第8話「仕事ぶりそれぞれ」

 小川が「自分の立場」を改めて考える事はない。世話人は副業であるから、こう言った他薦だけを時々、扱っているだけであるし、括弧書きで「犯罪者」と表記できる人間を舞台に上げる事には、良心の呵責を覚える事がないからだ。


 世話人を本業にして大金を稼ぐ気はなく、本業で足りない分を補う程度で十分と考えている。


 しかし「足りない分」とは、金銭ではない。


 本業は、南県の高校を卒業後、すぐに就職した中堅所のサラリーマンだった。独身の四十前であるから、一人で生きていくだけならば十分な収入がある。



 この「足りない分」とは、小川が唯一、忠実である「欲望」だ。



 殊更、いい車が欲しい、旨いものが食べたいと言う訳ではないが、「良心」を満足させる事が、小川にとって何より優先すべきものだった。


 だから不当に生存している犯罪者を嫌う。


 ――少年法をなくしたんだから、次は加害者家族への制裁を創設すべき。


 そう考える小川にとって、陽大のような境遇の者を舞台へ引っ張っていける世話人という仕事は、副業程度に納めるならば丁度良かった。


 良心の呵責は、ないどころか寧ろ満足させてくれる。


 ――人を殺した犯罪者が、平穏に暮らしていいはずがないだろ。しかも執行猶予? 無罪放免じゃないか。


 小川にとって、陽大はそう言う存在だ。死刑にならないならば、一生かけて賠償金を払い続けさせる事が贖罪に繋がるはずだが、それとて遺族にとってベストではない。



 命は命でしか償えないのならば、命で償わせるため舞台に上げる。



 ――終わりのある贖罪なんて存在しない。賠償金を支払ったから、刑に服したから終わり、赦されたなんて思う加害者には、命で支払わせる。


 陽大を舞台へ上げる事を求めた遺族を、小川はこう考えている。


 ――拭いきれない憎しみを抱えながら、加害者を観察したいんだ。命を奪われた息子に成り代わって。観察したいんだ。


 納得できる話だ。


 そうは言っても、陽大を逃した事は耐え難い状況を作り出してしまっている。



 ほぼ毎日、小川は遺族たちと会わなければならなくなった。



 日程が決定したのかどうか、陽大を舞台へ上げる経過はどうなっているか等々、遺族側が聞きたい事は山程、ある。サラリーマンと二足のわらじを履いている小川であるから、本業と副業を両立させるのは簡単な事ではない。数日の事であるのに、痩せた。


 様々な進捗の報告は、いつも決まって一言二言しか言わせてもらえない。


 メインは愚痴を聞く事だ。


 ――殺すつもりはなかったなんて言い訳や、お為ごかしの謝罪なんて、耳に入れる必要も感じないし、事実、耳に入ってこなかった。


 今日は法廷での事だった。


 ――本人や弁護士の、ありきたりな言葉ばかり、関係ない話にしか聞こえない。聞く必要ないんです。


 ――本当なら、私たちが今すぐ殺したい。同じ痛みを与えてやりたい。更生できない奴は、この世に出てこないようにするべき。


 ――あいつが今後、幸せになるのは、絶対に赦さない。


 どれも当たり前の感情かも知れないが、悪感情と共に吐き出せされる言葉は、そろそろ小川も苦痛に感じてしまう。本来ならば陽大へぶつけたい悪感情なのだから、これでもかと憎悪が込められている。


 本来、味方であるはずの小川に対しても容赦がなかった。それも、もし陽大の事情を知っている弓削が聞けば、同じくらいに怒り狂っていたであろう言葉であるから、小川も耐え難い。


 そろそろ気持ちを切り替えたい、と小川が思った時だった。



 IMクライアントにメッセージが届いた着信音が響いた。



 それは調整された日程を知らせるものだった。





「一週間です」


 仕事が一段落して自宅兼事務所に戻ってきた弓削に対し、待っていた安土が告げた。



 陽大が舞台に上げられる期限だ。



 倉庫整理のため陽大は席を外していたが、陽大の事を考えれば、このタイミングがベストだった。


「もう少し先に調整させようとしていたんですけど、ここが限界でした」


 コーヒーを出してくれた神名に礼を言いながら、安土は小難しい表情を作って見せた。一日に何人も上げる訳にはいかない舞台であるから、調整が必要となる。そこへコネを使って介入し、できるだけ陽大を弓削が鍛える時間を作りたかった――と思わせるためだ。現実には、ルーキーの陽大がいつ舞台に上がるかは、さほどの問題にはされない。希望よりも都合が優先される。


「一週間……」


 弓削のコーヒーを用意しながら、神名は独り言ちた。これが長いか短いかは、考えてもすぐに答えが出てこない。上がらずに済むならば上がらない方が良いが、どんな事をしても上げるのが舞台の主催者だ。しかし、いずれ上がるのならば、さっさと済ませてしまう方が良いとも言えない。


 一週間で、どれだけの事を陽大が身に着けられるか――、


「最低限の事は身に着けられます」


 弓削は悲観的な事は言わない。



 この場合の最低限とは、「勝つために必要な事」である、と弓削は言外に告げている。



「弓削さんが教えれば間違いないというのは、私も分かっています」


 コーヒーに口を付けながら、安土が弓削と神名とへ視線を行き来させた。神名が麻痺の残る身体で、そうと感じさせない動きが出来ているのは、弓削が障壁の形を変化させて身体を動かす《方》を教えたからだ。


「内竹さんくらいまでは、流石に無理だと思いますよ」


 弓削が苦笑いするが、神名が特別だと言う気はない。


「内竹さんは、年季が違う」


 弓削は《方》とは年季しかないと思っている。確かに陽大には適性があるが、それを理由に一週間で神名に追いつけるとは考えられない。


「それでも、勝てるだけのものを与えてくれると確信していますよ」


 クッとカップに残っていたコーヒーを飲み干すと、安土は立ち上がった。友達と言えるような関係ではないのだから、長居できる所ではない。


「当日、また来ます」


 一礼して今を出て行く安土を、神名は慌てて追いかけた。


「あまり、お構いもできませんでした」


 社交辞令を口にする神名に、安土は「いいえ」と笑みを見せ、


「弦葉君を預けたのは、正解でした」


 何を理由にしているかは言わないが、神名の存在が大きいと安土は思っていた。《方》の種類が弓削と同じであったから弓削に任せたが、アプローチの方向が同じ矢矯に任せていたらどうだったかと考えれば、決して上手くいかなかったような気がしている。矢矯ならば、念動と障壁という《方》の違いがあっても、それを修正する手段くらいは思いついたであろうから、《方》ばかりが失敗の原因ではない。



 陽大を気遣ってくれる神名の存在が、成功すると確信できる理由だ。



 奇しくも矢矯が言った「女は、ある条件がついた場合、何をしても許される風がある」という言葉の「ある条件」を陽大は満たしている。


 守られて然るべきだったはずの陽大であるのに、制度の不備によって、そこから漏れてしまった。


 神名がこうしているのも、制度の不備によるものだ。


 ならば神名が陽大に対して抱く想いは、弟や家族へ向ける感情に近いはずだ。



 故に陽大は生還する。



「はい?」


 神名は安土が何を言っているのか分からないと言う風に目を瞬かせるが、安土は


「いいえ、独り言です」と、はにかみながら玄関のドアに手を掛けた。


「忙しくなるでしょう? 玄関先までで結構ですよ」


「はい」


 安土と神名は互いに一礼し、別れた。


 外へ出ると、丁度、陽大も帰ってきたところだった。移動用に借りている弓削の自転車を、カーポートに隣接された自転車置き場に入れる所だった。


「あ、こんにちは」


 汗の浮いた額を拭い、陽大がお辞儀した。


「こんにちは」


 その姿に、良い傾向だと安土も感じ取った。



 舞台で自分を積極的に殺そうとする相手の前に立たなければならないと言うのに、それに対して絶望していない。



 一度、絶望の淵に落ち込んでしまった――突き落とされた経験のある陽大であるから、そう言う精神状態になれる事は奇跡に等しい。


 ――いえ、地獄に仏を見つけられたから、かも?


 これも一種の吊り橋効果か、とも思うが、弓削と神名との間に陽大が信頼関係を築けている証なのだから、経緯や経過は問う必要がない。


「弓削さんから、ちゃんと教わって下さい」


 愛車に乗り込みながら言った安土に対し、陽大は「はい」と短く答えた。

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