第9話「陽大が持つ才能」

 残り一週間となれば、完成させられる選択肢は減っていく。


「多くの場合、百識は偏重主義へんちょうしゅぎなんだ」


 リビングにある60インチ超のテレビにプレーヤーをセットしながら、弓削は陽大へ言葉を向けていた。


「大抵、《方》を何より重要視する。武器との連携よりも、どれだけ派手で攻撃力の高い《導》を身に着け、使用するかに血道を上げている」


 嘲笑混じりに言う弓削ゆげであるが、陽大あきひろは「はぁ」と生返事しか出来なかった。陽大も百識であるから、《導》の存在は知っている。自分が操れる《方》とは違い、具体的な事象として現れるものであり、その威力は現実の炎や雷と遜色ない――あるいは超越した威力を誇ると言う事も同様だ。


 しかし弓削の話を聞いていると、まるで《導》など意味がないように言っているのだから、内容が頭に入ってこない。


「弦葉くんの場合だと、相手は《導》の使える相手が来るでしょうね」


 メディアを持ってきた神名も、「だけど心配ない」と言った。


 神名が持ってきたメディアを選別しながら、弓削は「うん」と頷いた。


「何においても、攻撃というのは、二つの要素が必要だ。一つは相手をたおせる威力を備える事。もう一つは命中させる事。二つ目を大抵の百識は見落とす」


 ルゥウシェがそうであったように、《導》は回避し辛いよう大規模なものになるのは、その二つを兼ね備えさせるためではある。


 それを知って尚、弓削は言う。


「過ぎたるは及ばざるが如し、とも、灯台もと暗しとも言うが、そんなもんだ。気にする程じゃない」


 事実、ルゥウシェもバッシュも、矢矯が回避して見せた。どれ程、大規模と言っても、20メートル四方全てを火の海にする事は「しない」――できてもしない。自分の周囲には安全圏を設けているのだから、そこへ飛び込めさえすれば無力化される。そして、その進入スピードを上げれば、攻防が一体化する。


 そうなれば、強大な火力は、それ程、大きな意味を成さない。矢矯も言っていたが、弓削も同じく「強大な火力や特殊な防御は重要ではない」と言う。


 懐に飛び込めば、ナイフが一本あれば良い。


 いや、ナイフならずとも――、


「これだ」


 弓削が選んだメディアをセットすると、画面に映し出されるのは、空手の入門用DVDだった。


「正拳突き」


 弓削が示したのは、今まで陽大がしてきた事の補筆でしかない。図解入りの本を見せ、部屋で練習させてきた技の動画だ。


「攻撃力という考え方は無視していい。拳を回避されない事、命中させる事は、この中から学べ」


 何度も巻き戻して同じ動作ばかりを見せるのは、障壁を変化させて身体をコントロールするには、この動作を頭の中でイメージし、それを形作らせる事に終始するからだ。


 陽大が《方》の障壁を、どれ程のスピードで変化させられるかは、心配しない。細かなコントロールは無理だが、拳を突き出すだけならば単純な形だ。時速40キロも出せれば、拳の先は角速度で150キロ以上になる事もある。


 問題があるとすれば、コントロール以外の所にある。


「可能な限り、《方》を使って生活しろ。10分でも15分でも、なんとか一勝負できる時間、《方》を発生し続けられるようになれなければ、勝機はなくなる」


 弓削と矢矯やはぎの違いは、ここにある。矢矯の念動は身体の中で発生させた場合、小さな消耗で大きな力を出せるが、弓削や陽大の障壁は消耗を抑える術がない。形を変えて発生させ続けるとなれば、ONとOFFを繰り返すに等しいのだから、単純な半球を維持するよりも消耗は早くなる。


 一勝負――10分から15分の間、発生させ続ける事は、陽大にとって容易い事ではない。


 神名のように寝ている時以外、一日中、使い続けられるようになるのが理想かも知れないが、そこまでは望む必要はない。


「発生させられる時間は、《方》の源になる血液中の微小蛋白質がどれだけあるかで決まる訳じゃない。そこからどれだけの量を変換できるか。それを伸ばす必要がある」


 その方法は、弓削も一つしか知らない。



 使い続ける事――。



 単純な話であるが、果たして一週間でどこまで伸びるかは不明だ。弓削も神名も、期待値すら知らないのだから、計りようがない。


「はい」


 陽大もどれだけ伸びるのかは気になったが、重要な事ではない、と自分を納得させた。


 ――もし大事な事だったら、弓削さんが教えてくれる。


 あまり教え方が上手いとは言えない弓削であるが、重要な事は全て教えた。



 何はなくとも、10分から15分、《方》を維持できて、拳の突き方をマスターすれば、この一回は生き残れる――。



 そう簡単な話ではないかも知れない、とも感じるが、今、自分のできる全ての事をするしか、生き延びる術はない。


「頑張ります」


 もし陽大に才能があるとすれば、信じた相手を信じ切れる事が、最大のものだ。





 頭の中に明確なイメージを描き、それを反映するという作業は終わりがない。弓削がイラスト教室に通っているのもイメージ化のためだ。つまり弓削でも「完成した」とは言えない。


 ただ一つ、拳の突き方ひとつを身に着けただけで一勝負できる、と弓削が断言する理由は、ここにも一つある。


「大抵の《導》に偏重している百識は、昔から自分の家に伝わるものを墨守し、一日千秋の如く変えない。規模の大小、現象の差異はあったとしてもな」


 陽大のジョギングに付き合いながら、弓削は軽く説明をしていた。


「は、はい……」


 返事をする陽大の声に余裕はなかった。《方》を使った方が楽という段階ではない。休み休み、フォームを確認しながら突きの練習をしていた時とは、あまりにも負荷が違いすぎた。


「接近戦が得意な百識も……いるにはいます」


 陽大を挟んで弓削の反対側に立っている神名は、名前を挙げそうになって止めた。



 接近戦が得意な百識と言われ、弓削が思い浮かべるのは矢矯しかいない。



 しかも弓削は、面識があるとは言えない矢矯であるのに、どこか毛嫌いしている風がある事くらいは神名も知っている。


「相手の動作を読み、懐に飛び込めば勝機はある。命中させるために考えられた事は、規模を大きくして逃げ場を奪う程度という連中が多い」


 それを指して、技術の進歩が遅い、と弓削は評した。


 ただ、墨守ぼくしゅしているからと言うだけの理由で雑魚と称するならば、それは乱暴すぎる考え方だ。


「身体を酷使するのは下品、もしくは頭が悪いって考える百識が多いのも事実です」


 その程度で抑えてくれと言うのが神名の正直な気持ちなのだろうが、火に油を注ぐようなものだ。


「物理で殴るだけ、と繰り返して笑うだけだ。判でついたように、皆で同じ事を繰り返して笑う」


 弓削は薄笑いを発したが、そんな表情はすぐに引っ込んだ。


「限界が来た」


 立ち止まった弓削が顔を向ける先には、息が上がってしまっている陽大の姿があった。《方》が途切れてしまった事を、弓削は見ていないようで見ている。


「……すみません……」


 少し休憩すれば回復するのは、肉体的な疲労はかなり抑えられているからだ。


 弓削が時計を見遣る。


 ――5分程度か。


 走った距離は2キロ程度。飲み込みが早いと笑みを浮かべかけてしまう。2000キロメートル走の世界記録でも4分45秒弱。それと同等のタイムが出ているのだから、やはり陽大の適性は高いと言えるのだが、これが到達点であると喜ぶ事は出来ない。


 ――時速25キロ。原付の方がマシか。


 短距離走ならばもっとスピードが出る、とならないのが《方》を使った身体操作だ。全力疾走を続ける事が出来ると言う点がアドバンテージなのだから。だとすれば、的場姉弟の半分もスピードを出せていない状況では、舞台に上げても役に立たない。


「持久力も、最高速、加速と、問題は山積みだな」


 拳の突き方だけでなく、運足法の本や動画も必要になってくるな、と弓削は独り言ちた。


「走れるくらいまで回復したら、再開しましょう」


 神名はナップサックから取り出したスポーツ飲料を、陽大に手渡した。


「ありがとうございます」


 それを一息に飲み干した陽大は、一度、パンッと両頬を叩いて立ち上がった。


「行きましょう。5分弱、保ったんです。10分なら、一週間でなんとかなりそうです」


 悲観的になる暇がないのだから、絶望する暇も、苦悩する暇もない。

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