第10話「陽大、出立」

 果たして、どれだけの事をすれば、悔いを残さずに済むのか――神名かなは、それを考えていた。


 あれを身に着けておけば、こうしておけば、と思わずに済むならば、敗北も受け入れられる精神状態になるかも知れない、と思ったからだ。


 結論は、いつも同じものが出る。


 ――ありえませんか。


 あり得ようはずがない。


 敗北は命を落とす――それも、最悪の手順を踏んでなくすのだから、悔いのない敗北などというものは存在しようがない。


 それでも考えてしまうのは、自分の事ではないからだと言う事情がある。



 神名が考え込んでしまうのは、陽大あきひろの事だ。



 置き換えて考えられないからこそ、有り得ないと言う結論に達しているのに、繰り返し考えてしまう。


 ――タイミリミットが短い。一週間では、あまりにも。


 弓削ゆげはそう言い、陽大へ教える攻撃手段は拳の突き方のみ、あとは《方》の障壁を使った身体操作だけを徹底して反復させている。


 ――そう達観できるものかしら?


 淡々と仕事と訓練を繰り返させる弓削を見て、それだけで大丈夫だ、と座っていられる落ち着きを不思議に感じてしまう。


 ――いざとなれば乱入する?


 それを考えてしまうのだが、それはダメだと神名でも分かる。あまり褒められた勝ち方ではないし、こちらの乱入は、あちらも乱入する口実になる。矢矯はルゥウシェ、バッシュ、美星メイシンのチームを乱入する事で平らげたが、それは三人しかいなかったからだ。


 今回、小川が何人、用意しているか分からない。切り抜けられたとしても、次にこちらのキャパシティを超える人数を乱入させてきたら……と考えると、あまり頭の良い手段とは思えない。


 安土は、矢矯が孝介と仁和のバックにいるならば、そう簡単に勝てないと思わせる事が可能だと判断したが、孝介と仁和は、陽大と比べれば旨味が少ないとも言える。「不当な形で刑罰を逃れた」と見える陽大は、良心の呵責かしゃくなしに死に様を見る相手には最適だ。



 賭けが成立せずとも楽しめる相手となれば、矢矯や弓削のような存在とチームを組んでいたとしても、安全圏に留まれると断言が出来ない。



 低くはあるが、可能性があるとすれば陽大が単独で乗り越えた場合だ、と弓削は考えている。


 単独で勝利すると言う可能性がどれ程か、と考えるのも、答えが出ない。


 ――100%以外、ありえない。


 生還させるだけが成功ではない。



 生存させる事が成功なのだ。



 勝つために「手持ち」を増やす必要があるが、その方法が今ひとつ、神名には思い浮かべられない。


 それに対する弓削の行動は、そう多くなかった。


 ――邪魔はしない。寧ろ有り難い。


 神名のする事に対し、弓削のスタンスはそうだ。


 弓削とて安心して見ていられる状態ではない。一週間で万全になるとは思えないし、事実、不可能だ。出来る事はを提供する事だけだ。それも基本となる動きと攻撃方法を身につける事には繋がるが、身に着けるのは陽大の努力だけだ。


 当然、心配している。


 心配しているが、弓削までも神名のようにあたふたしていたのでは、ギリギリになって慌てている無様さだけが目立ち、陽大とて集中力を欠く事になる。


 神名が自分を心配しているから、陽大は残された時間の全てを訓練に使える。


 弓削が落ち着いているから、陽大は教えられた方法に疑問を挟む必要がない。



 弓削は落ち着き、神名は焦る――この組み合わせが陽大を伸ばしていける。



 逆ならば成立しなかった。


 ――さて。


 悪あがきしているように見られずに済む弓削は、タブレットを前に顔を顰めていた。


「心配事ですか?」


 ティーソーダをれてきた神名が声をかけたが、弓削は顔を上げずに「あァ」と頷き、


「相手が考えてるのは、ただ弦葉つるばくんが殺される事だけじゃないだろう? 深く絶望して、すべなく殺されていく事を期待しているのなら、弦葉くんが万全で戦える状況なんて作らないだろう」


「それは、そうでしょうね」


 神名も心配が増えてしまう、と顔を曇らせた。


「いや――」


 そこで弓削は初めて顔を上げ、神名が持ってきた茶で喉を潤す。


「それを考えるのは、僕の役目だ。何とか調べてみるよ」


 冷静さを保ち、頭を使うのが自分の役目だ、と弓削はもう一度、タブレットに視線を落とした。





虚仮威こけおどしとも言いますが……」


 当日、神名が陽大へ手渡したのは衣装だ。


「これは……?」


 着る前に確認しようと手にした陽大も、流石に苦笑いさせられていた。



 神名が手渡してきたのは、孝介こうすけ仁和になが着た物と同じ「衣装」だったからだ。



「観客ウケと言ってもいいかも知れませんけど、第一は目立つように。第二に、これも《方》によって作られていますから、防御も少しは期待できるという物です」


 矢矯が用意した物と同じだ。


「けど、……これは……」


 それでも陽大が躊躇するのは、やはりデザインだろう。柔道着か空手着のような白い上着はノースリーブで、下に黒い長袖のアンダーウェアを着るようになる。肩当てがあるため、袖が邪魔になるからと言う理由かも知れないが、それが似非えせっぽさを強調して見せてしまっている風が強い。


「肩当ては、鎖骨を守るためです。折られると、腕が上がらなくなりますから」


 大事なんですと説明する神名も、似非格闘家に見えてしまうと思っていた。


「折れた鎖骨が邪魔をして、物理的に動かなくなってしまっては身体操作も不可能になってしまいます」


 致命的な損傷になってしまうと釘を刺す神名が渡す下衣は、ズボンではなく下履したばきと言った方がいいような、黒地の長ズボン。


「デザインには、目を瞑って下さい」


 神名が繰り返すと、陽大の顔は嫌そうな表情から苦笑いに変わっていた。


「あと、足と手に」


 そんな服の下に着けろ、と神名が取り出したものも、やはり似非っぽく見えてしまう。足には蹴りを打つ事と防御とを考えられたレガースだが、やはり脚絆きゃはんと言った方がいいデザインだった。手にめる革で出来た手甲は、暗い臙脂えんじ色。


 それらを全て身に着けると、何とも言えない姿になる。


 似非格闘家と言えば、正にその通りの姿であるが、デザインに関しては言う事はない。


 言う事があるとすれば――、


「馴染みますね」


 肩当てを着けていると腕を上げる時に邪魔になるかと思ったが、突っ張るような感触はない。下履きや脚絆も同様。手甲もアームカバー部分と拳の部分が別々になっており、そちらも動きにぎこちなさはなかった。


「この舞台に向けて作られてます」


 神名の言葉を解釈するならば、この奇抜なデザインは審判権を持つ観客の目を引くための物であり、機能の一つと言う事になるのだろうか。


 陽大からの返事は、ノックと言うにはあまりにも荒々しく叩かれたドアの音に遮られた。



 時間という事だ。



「……生き残って下さい」


 神名の顔からも、明るい雰囲気は消えていた。緊張感が増し、それは勢いをつけて恐怖感へと変化して登ってくる。殺されるかも知れない場所――陽大が殺される事を望む者が囲んでいる舞台に上がり、殺すためにやってくる者を前にするのだ。


 足が竦む。


 ――大丈夫ですか?


 しかし神名の顔に浮かんでいる心配そうな表情が強まれば、陽大は震える足を殴りつけた。


「はい」


 陽大は短い返事をし、もう一度、叩かれたドアを勢いよく開けた。極端に強い力を入れたのは、何かを振り切るためだ。


「……」


 室外で待っていた男は、無言で顎をしゃくった。それで緊張感が高まるが、行けと言う意味だと言う事くらいは分かる。


 顎で指された方向へ、陽大は走り出した。


「……大丈夫ですか?」


 思わず神名は心配を口にしていた。勢いよく走って行ったが、それは逃避であると感じたからだ。無論、場外へは逃げられないが、陽大は現実から逃避するように走ったのは明らかだった。


「……さて……?」


 返事は、部屋の外で待っていた弓削からだった。


「一週間でできるだけの事はできた。できたが……」


 弓削は陽大の背を見ながら、最後の最後で言葉を濁らせた。


 それが意味する所は――?

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