢矯の名前を思い出すのは、軋轢を感じ始めたとはいえ、孝介にとって矢矯こそが師だからだ。


「……」


 陽大も感知の《方》を持っているのだから、その空気は感じ取った。思考をハッキリとした言葉で読み取れた訳ではない。そこまでの感知となれば、《方》ではなく《導》だ。


 読み取ったのは微細表情。


 そこから陽大が推測した内容は、


 ――弓削さんより、そっちが大事か。


 反発を覚えた。陽大にとっての師は弓削であり、それには第一も第二もない。陽大は矢矯から《方》を習った事はなく、また助けられるような深い付き合いがない。


「――」


 だから反発心を口にしてしまいそうになるが、それを止めるかのように倉庫の入り口を弓削がノックした。


「あまり険悪になってくれるなよ」


 冗談めかした口調と苦笑いと共に入ってくる弓削は、一部始終を見ていたのだろう。そして弓削は感知など使うまでもなく、陽大がいおうとしている事くらいは察せられる。


 ――俺とベクターを比べてるな。


 それはそれで嬉しいのだが、孝介にいう必要はない――寧ろいってはならない。


「できる事をやってくれれば良いよ」


 倉庫内へ入る弓削は、陽大と孝介と西線を往復させ、


「他の人に向けられないような口調を、他人に向けちゃダメだ」


 肩を竦める弓削は、手近なメタルラックに腰を下ろすと、


「あまり自分の事を話してなくて信用が薄いみたいだから、少し話をしよう」


 ふと弓削が思い立ったのは、気まぐれの類いだ。陽大が孝介へぶつけたようなものとは違うが、他者ペ向ける事が相応しくない言葉をぶつけられた事がある。


「若い頃――」


 それは随分昔の話だ。


「結婚していた」


「え?」


 思わず陽大が聞き返した。今、独身である弓削は、ずっと独身だったと思っていたからだ。


「いやいや」


 弓削は苦笑いを強め、自宅のある方角を指差した。


「一人で住むには、どう考えても広すぎるだろう? 1LDKもあれば十分だし、そもそも人工島は家賃が安い。土地を買うのも安いし、ローンに対する減税もあるんだけど、一人暮らしの一戸建ては珍しいだろう?」


 弓削が自宅を持っている理由を考えると、バツイチが導き出される。


「一つ年上の女性でね。色々と振り回された。デートのドタキャンなんてしょっちゅうだったし、プロポーズしてから互いの両親へ挨拶に行くまで、4ヶ月、待った」


「4ヶ月?」


 また鸚鵡返しにした陽大に、弓削は「うん」と頷いた。


「友達と、同人誌作って、東京のイベントに参加するから、暇がないんだと」


「そんな理由、アリなんですか?」


 呆れたという顔をする陽大は、弓削の元嫁だけでなく弓削にも向けていた。


「アリだと思ったんだ、当時の俺は。ついでにいうと、結婚式の翌日、彼女は友達と大阪へイベントに出かけたよ」


「はぁ……」


 陽大でも生返事しかできなかった。


「その旅行も、何があったのかは知らない。19時には帰宅できると聞いていたけれど、20時過ぎても帰ってこなくて、心配になって自宅の前をウロウロしていたよ。遅くなった理由は、一度、南県にある実家へ寄ってきたからだった。で、ただいまよりも先にいわれた事は、親との縁を切ってきた、だった」


「は、はァ!?」


 今度は素っ頓狂な声をあげさせられる陽大は、滅多に見ない超展開だと目を瞬かせた。


「ケンカになったんだろう。流石に結婚式の翌日から旦那を放置して友達と旅行は有り得ない、と。で、縁を切った、新婚生活に必要だろうと、あちらのご両親からプレゼントされた車も返してくるから、中古車で良いから車を用意してくれ、と来た」


「……そんな右左にできるモノなんですか?」


「100万くらいだったら、貯金があるから何とか……と考えたのが、当時のバカな俺だよ」


 今ならば狂気の沙汰だと思うと笑う弓削は、今でこそ笑い話で済んでいるだけだ。


「新居探しも、自分の部屋がいるというんだ。誰にも会いたくなくなる時がある、と。しかし同居してみたら、一人でいたい時しかなかった。そんな二日目も、三日目も、彼女は自室に引きこもったよ」


 まさか、そこまでになるとは誰も思わない。


「しかし新婚旅行が近くてね。パスポートのコピーを旅行会社へ2週間前までに送らなきゃいけない。ずっと放置していた彼女のパスポートは期限切れ。書き換えに行った途中で……」


 流石に弓削も言葉を途切れさせてしまう。


「何があったんですか?」


 陽大が急かすと、


「3台が絡む玉突き事故。彼女が最後尾から、猛スピードで突っ込んだ。俺は事故対応と病院の付き添い、そして旅行会社へ頭を下げて待ってもらうように連絡。連日、コンビニ弁当さ」


 弓削は自嘲気味にいった。


「翌日、昼前に書き換えたパスポートをもらったけれど、遅れてゴメンとかの言葉はなかったな。ただ突き出されたパスポートを受け取って、コピーを取って旅行会社へメールした。夜は……家族会議をするから外泊するとメールがあった。翌日、俺は一人で起き、一人で朝食と昼の弁当を作って仕事に出た。夜は……何だったか覚えていないな。でも、彼女は自室に引きこもって、話も何もなかった事だけ覚えてる。で、翌日だ」


 大きな溜息が混じった。


「壁一枚向こうに、他人が寝てると思ったら、心も体も安まらないから旅行まで実家へ帰る、とメールが来た」


「有り得ないでしょう!」


 陽大の声量は、もう怒声になっていた。


「共同生活になってないじゃないですか」


「なってなかった。流石にキツくて、互いの両親を巻き込んで大騒動になった。その時、いわれた。旅行は、友達と行く方が楽しいに決まってる」


 どういう話し合いになったのか、もう想像が付かなかった。


「結局、行ったんですか? 旅行に」


 そこで孝介が口を挟んだ。


「行ったよ。彼女の好きな国へ、彼女のいうがままに」


 それも、よく行ったものだと、3人共が思うのだが、弓削はそれについても「それが愛し方だと思ったんだ」としかいわなかった。


「精神安定剤が必要な旅行は、後にも先にも、あれが初めてだった。で、当然、大ゲンカだ。夜中、睡眠導入剤を飲んでいる俺を、彼女は部屋から叩き出した。洞窟を改装してホテルにしている、雰囲気もいいし、暴漢も完全で部屋の中なら半袖で過ごすのが丁度いいくらいの。いい所だったんだが、部屋から一歩でも出れば氷点下の世界だ。そんな中、俺は半袖のパジャマで、睡眠薬を飲んだ状態で4時間、待った」


「死にますよ!」


 いよいよ孝介も声を大きくしてしまった。弓削の《方》が障壁だとしても、体温の保護には使えないし、そもそも昏倒してしまえば《方》など使えない。


「死ななくて良かった。そんな旅行から帰ってきてから別居。彼女の方が心療内科へ通い始めた」


「そこまで図太いことができたのに?」


「繊細だから図太いという事もあるんじゃないか?」


 陽大へ詳しくないけれど、と告げた後、弓削はギッとメタルラックを軋ませて座り直した。


「そこから半年くらいかな。途中に俺の誕生日があったが何もなかった。クリスマスもあったが何もなかった。正月に、俺には兎も角、両親には年賀状の一枚もあるかと思ったがなかった。バレンタインも、カードもなかった。その間、治療の進捗なんかも聞こえてこない。友達とイベントに行ったりはしていたらしい、というのは、あちらの両親に聞いた時に教えてくれた」


「それ、もうダメですよ」


 孝介も呆れた声になっていた。我慢しすぎて、怒らなければならない時に怒っていない。


「ダメだった。流石にいったよ。でも帰ってきたのは、10年の付き合いがある友達と、3年しか付き合いのないアンタじゃ、付き合い方が違うのは当然、だそうだ。新婚旅行の準備も録にできないようなアンタじゃね、と」


 それが決定的になった。


「異国の空の下、嫌になる事ばかり、食事も遭わず、店員だって当然、日本みたいに親切じゃない。何もかもが限界だった俺を、そこまで突き放せるのかというと、彼女はもう一つ、言葉をくれたよ。それが海外だ、とね」


「……だから離婚したんですか?」


「離婚した。共同生活が成立しない事、将来の展望が全く見えない事……流石にね。で、俺も流石に堪える気がなくなってね。いったんだ」


 それは氷点下での4時間の事。


「当然、死んでてもおかしくない事だった。俺がモシ死んでいたら、君は俺の両親にこういうのか? 惜しかったですね。でも、それが海外なんですって」


「どういう反応が?」


 孝介も、もう想像すらできなかった。フィクションだけだと思っていた事を、かなりの割合で経験してしまった弓削なのだ。元嫁が素直に謝ったとは思えない。だが何といったのかも分からない。


「言葉尻を捉えるな」


「はあ!?」


 陽大が大声を出す。


「俺が離婚した経緯は、ここまで。ベクターさんも、似たような女に引っかかってたらしいじゃないか。でも、ここまで行かなかったのは幸いだ。幸いだから、彼は俺より強い」


 そうはいうが、こんな所まで似ている事も、弓削が矢矯に反感を抱いてしまう理由だ。自分はここまで行かされたのに、何故、お前は行かなかったのか――そう思ってしまう。不幸自慢は嫌いだが、どうしようもない気性というものだ。


「だから、さっきの弦葉くんの事だ。元嫁様は、俺にはいえた言葉を、俺の両親にはいえなかった。それは人として不適切だったからだ。それとは違うと思うかも知れないけれど、俺にぶつけられない口調は、人にぶつけちゃダメだ」


 ケンカせず、孝介は自分ができる事を探し、また陽大は先輩として差配する――その役割分担を弓削田望んでいる。


「そういう思考する事が、最終的に色々な所で役に立つ。この前、俺がいった《方》もそうだ」


 ゼロと零の違い――それを改めて言及すると、二人とも顔つきが変わった。


「さて、俺はちょっと違う仕事をしなきゃならないかも知れないから、外れる。何かあったら、内竹さんに連絡して」


 メタルラックから腰を上げ、弓削はスタスタと出入り口に向かった。


「はい」


「はい」


 孝介と陽大の返事に、弓削は背を向けたまま手を上げた。


 倉庫を出て愛車へと乗り込んだ弓削は、そこで携帯電話を取り上げた。


「安土さん? 話、ちゃんと聞かせてもらえますか?」

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