第11話「制限された戦い、活かせない勝機」

 通常、舞台では格上が格下を待つ。それぞれプロレスやボクシングよろしく赤と青に色分けされ、格上は赤、格下は青と区別されている。美星メイシンの様に格上が青を望んだ場合を除けば、大抵、この組み合わせとなる。


 つまり陽大あきひろはステージから見下ろされていた。


「……ッ」


 その異様な空間に圧倒された。振り切るつもりで走ってきたが、その程度の覚悟ならば吹き飛ばしてしまうような光景だった。


 すり鉢状に作られた観客席からの罵声は、陽大の前後左右、そして頭上からも浴びせられている。


 雰囲気に飲まれた。


 経験した事のない悪感情の渦なのだから、飲み込まれるのは一瞬だった。


 決めていたはずの覚悟は消し飛び、判断力が失われる。


「え……?」


 花道を走っていたはずが、いつの間にか歩く程のスピードに落ち、対戦者の姿が見える頃には立ち止まっていた。


 自分がここにいる理由を見失った所で、野次やじが飛ぶ。


「止まるな、走れ!」


 とっとと始めろという声は、陽大の脚を動かした。ただし鈍ってしまった判断力であるから、ただ流されたに過ぎない。


 ――いけない!


 陽大の姿を見た神名に危機感が襲いかかった。


 弓削ゆげが言葉を濁した理由が、これだった。



 こう言う時の行動は、経験によって克服するか、生まれ持ったものによって決まる。



 ――予想通り……。


 横目で見ながら、弓削も苦々しい顔をしていた。


 これだけは教える事が出来ない。経験なのだから、文字通り自らがその場に入るしかない。



 そして陽大の資質は――この場に合っていない。



 ステージに上がる。


 しかし、それは「上がらされた」と言うべき状態であり、ステージに上がってしまえば開始の合図がなくとも殺し合いが始まる事を認識していない。


「逃げて下さい!」


 神名かなが思わず叫んでしまったが、その声を受け取る陽大は「留守」だ。


「!?」


 正気に戻したのは、突然、眼前に迫った拳と、それが発生させる衝撃だった。


 顔面を激痛が襲うが、しかし激痛の原因が拳であると認識するまで時間がかかった。


 それどころか、顔面を殴られ、その場に叩き伏せられたと言うのに、その現実を認識するまで、もっと時間がかかる。


 当然、この舞台ではダウン中の追撃は反則にならない。


 足で振り上げられ、仰向けに倒れた陽大の胸に向かって、踏み付けるように振り下ろされる。


「逃げて下さい!」


 もう一度、起こった神名の悲鳴は、今度こそ陽大に届いた。


「!?」


 陽大は悲鳴をあげる余裕もなく、イモムシにでもなったかのように転がって逃れた。胸を踏み付けられていれば終わっていただろう。逃げる術がなくなり、胸骨へジワジワと体重をかけられて折られていたはずだ。


 ――幸運だった!


 転がりつつ間合いから逃れた陽大は、殴られた痛みを噛み殺すと同時に、幸運の味を感じていた。


 もし棒立ちだった陽大に浴びせかけられたのが拳ではなく、瞬殺するタイプの《導》であったならば、神名の声を聞く事など出来なかった。


 それが激痛で済んだのだから、これが幸運でなくて何だと言うのか。


 ただし当然、無傷ではないが。


 ――いや、目が開きにくい……。


 激痛を感じる左目が開けにくかった。眼窩を骨折させられたかも知れない。


 ――大丈夫だ。左目だ!


 陽大は手も目も右利きだ。


 ――幸運だ! 幸運だ!


 何度も繰り返す陽大だが、考えてみれば当然の事で、小川とすれば遺族に見せたいのは、瞬殺されてしまう陽大の姿ではない。


 見るも無惨な姿になり、命乞いのちごいするか、それとも殺してくれと懇願こんがんするか、そこまで追い詰められた後の死が見たいのだ。


「……」


 そうそう大きな《導》は来ないと決めつけて、呼吸が整うのを待つ。障壁を使って身体を操作しているのだから、疲労の回復は早い。


 事実、炎や稲妻は来なかった。


 身体能力の強化だけに留め、拳と蹴りが振るわれるだけだ。


「ッ」


 陽大は歯を食いしばり、思わず瞑ってしまいそうになる目を必死に見開いて動きを見る。


 ――内側へ入って、外側へ押し出す!


 動画と図解で何度も見たイメージを頭の中で展開させる。「脇が甘い」と言われるのは、要するに脇から肘が外れた状態の事を言う。身体の内側に滑り込み、突き出された手足を外側へと押し出せば体勢を崩す事ができる。


 ただ体勢を崩したからと言って、そのまま攻撃には転じられなかった。


 ――立ち位置を維持する!


 相手が体勢を整える間と、陽大が拳を打つ間を比べ、明らかに陽大の方が素早い時しか攻撃はできない。組み敷かれてしまえば、それを振り解く技術を知らないのだから、自分の間合いを堅守する事が絶対だ。


 しかし、それとて命がけだ。


 ――スポーツでは、よく敗因に自分たちの動きができなかったと言うが、有り得ない言い訳だと思うんだ。


 弓削の言葉を脳裏で反芻する。


 ――相手の間合いを潰し、自分の間合いを活かすのが基本だ。自分の動きなんてできないと思え。


 自分の動きなど、できなくて当然だ。互いに互いを阻止しようと動いている。それを敗因とするならば、負けるべくして負けている事になる。


 ――野球で言えば、ホームランを打たれたから負けましたと言っているに等しい。ネットにあるアマチュア未満の政治評論家か経済評論家の論評と同じだ。


 弓削の嘲笑には陥ってはならない場所を示している。


 距離を保ち、決定的な瞬間を待つ――それとて精神をすり減らしていくが踏ん張るしかない。身体の疲労は殆どないにしろ、精神的な疲労によって緊張感が切れればお終いだ。


 それでも緊張感が限界に達せれば、容易に逃避してしまいそうになる。


 ――万全……! 万全……!


 弓削の言葉を繰り返すのは、縋り付きたい感情が陽大の中に芽生えている事に他ならず、それは精神的な消耗が激しくなっている事を示している。


 その消耗が進んだ時も、弓削の懸案事項だった。


 ――弦葉つるばくんは、人を殴れない。それだけ戦闘に消極的なたちなんだ。その原因は、ネガティブ思考にある。



 陽大は、自分だけが消耗している訳ではない、と考えられなかった。



 使える手段が制限されると言う事も精神的な消耗を強いられるのだから、相手も陽大と同様に精神を削り取られている。その上で、障壁を利用して身体を操作している陽大に比べ、強化した身体にかかる反動からくる疲労は凄まじいと言っていい。空振りさせられているとなれば、疲弊はより強くなる。


 こちらも相手も辛い事に変わりはない――そう考えられないネガティブ思考だ。



 自分の方が追い詰められていると思ってしまっている。



「焦らないで!」


 神名の叫びは、陽大の耳には届いたかも知れないが、に届かなかった。


 焦った結果、陽大は飛びついた。



 賭け――だ。



 自分が少しでも体勢を保てていて、相手の体勢が少しでも崩れていれば、攻撃に転じる気になってしまっていた。


 一か八かと言えば聞こえはいいが、その実、行動が意味する所は賭けであるし、賭けに走る理由は、一刻も早く舞台から降りたい衝動――つまり逃避だ。


 勝機を見つけて、そこに賭けるのではない。


 勝機だと信じる自分の山勘やまかんに賭ける事になる。


 それに対し、神名は「焦らないで」と言ったが、性根に入っていないならば意味はなく、自分が滑り込む隙間を探す事に必死になっている陽大では、心配している神名の姿すら見えていない。


 そして拳を、蹴りを掻い潜り、自分が入り込む隙間を見つければ、声も聞こえず姿も見えない神名の事など頭の片隅にも残っていない。


 ――ここしかない!


 賭けに出た。


 弓削から教わった《方》と、与えられた知識を総動員し、拳を突き出す。今、自分が出せる速度が如何ほどかは、陽大自身も把握していないが、角速度が加わった拳は時速200キロを超えるスピードになっているはずだ。


 狙いを付ける余裕はなく、必然的に必要のない場所、つまり胸に向かって突き出す事になる。


 賭けの結果は――?

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