第12話「母と娘」

 身体を使った攻撃は下品で、それを行使する百識は劣等というのが六家りっけ二十三派にじゅうさんぱの常識だったはずだ。


 大火力を備えて広範囲に死を拡散させる攻撃力、それを防ぎきる防御力を持つ《導》こそが百識ひゃくしきの誇りであり、《導》を持たない下等な百識がせめてもの抵抗として振るうもの――それが今、眼前で崩れ去った。


鬼神きじん招来しょうらい!」


 当主争いの最前線に留まっていた女たちであるから、姉妹二人が一瞬で平らげられた現実を見ても、狼狽える時間は極々、短い。


 鬼神が出現するまでタイムラグがあるが、その隙を突かれるのならば運が悪かった、実力がなかったのだと腹を括った。


 かいを劣等を切り捨てるのだから、成る程、姉妹の鬼神は攻撃的な異形を備えている。


「狙え!」


 そう指示された鬼神は、当主へ向けて巨大な右腕を構えた。その腕は宛ら大砲で、左右のバランスが悪く見えてしまうのだが、クモのような八本の足が安定させている。


 開口部に光が宿り、そこから攻撃が――、


「4メートル以内の間合いでは、そういった砲撃は無用の長物」


 当主へ向けて炸裂する前に、当主の拳が娘の命を破砕した。腕を伸ばした時、照星、照門、目が一直線に並ぶ――照準が完了するような訓練を受けているならば兎も角、構えてから狙わなければならないのならば、至近距離で格闘戦のスピードには追いつけない。


「守れ!」


 もう一人の娘は、死に様を晒した姉妹の姿に対応したつもりだった。命じた鬼神は、高い天井に届く程の巨体を誇り、屈めば人一人を完全に覆い隠せてしまう程であった。


 だが当主は嘲笑だけを顔に浮かべる。


「守れといわれても、鬼神の動きは自分で身に着けたものしかできません」


 接近戦の事など何も学んでこなかったんだろう、と振るった当主の拳は鬼神が振り向くよりも圧倒的に速い。


 悲鳴は精々、息を呑むくらいのものでしかなかった。それ程までに当主の攻撃は圧倒的で、拳を振るうという攻撃方法も相まって原始的な恐怖を呼び起こしてくる。



 



 会の姉妹は、これに対する恐怖への耐性が全くなかったのだ。


 接近戦は技量の劣った百識が、最後の最後、縋り付く程度の力でしかないという認識だった。


 今、人工島の舞台でも、矢矯やはぎ弓削ゆげが六家二十三派に連なる百識を倒した例があるため、時折、自分でも再現してやると息を捲く者が現れては、《導》の圧倒的な火力に飲み込まれているのが現実だ。


 今、攻撃する事なく斃された大砲を備えた鬼神も、防御態勢に入らせてもらえなかった鬼神も、そういった者を相手にするならば、同じように叩き潰し、凄惨な舞台にできた事だろう。


「できませんね、全く」


 当主が静止したというのに、当主の娘たちは鬼神をはべらせたまま、ただ怯えた顔をしていた。


「参りました……」


 それは文字通り、絞り出した声。そもそも当主に挑んで勝てると確信していた訳ではなかった。部屋を覗いていたのは、身の程知らずの会が、どんな死に様を晒す事になるのか、それとも無様な命乞いをするのか、それが見たいという願望からだ。


「参りました? 参りました?」


 二度、娘の言葉を繰り返した当主は、何をいわれているのか分からないという顔だった。


「当主争いとは、それで止めてしまえる戦いでしたか?」


 百識の中で、最も古い家系である六家二十三派は、「特別」を矜恃きょうじとしている。


「少なくとも、私は止めません」



 ダメならば止める――それは矜恃とはいわない。



 何よりも……、


「人工島の舞台、会が切り抜けてきた舞台は、降伏を申し出ても、相手が受け入れなければ続行ですからね」


 姉妹が劣等だと見下し、切り捨ててきた会ですら、降参の二文字で終わる戦いなど甘いと断じられる場所に身を置いていたのだ。


 絶望はじわりじわりと広がったに過ぎなかったにも関わらず、また部屋の床に伏す者がいた。


「ッ!」


 そこで始めて会は動いた。


 ――私を劣等とは思っていない! だから後回しに……一対一で戦える状況を作る事を優先している!


 それが正解であるかどうかは定かではないが、会は姉妹を無視して廊下へ飛び出す選択をした。部屋よりも廊下が高さのある分、逃げやすい。


「正解です」


 部屋から逃げ出した会へ、当主はフッと笑みを向けた。


 しかし会が部屋から出て行った後は、笑みは消える。


「さぁ、続けましょう。逃げるのならば頑張って。戦うのならば、死ぬ気で」


 これが母と娘の会話といえるだろうか?





 逃げ出し会は、何秒かの内に思考を纏めていく。


 厳密な感知の《方》を操れるのだから、この状況を推察するに十分な情報を集められる。



 ――結界の《導》!



 感じ取った情報を繋げ、出した結論はそれだ。


 そして当主が自らいった「もう使っています」という言葉。



「この屋敷を、鬼神に飲み込ませた……」



 鬼神を纏うという使い方に思い至ったのは、当主も同じだったのだ。


 いや、当主は更に上を行き、戦いの場全てを鬼神の体内に収めてしまった。


「その通り」


 当主の声がした。


 ――どこから!?


 会の感知でも分からなかった。


 それは当然の事。


「戦場全てを鬼神の中に入れてしまう。鬼神は結界の《導》に近い。結界の中は、あらゆる法則から解放され、自分に有利な空間と化す」


 姉妹が鬼神を呼び出すのにタイムラグが生じていたのは、それが原因だ。


「戦う環境を鬼神によって作り出し、当主は自らの武力によって敵を排除する」


 今、会に向けられている当主の声も、鬼神の腹の中だからこそ出所を探らせない。


「会、あなたが目指した《導》は正解でした。多くの子を作りましたが、貴方だけが私の向かった先へ来てくれた……」



 感無量とでもいいたいのか、当主の声を震わせている感情は歓喜だ。



 歓喜だが、同時に暗い落胆の音もある。


「もし、日を改めるといってくれていれば、会もいずれ気付いた事でしょう。もしも気付いた後ならば、若い会の勝ちだったでしょう」


 その時ならば、鬼家きけ月派つきはを譲る事に――自身が落命してしまう事に対してすら、何の躊躇ためらいもなかった。


「だけど残念です。私の《導》を見てしまった。私の《導》を見てしまった百識は、例外なく殺します」


 下品と見下される戦いをする当主の事など、外部に知られてはまずい。


 何よりも知らないからこそ、この攻撃は脅威となる。


「ふん」


 会が鼻先で笑った。


 強がりや負け惜しみではない。


「なら、同じ接近戦が頼みって事でしょ。私は、それを身に着けてきた。お母様は、誰から? 私は六家二十三派を平らげてきた人たちから」


 会が身に着けてきた技術群、知識群は、付け焼き刃では決してないのだ。


 弓削は聡子を守る団体戦でも、ルゥウシェや上野こうずけアヤを斃したレバインたちとの集団線も切り抜けた猛者なのだから。


「……私の技術は……」


 当主の声は、会を絶望に落とすものだったかも知れない。


山家さんけ本筈派もとはず――」


 知っている単語だ。


 そして……、



本筈もとはず きよしさん」



 知っている名前だ。

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