第12話「最高・最大の援護」
身体の中心が最も動かない。そう言う意味では、的が大きく、身体の中心にある胸を狙うのは間違いではない。
事実、陽大の拳は敵の胸を打った。
――当たった!
命中から一瞬だけ遅れて陽大は命中した事を知った。障壁を展開して身体操作する《方》は、反動を身体に伝えないと言う利点もあるが、欠点としては感触を使えづらくなる。
文字通り敵を吹き飛ばした拳は、陽大自身も目を見張らされる。それだけの衝撃を出せるとは思っていなかった。
――勝った!
倒れた相手を見て、陽大はそう思った。
周囲に溢れているブーイングが、より強くそう思わされる。観客が望んでいるシナリオは、陽大がこの場で死ぬ事だ。
ブーイングの意味は、皆が望まない結末を迎えた証ではないか、と陽大は感じていた。
――勝った、勝った!
拳を降ろす陽大であるが、しかし現実には、ブーイングは陽大の勝利に対して向けられているのではない。
男の無様さに対するものだ。
「痛ッてェなァ……」
陽大が吹き飛ばした男が身体を起こす。殴られた胸を撫でると、それだけで激痛が走った。胸骨が折れているか、少なくともひびが入っているだろう。《方》で身体強化していてもダメージを受けたのだから、陽大を殺すのが容易い仕事ではなかった事を知らしめている。
――こいつを、なぶり殺しに?
さて、どうするかと考える。
――ここは、《導》を使って瞬殺する事に切り替えるべきか?
そう考えながら立ち上がり、陽大の方を見遣る。陽大はと言うと、身体を覆っていた障壁も解き、腕を下ろしている。
――いや、なぶり殺しだ!
ギッと歯を鳴らし、拳を握る。
「え?」
それに対し、陽大は目を瞬かせただけだった。
「追撃して下さい!」
神名の悲鳴が聞こえた。
「追撃? え?」
何を言っているんだと顔を向ける陽大であったが、ここでも弓削が心配していた点が顔を出していた。
陽大は、相手が「参った」と言うまで、殴り続ける事ができないのだ。
勝利宣言を聞くまでは、舞台は続いている。
相手が降参し、それを観客が認めた時は決着だが、殴り飛ばしただけで認められる決着はない。
――もう遅い!
地面を蹴り、男が迫った。
「決着がついてないんです! 構えて!」
「!?」
目を白黒させながらでも、陽大が神名の叫びに反応できたのは不幸中の幸いだった。
とは言え、身体に《方》を巡らせられても、その障壁を利用して回避する事はできなかった。
「ッ!」
もう一度、受け流そうと試みはしたが、間に合わなかった。
腹に受けた拳から、視界が歪む程の激痛が突き抜けてくる。
胃を打たれた痛みであるが、どこを打たれたのか陽大には分からなかった。
ただ、頭を殴られた訳ではないため、意識だけはしっかりしていて、それ故に激痛は絶対だった。
身体がくの字に折れ曲がるのだけは阻止できたが、それは無意識下に行われる反射的な筋肉の収縮が原因でも、障壁が身体を支えてくれたお陰に過ぎない。
ただ一度の激痛であるのに、陽大の脳はその大部分を支配され、判断力が低下してしまう。体勢が損なわれていないのだから反撃する事も不可能ではないのだが、痛みに対する耐性がまるでない陽大では戦う「足」を残せていない。
ローキックが陽大の足を捉える。
――逃げろ! 避けろ!
そう思うが、思うばかりで逃げる方向すら浮かばない。そして反動は無にできる障壁も、外部からの攻撃に関しては無力だ。
陽大が胸中で繰り返す叫びとは裏腹に、足と腹を打たれ続ける。
「よっしゃー!」
何とも下品な声で歓声が上がる。フラストレーションを溜め込んでいた小川の依頼人だ。足は回避にも攻撃にも関わる部位であるし、腹は呼吸を阻害する。行動力を確実に奪う攻撃であり、明白になぶり殺しである事を示す攻撃でもある。
陽大の無様な死を願う者にとっては、やっとエンジンがかかったというところか。
――ああ……。
心配が最悪な形で眼前に現れた、と神名は顔色をなくしていた。
陽大は降参するまで相手を殴り続けられる人間でも、相手のスタートを待たずに攻撃を開始できる人間でもなかった。
胸骨を折った一撃が決まった時、即座に追撃できていれば陽大の勝利だったが、それができないかも知れない、と考えていたからこそ、弓削は「できたが……」と言葉を濁していたのだ。
――身体へのダメージは兎も角、思考力が弱まったらお終い……!
神名は拳を握り、唇を噛んでいた。身体のダメージは、身体操作しているのだから大きな問題にはならない。しかし痛みで消耗していけば、いずれ思考力が弱まっていく。そうなってしまえば、《方》で障壁を発生させて身体操作するなど
しかし、この乱打から逃れる術は、知識として持っていたとしても、実行するには何より経験が必要とされる。
「最大の好機が最後の好機だったな!」
嘲笑と共に、男は大きく踏み込み、足を振り上げた。
――空振り!
判断力が衰えた陽大は、安易な方向へ飛びついてしまった。
空振りではない。
警戒心をなくし、間合いへ飛び込んでくる陽大の脳天を狙ったかかと落としだ。
「ッ!?」
文字通り頭が割れるような衝撃が頭上から――いや、意識の外から襲いかかってきた。自分が何故、攻撃を受けたのかも陽大は分からなかったはずだ。
しかし顎先を鋭く打ち抜いて脳震盪を起こさせた場合を除けば、頭部への打撃でも意識はそうそう失われない。
それでも意識が朦朧としてしまうのは、脳挫傷を起こしたと言う事だ。
「――」
神名も言葉を失っていた。額に浮かんでいた脂汗に、流れ落ちてくる冷や汗が混ざり、不愉快な粘り気を帯びていく。
立てと叫んでも、届くとは思えなくなっていた。身体強化された打撃だ。陽大の障壁は防御手段にならない。
ダウン中の追撃も反則ではないが、男は追撃しなかった。
両手を広げ、観客に――特に小川と、その依頼者にアピールする。陽大はもう降参という言葉も口にできない。口にしたところで観客が認めるとも思えないが、それにしても自分で行動できなくなったと言う事は大きい。
ここから先は死ぬまで攻撃を受け続けるだけだ、と言うアピールは、兎に角、観客たちを沸かせた。
――ヤバい……。
陽大はぼんやりとした頭のままでも、今、自分が置かれている状況は分かった。
――腕は……動かせない。足は……足もか。
小指の先1センチすら動かせない。
抵抗しなければと思うが、「抵抗しなければ」という言葉ばかりがグルグルと頭の中で旋回するだけで、策も手段も思い浮かばない。
辛うじて動かせる目だけを動かしたのも、何をしていいか分からない抵抗の一つだった。
しかし奇跡の一つだったかも知れない。
――え……?
観客席の一角で、陽大の視線は止まった。
遠のく意識の中だが、ハッとさせられる顔があった。
――あれは……。
忘れもしない。
――お母さん、お父さん……?
両親の姿だ!
偶然ではない。こんな舞台を観戦に来る趣味もないし、入場する資格もあるまい。
小川と小川の依頼人たちが呼び出し、拘束したに決まっている。陽大に殺された息子たちと同じ目に遭わせてやる、それを見せつけてやる、と考えたからだ。
陽大の両親は両手を合わせ、震えを必死に堪えながら、まるで祈るような姿だった。被害者遺族にとっては溜飲が下がる姿勢だっただろう。
しかし祈っている訳ではない。
二人とも両目を見開き、陽大の方を見ている。
――お母さん、お父さん……。
目を瞑って奇跡を祈っている訳ではないのだ。
目を移せば、神名の姿も見えた。
――内竹さん……。
神名とて祈っている訳ではない。
姿を見つける事はできないが、弓削とて祈ってはいないだろう。
――ああ……。
その姿が、陽大の失われかけていた思考を呼び戻した。
必死に目を見開いている姿も、守ってやる事すらできないと嘲笑を浴びている事だろうが、陽大の胸に去来したのは、そうではない。
守ってくれている――陽大はそう思った。
――見守ってくれてる!
奇跡を祈るのではなく、陽大を信じているからこそ見守っていられるのだ。
待つと言う事が、どれだけの痛みを伴うか、陽大は誰よりも知っているではないか。
見守るという行為が、どれだけ難しいか、その苦痛の中で嘲笑に耐える事が、どれだけの忍耐を必要とするか、分からない陽大であろうはずがない。
守ってくれているからこそ、陽大の中で火が点くものがある。
――身体が動かなくても、どうでもいい!
障壁を張り、それによってコントロールするのだから、力が入る入らないは関係ない。
両親と神名の姿に比べれば、身体の痛みなど何の問題になろうか!
「フゥゥゥゥ!」
雄叫びとも叫びとも判別しづらい声をあげながら、陽大が立ち上がった。筋力ではなく障壁で支えれば立ち上がれる。
痛みまでは消せないが、少々の痛みを動けない理由にしてしまっては、それは言い訳にならない言い訳にしかなっていないと感じていた。
「……」
立ち上がってきた陽大を見て、男は面倒臭そうな顔をした。そのまま寝てくれていた方が、仕事がしやすいのに、と思ったのだろう。
「ふー、ふー」
肩で息をしながら、陽大は相貌に必死の光を宿していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます